3-006 新天地
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「新しい世界って、どこに、いや、どうやって創るんだ?」
「え? 創らないよ?」
「は? それじゃ、方舟に乗った人間はどうなるんだよ。ずっと方舟の中で生活するのか?」
「少人数ならそれもできるだろうけど、長期間は無理じゃないかな。あ、でも、生き物が少ないと魔力が枯渇するから、人が少なくても無理よね」
「なら、どうするんだよ。世界が滅びる前に方舟に乗せても、結局は行く当てもなくて、滅びるのが少し先延ばしになるだけじゃないか」
「大丈夫。わたしが用意しなくても、新しい世界はもうあるから。どっちかって言うと、古い世界かな?」
「? どういうことだよ」
「エンファン様の言ったことを思い出して。『この星に来た』『神にできることをこなしている』『その1つが、世界の創造だ』って言ってたでしょ? そういうことよ」
「?? どういうことだよ……」
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方舟の壁には、飛び立った星の姿がいつまでも映っていた。地上を離れた直後は、それぞれの壁の外を映していたが、今はどの壁面も故郷の星が映っている。
全体的に薄茶色の大地、その大地をヘビがのたうつように伸びる青いラインは、森や林、草原だろう。植物は地下を流れる水脈に沿って生い繁り、そこに人は都市や街を造った。
「そう考えると、方舟の出現場所が人間の生活圏だったのは別に不思議なことじゃないんだなぁ。人がどこに集まるかは、簡単に予測できたわけだから」
「何か?」
アークの独り言は、セクレットにも届いたようだ。
「何でもない。ただの独り言」
「失礼。何か気付いたことがあれば、いつでも声をかけてください」
「うん」
星の周りには光点が見える。方舟だ。世界中から飛び立った方舟が、星から一定の距離を置いて、同じ軌道で星を周回している。方舟か飛び立ってすでに2日だ。
「……方舟は、いつになったら新天地へと旅立つのでしょう?」
セクレットが尋ねるともなくアークに尋ねた。
「判らないなぁ。創世神話にも、ほかのお伽話にもこの先のことは何もないし。もしかして、方舟が揃うのを待っているのかな?」
アークは端末の画面に目をやった。軍が観測した種々の情報が表示されている。“観測”といっても、方舟は完全に密閉されているので外部を直接観測することはできない。方舟の内壁に映し出されている外部の様子を間接的に観測するだけだ。
その観測結果によると、飛び立った方舟の数は129隻。出現した方舟は150隻と聞いているので、21隻足りない。
「我が国では、教授の警告に従って方舟には手を出しませんでしたが、他国もそうとは限りません。機能を停止した方舟がある可能性は、否定できません」
「それで数が足りないのかなぁ。もしも新天地への旅立ちに方舟が揃っている必要があるとすると、ずっとこの軌道を周回するだけなのかなぁ?」
「え? それでは我々は、このまま方舟の中に住むしかないのですか?」
セクレットがやや狼狽えた声を出す。
「判らないよ。方舟が揃ってないと出発しないってのも、ボクの推測、ってか憶測に過ぎないし。もしかしたら、世界の終わりを待っているのかも知れない」
「……何のためでしょう?」
「ボクたち、世界を離れた人類に見せるために」
「根拠は?」
「ないよ。さっきも言ったでしょ、ボクの憶測だって。どっちにしろ、方舟に任せておくしかできないんだから、ボクたちはできることをやろうよ。そう長くはないはずだけど、方舟での生活を少しでも快適に過ごす方法を考える、とかさ」
「……そうですね。ここまで来てしまったら、腹をくくるしかありませんね」
「そうそう。次の変化を気楽に待っていようよ」
気楽に言ったアークは、手にしたカップのコーヒーを美味そうに飲んだ。心の底から気楽そうだった。
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さらに3日が経った。方舟は相変わらず同じ軌道で星を周回している。あれから方舟の数が増えることもない。
「そろそろ、市民から不満の声が出ています。いつになったら新天地へ向かうのか、と」
いつものようにアークのブースを訪れたセクレットは、舟内の状況を伝えた。
「そう言われてもねぇ、ボクが計画したものでもないし」
「推測でも構わないので、何かありませんか?」
「正直、この前話したことくらいしか思いつかないんだよね、方舟がここを離れない理由。他人に聞かせられない推測なら、なくは無いけど」
「それはどのような?」
「ここだけの話にしておいてよ?」
アークはセクレットを傍へ呼び寄せて、耳に口を寄せた。
「方舟に乗れってのは実は罠で、乗ったら最後、死ぬまでこのまま、とか」
「教授っ」
セクレットはアークに喰ってかかった。
「本気でそう考えているのですかっ」
「違うよ。ボクの考えでは方舟が新天地へと連れてってくれるよ。でも、ボクの考えを抜きにして現状だけを客観的に見れば、そういう推測も成り立つってこと」
「冗談でもそんなことは言わないでください。万一にもそんな推測が市民の中に漏れたら、パニックになります」
「だから、ここだけの話って言ったでしょ」
セクレットは溜息を吐いた。
「心にもないことは口にしないでください。教授の言葉は重く受け取られるのですから」
「はいはい。方舟が現れる前はボクの言葉なんてほとんど誰も聞かなかったのになぁ」
「状況が変われば人の重要性も変わるのは当たり前です」
方舟出現前はアークの名前も知らなかったセクレットは、澄ました顔で言った。
「それは解るけどね……あれ?」
「どうかされましたか?」
首を傾げたアークに、セクレットが問いかける。アークは壁に映る故郷の星を見つめていた。
「あれ、白くなってない?」
アークが指差した先、壁面に映る星の一部に、少し前までは確かに存在しなかった白点が現れている。
