2.ヒロインと零雨の王太子
『まあ、そう嘆くなや。よく頑張っているじゃないか』
頭の上から声がする。顔を上げれば、チェストに置かれた二頭身のうさぎのぬいぐるみがこちらを見ていた。その口元は震えているように見える。
「……ドリズリー、他人事だと思ってるでしょ。笑いごとじゃないわよ」
『自分事でしかないよ。なんせ、自分がナレーションをしているアニメ映画だもん』
クリアはジト目でドリズリーを見る。
ドリズリーはクリアが小さい頃、クリアの母が作ってくれたぬいぐるみだ。耳が短いので白いクマだと思っていたのだが……前世を思い出した日、彼がテレパシー(?)を送って来たことにより、実はうさぎであることがわかった。
「君の世界の名前は」の劇中、ドリズリーは「語り部」の役割を果たしていた。
「この歳でぬいぐるみと会話してるヒロインって……しかも、精神世界での自己完結系会話かと思いきや、しっかりドリズリーから返事来てるし」
『細かいことは、うさぎだし分からん! クリアと二人きりの時にしか喋れないんだから、嫌がるなや!』
プンスカするドリズリー。ドリズリーは動けないので表情が変わるはずもないのだが、どういう理屈か、多少は変化しているように見えてしまう。
ともあれ、クリアがアニメ映画「君の世界の名前は」を再現しようとするのには、理由がある。
「君の世界の名前は」は、ただの【ボーイ・ミーツ・ガール】アニメではない。基本的には、ヒーローがヒロインと様々な出来事に遭遇しては、親交を深めていくストーリーなのだが……
そのラストでは、ヒーローがヒロインに「恋する力」で世界を救う、セカイ系と呼ばれるものなのだ。
この世界にいわゆる魔法は存在しない。しかし、「神頼み」や「呪い」「第六感」など、科学で証明できない力があるかもとされるように、王族の中でも限られた者、レイニーだけが持つ「特殊な力」によって奇跡が起きる。
つまり、ヒロインであるクリアがヒーローである王太子レイニーに恋をされなければ、この世界が終わる。
「具体的には、アル○ゲドン的な隕石がネフライト王国に直撃して、王国どころか地球全体への致命的ダメージとなって人類が滅亡するのよね」
クリアはため息を吐きながら、洗面台の下に隠していたノート……記憶が蘇った時、慌ててストーリーを一気書きしたもの、を取り出す。
クリアへの想いを確信したレイニーが、自身の感情を爆発させることで発生する力によって(どういうわけか)隕石を流星群に変えるラストシーンは美しく、高い評価をされたらしい。
異世界恋愛ストーリーにおける転生令嬢のバッドエンドは、他国への追放や冤罪による処刑が一般的だと思っていた。自分だけでなく全生物の未来を背負うとかこの令嬢、荷が重すぎる。
『クリアにアニメの記憶があって何よりだったよ』
閉口しかないクリアにドリズリーが慰めるように明るく言う。
「前世のわたしはSF映画好きだったからね。とはいえ、選べるのなら大好きなバッ○・トゥー・ザ・フューチャーの世界にでも転生したかった……」
『その映画の主人公に憧れてスケボーをかじってたんだよね。さほど出来ないのに』
「ちょっとは人より出来るようになってたわ! って、そんなことより」
一番の問題は、クリアの相手が「零雨の王太子」であることだ。
その噂はサンブリング男爵領まで届いていた。現実のレイニー・カルセドニー王太子が、色恋ごときに感情を乱されるなんて到底信じられなかった。
つい今朝までは。
「まさか、本当に……レイニーがアニメの展開通り『面白い女』に表情を崩すなんて」
劇中、クリアの突拍子もない行動にレイニーは次第に目が離せなくなり、いつもクリアのことばかり考えてしまうようになる。いつからか、彼女が気になる=彼女を好きなのでは? と自問するようになるのだ。
『だからこそクリアは今日、レイニーに対してあんな奇行をするハメになったんでしょ?』
「奇行って言っちゃってるし。映画を観た時から思っていたけど、なかなか強烈なヒロインですよ」
クリアは半眼になる。
お察しの通り、「君の世界の名前は」のヒロイン、クリア・サンブリングは「ど天然キャラ」、いわゆる「面白れー女」。
生身の女性としてヒーローの女性の趣味にちょっと引く。
なお、アニメの出会いシーン時点では、クリアは下敷きにした青年が王太子であると知らない。
前世の科学知識をどうにか活かし世界の終わりを防ぐ、という切り口も考えてみた。しかし、アル○ゲドンとは違いスペースシャトルもないこの世界で、クリア一人で出来る手立てはないと思われた。そもそも、この隕石落下はこの時代の科学技術を持ってしても予想できないという設定だった。
村育ちの平民クリアがサンブリング男爵家の養女になったのは、その学業成績を見込まれたから。
昨今、より良い縁談を望む貴族子女には、学も必要な時代だ。
サンブリング男爵夫妻には子供がいなかった。男爵家を継げる男子を養子に迎えるという手もあるが、女子を迎えて有力な高位貴族に嫁がせることで、より近い未来で男爵家の立場を固めることにしたのだ。
将来クリアたちの子を一人、サンブリング男爵家の跡継ぎにすればよい。
頭の回転が早く、かつ醜聞など起こし得ない生真面目さがあり、見目の良いクリアはまさに適材だった。
(とはいえ、自分の容姿には無関心で。転生したと気づくまで、自分が美少女であることすら知らなかった。容姿に興味がなかった点だけは、ヒロイン・クリアと現実のクリアの共通点かしらね)
はは、と乾いた笑いを漏らす。
クリアの生家は貧しかった。この養子縁組は実の両親のためでもある。
『……クリア?』
一瞬だけ、クリアは瞳を曇らせた。
サンブリング男爵家の養女になったのは、確かに彼らの策略あってこそ。しかし、サンブリング男爵夫妻はこの三年間、泣いて送り出してくれた両親に負けないくらい、クリアを愛してくれた。だから「面白い女」になるべく準備も色々出来たのだ。
両親も、サンブリング男爵家の人々も、彼らがいる地球がたった一瞬で壊滅するなんて、いくらなんでも受け入れられない。
「わたしは何としても……ヒロイン・クリアになりきって、レイニー王太子を、恋に、落として見せる!!!」
『おー!』
クリアは改めて決意した。