マリア・フェッヘンハッフルからの招待状 チェ・バスミリミナール交響舞曲による
「髙梨、この招待状を見てどう思う」
俺は友人である鴻巣から金色の縁取りがついた重厚な封筒を見せられて、面食らった。
「正直言って怪しさしか感じないよ、鴻巣。中を見せて貰ってもいいか」
「もちろんだ。そのためにアパートまで来て貰ったんだからな」
鴻巣の小汚いアパートの小汚い部屋へ来るのは三度目だ。一回こんな不潔な部屋とは思わず、二回目はは終電を逃してやむを得ず、今回は鴻巣の相談に乗ってくれるのならばラーメンを奢る、という言葉に半チャーハンを追加させての来訪である。
鴻巣が薄いクリーム色の上質な紙でできているであろう封筒を開けると中から出てきたのは、これも高級そうな紙、これが招待状だろう、それと航空券が1枚入っている。まず招待状を改める。
鴻巣太一 様
まわりまわってよろしく候。暑さ寒さも彼岸花。あなた様には益々もてご快癒なされ、嬉しいぜるまん。
さてこの度、私ドモ、セルマンティオ王国1286代王女にマリア・フェッヘンハッフル様々が近々に即位ナサレては喜ばしアル。
鴻巣 様におかれては即位式に是非御臨席賜り奉らんこと祈るで候。あらかしあらめし。
セルマンティオ王国に来るに当たり、貴様など貧乏に違いなかろうから、航空券付けてみました♡
出席か欠席か知らせるっちゃ。では貴君の健康と貧乏を記念して燦々なな拍子のです。早々
追伸 手紙を日本語ーゴゴーGOで書くに当たって、天才であるところの宰相バクロヒショット・ウェッサリーニがセルマンティオ語から日本語ーゴゴーGOに訳したですばい。多少の誤訳ありといえども惜別の落涙にあたわず。
セルマンティオ歴714年 バターの月 吉日
マリア・フェッヘンハッフル次期王女
天才であるところの宰相バクロヒショット・ウェッサリーニ代筆
「……」
俺は頭痛のするこめかみを押さえながら鴻巣を見た。なんとも言えない顔で鴻巣も俺を見る。
「鴻巣、これが何なのか俺にはわからない。いや正直言ってだいたい意味はわかるというのがまた嫌だ。だが、はっきり言って絶対にこれは行ってはいけないやつだろう。怪しさもここまで来れば芸のうちかもしれないな」
「髙梨、俺ももちろんそう思う。だがな、この招待状、出欠を返事する返信の術がどこにもないんだ」
「…返信用封筒もなければ、メールアドレスや連絡先もない。これは、鴻巣、無視する以外なかろう」
鴻巣は不安そうな顔でうめいた。
「しかし、もしこれが本当に国家的規模の招待だとしたら、無視して大丈夫だろうか。半年後、俺がこの、せ、セルマンティオ王国…か?この王国の首都近くでコンクリート詰めされて海に捨てられるというような可能性はないだろうか」
「心配しすぎだろう。だいたい、本当にこの、せ、せる、セルマンティック王国というのは実在するのか。確かに航空券までついて、尋常ではないが大規模ないたずらの可能性が高いと思うな」
「セルマンティックではなくてセルマンティオ王国だが、一応、調べてみた。ネットではセルマンティオ王国というのは地中海にある小さな島のなかなか由緒正しい王国のようだ」
俺は鴻巣が開いたノートパソコンを覗いて唸った。
「本当にあるのか。…しかし鴻巣、お前が何でこの王女の即位式に呼ばれるのか、心当たりはあるのか」
「あるわけがないだろう。俺は埼玉生まれの埼玉育ち、父親も母親もその3代先まで埼玉生まれ埼玉育ち…いや、母方の祖母は千葉県民だそうだが、つまり何の縁もない。ちなみに先日実家に連絡して父親に『セルマンティオ王国って知ってるか。』と聞いたら親父は『どんな饅頭だ。』と言った」
「セルマンタ王国で饅頭というのもよくわからんが、特につながりはないようだな」
「セルマンティオだ、髙梨。ホントに無視していいと思うか」