「あれが、方舟の待っていたもの、かな?」
「上に報告します。失礼します」
セクレットは急ぎ足でアークのブースから立ち去った。
「まぁ、軍の方でも観測してるだろうけどね……って、もう行っちゃったか。でも、これで事態は動くのかなぁ?」
アークは椅子によりかかって星の映像をじっと見つめた。
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星に生じた変化……白点は、時間と共に大きくなっていった。方舟の壁の映像を操作する方法は不明だったので地表を拡大表示することはできなかったが、軍や政府は壁の映像を撮影するという方法で、拡大画像を入手した。
拡大画像といっても地表の様子が詳細に判るものではないが、それでも、壁の映像をそのまま目視するよりは遥かに多くの情報を得られた。
それによると、地表は土も森も建造物も、一様に白色に染まっていた。人の姿までは見えなかったが、映っていた走行中の大型車輌が、白色化するとともに行動を停止したことから、人も同じ運命を辿っていると考えられた。
「これを見せたかった……のでしょうか?」
セクレットがアークに聞いた。
「どうかな。判らないよ」
「地上は地獄絵図でしょうね……」
「……そうかもね」
細かな様子までは見えないのでなんとも言えず、アークは曖昧に頷くだけだった。
およそ1日で、星全体が真っ白に染まった。その瞬間、星が弾けた、ように見えた。方舟に乗った人々は思わず声を上げて、あるいは唇を引き結んで、その様子を見つめていた。
星が弾けたと見えたのは錯覚だった。弾け飛んだのは星の表面を覆った白い何かだけで、壁面には変わらず星が映っていた。いや、“変わらず”と言うわけではない。
白色化した星の表面は、全体的に青くなっていた。そして薄茶色の大地。
「あの青いのは……水かな?」
アークが独り言ちた。
「水? あんなにたくさん、ですか?」
「あ? うん、軍で映してる拡大映像を見ると、そうっぽいね」
後ろからの声にセクレットがいるのを思い出して、アークは振り返って答えた。
「あら?」
次の変化に気付いたのはセクレットだった。
「どつしたの?」
「いえ、壁に映っている星が、大きくなっているような……」
「え? ……あ、ほんとだ。少しずつ大きくなってる。……そっか、そう言うことか」
納得したように、アークは頷いた。
「何か解ったのですか?」
「うん。新天地のことが。ボクたちの生まれ育ったこの星、ここが新天地だったんだよ。それで、方舟は星に戻ろうと近付いているんだ」
「どう言うことです? 世界は滅ぶのでは?」
「うん。昨日から今日にかけて星が白色化したでしょ? そしてそれが消え去った。白色化した星の表面こそが、ボクたちの住んでいた世界で、その世界が剥がれた素の状態が、今の星なんだよ。星の表面を覆う世界が壊れるのに巻き込まれないように、この方舟はボクたちを一時退避させるためのものだったんだよ」
「世界の破壊に巻き込まれる……それでは、方舟に乗り込まずに残った人たちは……」
「残念だけど、表面の世界の滅亡と共に、消滅しただろうね」
残念そうに、アークは言った。
「そうですか……」
セクレットも力なく俯いた。
「感傷に浸っていても仕方がない。星から離れた時のことを考えると、地上に降りるまではそう時間はかからないだろうから、下舟の準備を進めるように言ってきて。計画は立ててあるんだろうけど、速やかに実行に移せるように」
「はい、解りました」
セクレットはアークに敬礼すると、足音も立てずにブースから出て行った。
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地上に着地した方舟から下り立ったアークは、思い切り伸びをした。
「ここが新天地、か」
感極まったように、意識していないのに言葉が出た。
遠くに森が見えている。3テックは離れていないだろう。方舟から先行して下舟した軍が、すでに周囲の探索を始め、森にも向かっている。安全が確認され次第、民間人の下舟も始まる予定だ。そのためのテントや仮設の住居の設営も始まっている。
「綺麗さっぱり、何も無くなっているな」
アミルもアークと一緒に下りていた。アークの隣で四方に目を向ける。
「それでも、森はあるじゃない。獣もいるかもね。見た感じ、知的生命はいないようだけど」
アークは遠くに見える森を、額に手を翳して見ながら言った。
「……残った人たちはどうなったんでしょう」
アークの斜め後ろに立っていたセクレットがポツリと言った。
「方舟の中でも言ったけど、世界の消滅と一緒に消えてしまったはずだよ。残念だけど。彼らを悼むのは、ボクらの生活がある程度整ってから、になるかな。冷たいようだけど」
「それは……仕方のないことですね。失われた命より、今生きている命が優先されるのは当然ですから」
知り合いが地上、旧世界に残ったのかも知れないな、とアークはセクレットの内心を思った。
「さて、俺は軍のテントに行ってるよ。状況が変わったら政府のお偉方に伝えないといけないからな」
アミルが言った。
「うん、お仕事頑張ってね」
「お前も仕事しろ」
アミルはアークを睨むように見たが、すぐに微笑を浮かべて手を振り、立ち去った。
「アミルも大変だなぁ。政府になんて関わるもんじゃないね」
アークは他人事のように言った。
「我々もテントに行きますか? それとも方舟に戻りますか?」
セクレットが聞いた。もう気持ちを切り替えたのか、残った人々の話題を出した時に混じっていた悲壮感はない。
「まだ情報も集まっていないだろうし、しばらく新天地を見てみようよ」
「方舟からあまり離れるのは駄目ですよ」
「大丈夫。方舟が見えないほど遠くには行かないよ。元々体力ないから、そんなに遠くまで歩けないし」
アークは自嘲気味に笑うと、セクレットを伴って新天地へと足を踏み出した。これから暮らすことになる、新しい世界へと。
■作中に出てきた単位の解説■
距離の単位:
1テック≒ 1キロメートル の感覚です。




