18.どういう風の吹き回し②
『おっかえりー! クリア』
授業が終わり、クリアは寮の自室に戻った。ドリズリーへの返事もそこそこに、マッチを擦る。小さなキャンドルにだけ火を灯した。何だか、部屋全体を明るくする気分ではなかったから。
「……ハーパー公爵邸には怪談があったのよね」
その歴史ある広大な建物には、鏡が向かい合わせに設置されている「無限回廊」と呼ばれる廊下があった。合わせ鏡により、どこまでも廊下が続いているように錯覚して見えるのだ。
ーーその鏡の中の廊下に、幽霊がいるんだよ。
昼間、フォッグはさらりと言った。
ハーパー公爵邸の暗い廊下をフォッグと従者が歩いていると、無限回廊の「中」にキャンドルの明かりが見え、そこに男が一人いたのだという。
レイニーは意外そうに言った。
「フォッグは幽霊を信じるのか」
「まあね。しかも、俺たちの他にも目撃したというメイドがいたよ。怖くて言い出せなかったらしい」
ラネージュはこの手の話だけはどうしてもNGだそうで、足早に去っている。
クリアは首を傾げながら言った。
「でも、いたとしたら誰なんですか? その幽霊は。やり残したことがあるご先祖様か、公爵家に恨みでもあるお方……?」
ヒロイン・クリアもお化け嫌いであるが、しかし、好奇心の方が優っているという設定だ。現実のクリアはSF映画好きが転じたのか、全く平気である。
「これは俺の仮説だけど、幽霊の正体はジュード・クロッカーじゃないかな。ハーパー公爵領にかつてあった研究所の研究者。とある違法薬物の元になった薬の資料一式を持ち出した挙句、今は行方不明と言われている。ハーパー公爵家の歴史唯一の汚点さ」
クリアに説明するフォッグ。
レイニーは口元に当てていた手をゆっくりと下ろした。彼の護衛騎士もこちらを見ている。
フォッグはそれらも全部視界に入れた上で、口に綺麗な弧を描いた。
「唯一の汚点だから……俺はね、ジュードはハーパー公爵家の誰かに殺されたと思っているんだ」
これから起きるはずのエピソード、「無限回廊の怪事件」の真実とは。
クリアはいつも通り前世を記録したノートを開く。
幽霊の正体はフォッグの予想通り、違法薬物の前身薬の開発者、ジュード・クロッカーだった。
しかし、実際には幽霊ではない。彼は生きている人間だった。フォッグの父、エルヴィン・ハーパー公爵はジュード・クロッカーを長年「無限回廊」に住まわせていた。
ヒロイン・クリアの行動がキッカケで判明するのだが、無限回廊として続いて見えた廊下の先には、部屋が実在していた。つまり、鏡の裏に「回廊を模した隠し部屋」が作られていたのだ。
『ジュード・クロッカーがハーパー公爵領の研究所を去った後、違法薬物「メモリア」は産み出されている。そしてその「メモリア」によって、レイニーの父親でネフライト王国の前国王……カーム・カルセドニー陛下は身体を壊し、亡くなったんだよね』
おでこにシワを寄せた(ように見える)ドリズリーの言葉にクリアは頷く。
「メモリア」が公爵領の研究所で開発されたものではなかったから、ハーパー公爵家は直接の責任は問われなかった。研究所はジュードが失踪してから直ぐ、跡形もなく解体されている。
これらのことはレイニー含めた、ごく限られた者しか知らない国家機密である。
「疑惑を呼んだのは、カーム陛下最後の王命により、そんなハーパー公爵家の人間が摂政を務めるようになったこと」
「摂政」は国王不在時の最高権力者。
摂政となったサイラス・ハーパー(=フォッグの祖父)は、カームの側近だった頃から政治手腕の評価が高く、カームが「メモリア」により体調を崩した時期には、国政の混乱を完璧に抑えている。その点かなりの名摂政と評されていて、現在国民からの支持率も高い。
しかし、フォッグはハーパー公爵家がジュードを使って「メモリア」で王家を謀り、摂政の座を得たのでは? と考えていた。
エルヴィンとカーム陛下は幼馴染だ。やろうと思えば、エルヴィンがカームに薬物を盛るのは容易な立場だった。
フォッグのその疑惑は、エルヴィンがジュード・クロッカーを隠し部屋に匿っていたことで確信へ変わる。激昂したフォッグはエルヴィンーー自分の父親へ切りかかるのだ。
「エルヴィンは反撃して相打ちしそうになるけど、レイニーがまさかの二刀使いで二人を止める……という展開なのよね」
無意識に握っていた手には、いつの間にかじっとりと汗が滲んでいた。
負傷系はちょっと怖い。
先日のテニスボールヘディングから、少しタイミングのズレが命取りになるとわかっているから。
「でも、大丈夫。わたしがちゃんとヒロイン・クリアを再現しきれれば、アニメ通りの展開になるとわかっているから。そのための準備も沢山して来た」
『しかも、今回身体を張るのはあのレイニー殿下でしょ? ならクリアの心配には及ばないのではーーわあ!』
何となく、クリアは柄にもなくドリズリーを抱きしめた。
「そうよね。レイニーの運動神経には全幅の信頼をしているわ。大丈夫でしかない」
キャンドルの芯がジリジリと鳴る。
(……大丈夫、よね?)
視線の先のガラス窓には今にも消えそうな灯りが写り、どこか不安そうに揺れていた。
エルヴィン・ハーパー→フォッグの父、現公爵
サイラス・ハーパー→フォッグの祖父、摂政
 