「たぶん先方の勘違いだろうし、何しろこの文面だ。冗談だと思った、で済みそうなもんだ」
俺は航空券を手にする。青緑色のチケットに見たことのない文字が書いてある。裏面を改めると英語で
『Air ticket to Selmountech First Class Until June 15th』と記されている。本日から1ヶ月ほど有効期間があるようだ。
「ファーストクラスか。地中海のバカンスアイランドへファーストクラスっていったら、これが本当なら相当高価なチケットだぞ。チケット屋へ持っていったら、大儲けじゃないのか、鴻巣」
「それも、もうやった。扱えないそうだ。何故なら需要が全くないからだと」
「なるほど。俺の周囲にもセルマンマン行ってきたという話は聞かないからな」
「セルマンティオだ、髙梨。お前さっきからわざと言ってるな。もうひとつわかったことがある」
鴻巣はまたパソコンで別のページを出す。俺はのぞき込んで仰天した。
「何だ。この超絶美形は」
「マリア・フェッヘンハッフル姫だ。つまりこの招待状の差出人ということになる」
もう一度俺はしみじみとそのセルマンなんたら王国のマリアかんたらお姫様の写真を見る。
「これはビックリだなあ。まさに王女だ。あらためて、鴻巣、これは何かの間違いだ。こんな貴族的な美形で上品で可愛らしくて、そしてお金持ちなお姫様がお前のようなビンボーで下品で、部屋にゴキブリがワサワサいて、何の取り柄もない冴えないバイト男を即位式に呼ぶわけがないだろう」
鴻巣がウンウンと頷いてから、ハッと顔をあげて俺に怒鳴る。
「危うく納得しかけたが、言い過ぎだ、髙梨。お前は自分がモテないことを棚に上げて俺を貶めているが、俺も考えつかないような深い訳があるかもしれないじゃないか」
俺はその言い様に呆れて鴻巣の顔をじっと見る。
「本気で言ってるのか。どんな深い訳だ」
「例えばお忍びの来日をしたマリア姫が偶然、うちの大学を訪れて学食の角でバッタリと俺にぶつかり恋に落ちて、えっと、恋に落ちて国に帰っても忘れられなくて俺を探し出したとか、そういうのは…どうだ。だめか」
「今時のネット小説だって、そんな茶番は書かないぞ。お姫様と学食でバッタリ出会った記憶でもあるのか」
「あるわけないだろう。たとえば、の話だ」
俺は鴻巣の目を見て、もう一度確認する。
「やっぱり間違いか、ただのイタズラか、壮大なドッキリか、いずれにしろ、絶対に飛行機に乗っては駄目だぞ、鴻巣」
「実は、実は髙梨、聞いてくれ」
「もう散々いろいろ聞いたつもりだったが、まだ何かお前の寝言を聞くのか」
「そういうな、髙梨。俺はこの姫様にその…一目見て、えっと、つまり写真見てなんておかしいかもしれないが、いや、だから、暑さ寒さも彼岸花で…」
やれやれ、と俺はすっかり呆れて鴻巣の肩をつかむ。
「つまり、鴻巣、お前はこのお姫様に一目惚れした、とそういうことだな」
鴻巣は俺の手を振りほどいて、両手で顔を覆う。
「ううっ、お恥ずかしさも燦々なな拍子」
「やめろ。なぜお前まであの宰相バクロヒショット・ウェッサリーニの調子になる」
「その名前は何でしっかり、覚えてるんだ、髙梨~っ、助けてくれ」
ハアと俺はため息をついて、もう一度招待状と航空券に目を通した。
「なあ、即位式の日にちがどこにも書いてないぞ。いつなんだ」
鴻巣がハッとして招待状を俺から奪い取り、隅から隅まで見つめる。
「本当だ。いつなんだ、髙梨」
「知るもんか。面倒だ、行ってこい、鴻巣」
鴻巣が仰天して俺を見つめる。
「本気か?髙梨」
「本気かどうか聞きたいのは俺の方だよ、鴻巣」
俺は背筋を伸ばして、鴻巣に向き合った。
「骨は拾ってやる。悪ふざけだったら後から一緒に怒ってやる。国際的な誘拐だったら俺が探し出して骨は拾ってやる。お前の気の済むようにしたらいい」
