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23.無限回廊の怪事件④

 鳥がさえずる、清々しい朝。


「夏が立つ」……立夏という日本語は、本当によく出来ていると思う。

 クリアが朝食をとろうと王立学園学食のテラス席にいたところ、いきなり正面に人が座った。


「で、結局クリア嬢はあの虫除けスプレーをどこから取り出したのさ」

「フォッグっ……様!」


 フォッグは天気に似合わずムスッとした顔をしている。クリアは動悸のする胸を押さえる。


「もう、びっくりさせないでくださいよ」

「あのスプレーは服の中から出したように見えたんだけど、どういう仕組み?」

「!」


 クリアはぎくりと固まる。


「ーー気のせいじゃないか。クリア嬢のテニスウェアのポケットだろう。あの服には胸ポケットがあったからな」

「レイニー殿下!」


 頭の上から声がしたかと思えば、レイニーがそしらぬ顔してクリアの隣に食事のトレーを置く。

 レイニーはクリアの秘密(上げ底コルセット)を知っている。クリアを庇ってくれているらしい。


 フォッグは白々しいなと言わんばかりに片眉を上げた。


「ふうん。じゃあ聞くけどさ、レイニー殿下は『あのオナラの音』は誰のだったと思う?」


 ピタリ、とクリアとレイニーの動きが止まる。クリアはじんわり汗をかく。


(これはどうにもならないか)


 まさか、レイニーが自分がしたと嘘を言ってクリアを庇うわけもあるまい。というか、レイニーの口からオナラなんて言葉聞きたくもない。かと言って、クリアがしたと思われるのも不本意すぎる。


 クリアはつい二日前のハーパー公爵邸での顛末を思い浮かべた。



 ✳︎✳︎✳︎



 無限回廊の鏡からエルヴィンと男が出てきた後、四人は場所を変えていた。


 公爵邸の応接室は間続きで二部屋並んでいた。部屋間の扉は開け放たれている。奥の部屋のローテーブルにはフォッグとエルヴィン、そしてあの男。手前の部屋のテーブルセットにはレイニーとクリアが座っている。


 これから繰り広げられる話では、おそらくクリアは部外者になる。しかしクリアはこの件の目撃者でもあるため、説明を兼ねてこの場にいて欲しいというフォッグの希望だった。

 場の空気は極めて重い。


 アニメのストーリーではーー

 クリアを鏡に押し付けたことで、レイニーは無限回廊の鏡がマジックミラーであることに気づく。その夜、フォッグと二人で回廊に発煙筒を仕掛け、火事と勘違いして飛び出して来たジュードを格闘の末捕らえる……という流れだった。そこからエルヴィンに理由を問い詰めるのだ。

 だから、この解決シーンに本来クリアはいない。


 しかし、現実には多少ごたつきはあったが……むしろアニメのストーリーより速く展開したように思う。

 クリアは兵法の書で読んだことを思い出す。本当に強いこととは「戦わずして勝つこと」だ、と。


 レイニーは腕を組んでソファーに座っている。その水色の瞳は閉じられていて、感情は読みとれない。


「レイニー殿下にお茶を。クリア嬢には……ご令嬢には刺激が強かったな、熱いレモネードでも」


 エルヴィンがメイドに依頼する声が聞こえた。あくまで彼は紳士である。


「貴方はジュード・クロッカー博士か」


 フォッグは静かに言った。レイニーは目を開く。

 男はチラリとエルヴィンの顔色を伺ってから、観念したように頷いた。


「確かに。私は10年前に失踪したとされるジュード・クロッカー本人です」

「ジュード、余計なことは言うな」

「父上!」


 エルヴィンをフォッグが遮った。ローテーブルに手をつき、身を乗り出している。


「父上は気づいていないかも知れませんが、俺は……見たんですよ。数ヶ月前父上の書斎に『メモリア』に関する研究資料があったのを。それには世間に公開されていないような情報もあった。貴方たちは『メモリア』の研究を続けていたって言うんですか? この、ハーパー公爵邸で」


 エルヴィンはフォッグを一瞥したが、直ぐに首をレイニーへ向けた。その口はつぐんだままだ。

 フォッグは続けた。


「摂政であるサイラス・ハーパーは……俺の祖父上は、カーム・カルセドニー陛下をはかったと言うんですか?」

「フォッグ、身内とはいえ言葉に気をつけろ」

「信頼を裏切って、カーム陛下に『メモリア』を盛ってーー!!」

「それは違う!!」


 ソファーから腰を浮かすエルヴィン。つられてフォッグも立ち上がる。

 エルヴィンは色が変わるほど、握ったその手に力を入れていた。


「これ以上はこの場で言えない。責任は全て私にある。沙汰があれば、誠心誠意受ける」

「この恥知らずがっ……! この後に及んで、レイニー殿下に甘えるのか!?」


 フォッグは暖炉上に飾ってあった剣を外し、エルヴィンに向けて構えた。


「きゃ……っ!?」


 その時、ちょうどお茶を運んで来たメイドが目の前で繰り広がっている光景に驚いて、悲鳴を上げる。

 弾みで、クリアの肩上に銀のトレーを丸ごと落としーー


 たかと思いきや、立ち上がっていたレイニーが素早くクリアをソファーへ押し倒した。片手を落下するトレーの裏へ滑らせ、そのまま空中に浮いていた茶器の真下へ動かす。


「!」


 クリアとメイドは息をのむ。

 なんと、茶器一式はガシャガシャとレイニーの手の上のトレーに元通りに並んだのだ。お茶一滴、溢すことなく。


(神業……!! じゃなくて)


 レイニーは無言でトレーをメイドに渡すなり、エルヴィンたちへ向かって走る。


 まずい。


(っ、どうする、どうすればいい?)


 レイニーはクリアを庇うことで時間を取られてしまった。


「フォッグ、冷静になるんだ。公爵わたしへの加害は死罪だぞ。お前がそんなことをしても何にもならない」


 エルヴィンも手近にあった鎧から剣を外し、フォッグに対抗して構えている。だけど、レイニーに剣を手にする時間はなかったから、このままでは素手で二人を止めることになってしまう。


(レイニーならそんなことも可能? いや、でも)


 レイニーは隣の部屋に踏み込んだ。

 クリアはソファーから起き上がるなり、部屋間のドアの影に滑り込むようにしゃがむ。


(少してもフォッグとエルヴィンの気を逸らせるなら!!)


 両手を握り合わせて、決死の想いで空気を押し出す。



 ーープウゥゥゥう。



「「!?」」


 フォッグとエルヴィンは動きを止めた。

 レイニーすら僅かに止まった。


 クリアは両手を握り合わせて空気を押し出し、オナラの音を出したのだ。先日の「お腹の音鳴らしエピソード」のために、クリアが副産物的に習得した技。


「……違うっ!!」


 エルヴィンの疑うような視線を受け、フォッグは全力で首を振る。


 クリアがドアから顔を出して見れば、追いついたレイニーが二人の剣の柄を力強く、掴んでいた。


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