16.王城の月
深夜、レイニーは王城のはめ殺しの窓から月を見ていた。王立学園の寮にも部屋があるレイニーだが、時折公務のため王城にも戻る生活をしていた。
いつだったか、ルーサーが「月には神秘的な力があるんですよ」と言ったことがある。あの時、自分は何と答えたか。
視線をドアへ向ける。人の気配がしたかと思えばノックが響いた。
「レイニー殿下、解析の結果が出ました」
ルーサーは執務室の扉を開けながら言った。
「ラネージュ王女のマカロンに仕込まれていたものは、レイニー殿下の予想通り違法薬物『メモリア』でした」
レイニーは書類に目を落とす。レイニーの手元にある書類は、例の暴漢の調書だ。
「ゾエ・カロンについては、外交ルートで大国へ連絡済みだ。暴漢は我が国で裁くことになろうが、この国の痴漢犯罪への罰が厳しくて何よりだな」
体育用具倉庫からの帰り、クリアにも事情聴取をしている。更なる捜査の結果、あの暴漢には余罪が見つかっていた。
「『メモリア』の入手ルートは?」
「念のため、ゾエ・カロンとハーパー公爵家およびフォッグ・ハーパーの関係を洗いましたが、何も出ていません」
「さすがにもうハーパー公爵家の手からは離れているさ……闇市場からだとしたら、足取りを掴むのは難しいな」
レイニーは水色の目を細める。
フォッグの家、ハーパー公爵家はかなり古い時代から学問に力を入れてきた。
ある時、国内の優秀な研究者たちを囲い、領地に研究所を作って支援していたことがある。その研究所で開発されたのが違法薬物「メモリア」の前身薬、だった。
この薬は、服用した者に「幸せな過去」を繰り返し思い出させる効果があった。当時のハーパー公爵は「鎮静目的」や「心的ストレスへの対処法」として、この薬を作らせていたと言われる。
しかし、ある時一人の研究者が暴走してから風向きが変わる。その研究者はハーパー公爵領を去る際、前身薬の資料一式を無断で持ち出した。そしてより中毒性の高い「メモリア」として、薬を完成させたのだ。
服用過多になれば「思い出の世界」から意識が戻らなくなり、廃人状態にーー……最終的には死に至る恐ろしい薬物へ、だ。
「メモリア」が闇ルートへ流された結果、ネフライト王国では中毒者が多発した。一度人体に入れば解剖しても検出されない特性も悪用された。
今は違法薬物として法律で禁止されているが、完全排除には至っていない。レイニーは立太子にあたり、「メモリア」をネフライト王国から撲滅することを宣言している。
「どこにでも悪いことを思いつく人間はいる」
レイニーは息を吐くように小さく、呟いた。
「それで、疑惑は晴れましたか?」
「ん?」
「クリア嬢が、何らかの理由で天然キャラを作り上げている、いわゆる『養殖』だという疑惑ですよ」
ずいっと詰め寄ってくるルーサー。
「倉庫前に戻ったら大雨だしレイニー殿下はいないしで、驚いたんですから。あの嵐の中、体育用具倉庫の小さな窓から、お二人をどれだけ覗いていたと思うんですか。ハンドサインさえ出してくだされば、速やかにつっかえ棒を外しましたよ。自分、トイレを我慢する羽目になったんですからね」
またトイレネタ……とクリアとの会話が頭をよぎり、少しだけ遠い目をするレイニー。
「ルーサーが離れていた間にも色々あったんだ。しばらく彼女と二人きりで話をしたかった。許せ」
「いずれにせよ、レイニー殿下に近づくためだけに『天然』を偽装していたとしたら、あまりにも効率悪いですよね。男爵令嬢とはいえクリア嬢程の容姿があれば……王族は一筋縄でいかないとしても、上位貴族に近づくくらい容易に出来ますから」
レイニーには疑問があった。
あの暴漢とクリアが遭遇したのは偶然か? ラネージュから聞いた話では、クリアはラネージュの「手持ちのマカロン全て」を欲しがっていたそうだ。
クリアと『メモリア』の関係は?
『レイニー殿下の目を見れないような生き方をしなくて、良かったです』
ーーあれはなんだ。
ラネージュ殺人未遂の片棒を担いだとは思っていない、が。だとしたら、今回の出来事における彼女の立ち位置は。
「あ、それとは別件で、レイニー殿下に隣国との合同チームから追加報告が来ていてーー」
それからはいくつかの仕事を処理し、ルーサーが部屋から下がった頃には、月は沈んでいた。
レイニーは一人窓の外を見ながら、半ば無意識に呟いた。
「……禁断の薬物『メモリア』、ね」
レイニーの脳裏には若くしてこの世を去ったカーム・カルセドニー前国王ーー
レイニーの父親の姿、が浮かんでいた。
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