「骨を拾うのが多かったけど、わかった、髙梨。行ってみるよ。駄目でもともとだ」
「ああ、粉々になった骨はホウキで集めて拾ってやる。頑張ってこい、鴻巣」
「ありがとう、やっぱりお前は俺の親友だ。これから毎晩、地中海方向にお祈りをしてくれ」
「お祈り程度でよかったら毎晩やってやるよ。でもまあ、ホント気をつけろ。安全第一にな」
焚きつけておいて不安になった俺はこの期に及んで日和ったことを言った。
それから半年が過ぎた。鴻巣はとりあえずの荷物をまとめ、といっても貧乏なあいつの荷物は中くらいのバッグひとつでまとまってしまったのだが、件の航空券を使ってセルなんとか王国へ旅立った。
奴が旅立っていくつか俺に迷惑が降りかかった。例えば鴻巣のアパートは家賃が未払いだったため、夜逃げのように消えた奴の行方を警察に訴えられ、鴻巣の両親も呼び出されて俺も事情聴取を受けた。そのままの話をしても、とても信じてもらえない、というより俺が妙な疑いをかけられそうだったので、荷物をまとめて『しばらく旅に出る』と言って出て行ったことだけ話した。もともと自分の親と音信不通になることが珍しくなかった男であり、それでも旅立って一月ほどで実家に『心配いらない』という連絡をしていたらしく、事件性はなかろうと釈放された。
そしてその日、俺にもうひとつの迷惑が降りかかった。俺は見覚えのある封筒を手にして見下ろす。薄いクリーム色に金の縁取り、中には1枚の手紙と1枚の写真、そして航空券が入っていた。恐る恐る手紙を開く。
髙梨裕一郎 様
拝啓梅雨の名残雪も春が来てきれいになり候。あなた様にはどっかり不倫の釜ヶ前日常茶飯事沙羅双樹。この度は鴻巣氏のセルマンティオ王国来訪に貴君がなかなか頑張ってくれたまえてサンキューです。
そもそも王女マリア・フェッヘンハッフル様が1年前、来日せし折、貴方様の通われる三流大学三流学食において鴻巣氏とマリア王女がごっつんこ、小池にはまってさあ大変、泣いてばかりいるマリアはん。恋に落ちてI fall in love.この人に会いたい切ないなど食前食後1回3錠まで。
即位式に間に合いへしあい、宰相バクロヒショット・ウェッサリーニ、ヒデキ感激。
しかして親友髙梨、お前を王国に招待してせんずる。ぜひお暇なら来てよね、私サビシーわん。
敬具 絵の具 ラーメンの具
追伸 手紙を日本語ーゴゴーGOで書くに当たって、客人たる鴻巣氏に書かせるはお国の恥は何百里。
そこで例によってかかりし天才であるところの宰相バクロヒショット・ウェッサリーニがセルマンティオ語から日本語ーゴゴーGOに訳したですよし。多少の誤訳ありといえども一笑の不覚にあたわず。
セルマンティオ歴714年 マーガリンの月 吉日
マリア・フェッヘンハッフル王女
コーノス・タイッチョン 第2夫
天才であるところの宰相バクロヒショット・ウェッサリーニ代筆
チェ・バスミリミナール交響舞曲による
例によって頭痛はするが、どうにか意味が通じるところがまた頭にくるのだ。次に写真を見る。あの超絶美人姫様、今は王女だそうだが、彼女と鴻巣が腕を組んで地中海の真っ青な海上で豪華クルーズ船に乗っている2ショット写真である。文面によれば『第2夫』になったらしい。
最後にチケットは以前鴻巣に見せられたものとほぼ同じだ。
『Air ticket to Selmountech business Class Until March 15th』
…ビジネスクラスにダウンされている。少し待遇が違うようだ。
さて、俺はどうするべきか。これは現実なのか、壮大で悪質なドッキリか、そして鴻巣への招待状になかった『チェ・バスミリミナール交響舞曲』とは何なのか。
終わり
どうでしょう。こういういい加減なファンタジー?が好きなんですが。また書きます。