3-004 タイムリミット
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「世界が終わるタイミングって判るのか?」
「うん。難しいけど、多分」
「どうやって」
「大地を結界で覆ってるからね。結界に伝わる振動?なのかな、瘴気を生み出す大地の鳴動に変化があるはずなんだよ」
「そんなの、どうして判ったんだよ」
「メナージュさんにいろいろ本を持って来てもらったでしょ。その時エンファン様の『創世の書』も何冊か持って来て貰っててね、それを読み込んだ結果ね」
「『創世の書』も読んだのか。もっとも、それがなきゃ、時間を誤魔化す仕組みも判らないか。でも、世界の終焉はまだ書かれてないんだろ?」
「だから、推測なんだけどね」
「それが間違っていたり、タイミングがずれたら、どうなるんだ?」
「その時は、世界の滅亡と共に人間も獣も滅ぶことになるね」
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「教授」
アークが方舟の最上層の一角に割り当てられた自分用のブースで椅子に座っていると、セクレットがやって来た。
「んー、何かあった?」
のんびりとした声で、アークは答えた。
「先ほど、外の部隊から連絡ありました。方舟に変化があったそうです。それについて、教授のご意見を伺いたい、と連絡がありました」
「その変化ってこれのこと?」
アークは目の前の画面を突ついた。
セクレットは机を回ってアークの示す画面を見た。そこには方舟が映っている。今までと何も変わらないように見えるが、側面の赤いラインが短くなっている。昨日までは10個で構成されていたラインが、今は9個だ。
「さっきアミルからも連絡があったんだよ。多分、タイマーになっているんじゃないかな」
「タイマー?」
「そう。多分、あのラインが全部消えると、方舟は自動で新天地に向けて旅立つんだと思うよ」
「ちょっと待ってください。それはつまり……」
「うん。最初の1つが4日で消えた、つまりタイムリミットは40日、5旬ってこと。すでに1つ消えているから、残るは36日か」
「それしかないんですかっ?」
少し焦ったようにセクレットは言った。
「うん。だから軍からも政府に乗舟を急ぐように言って。アミルからも言ってるはずだけど」
「止めることはできないんでしょうか? あるいは、遅らせることは」
「多分、無理だろうね。と言うより、やるべきじゃないね」
「その理由は?」
「理由は2つ。1つは、方舟のこと、動作原理とかだけど、何も判ってないんでしょ? 下手に触って方舟が機能停止したら、誰も助からないよ」
「それは、確かに。十分な時間があればともかく、1季足らずでは調査が進むとは思えませんし。もう1つの理由とは?」
「方舟が40日で世界を離れるってことは、世界の寿命がそこまでなんだよ。多少の猶予はあるだろうけど。つまり、方舟の出航を遅らせると結局、世界の終焉に巻き込まれることになるんだよ」
「……解りました」
セクレットはアークの言葉を脳内で反芻すると、アークに敬礼して急ぎ足で立ち去った。
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アークがタイムリミットを示したことで、政府の動きも加速した。
国内に出現した方舟は8隻、それに対して国民は約500万人。1隻の方舟に62~63万人の国民を乗舟させる必要がある。単純計算で、1日に1万人以上を乗舟させ、なおかつ先に乗った人々には舟内で1季近く生活してもらわなければならない。
さらに、獣もある程度の数を乗せ、その餌も用意しなければならない。政治家も官僚も、てんてこ舞いだった。
政府はいくつかのシンクタンクに出していた、方舟乗舟計画案の作成依頼に方舟の出航時期を加え、さらに提出締切を2日後に前倒しした。そんな短期間ではまともな計画など作成可能とも思えなかったが、できなければ世界と共に滅ぶしか道はない。いや、そう断言しているのはアークだけなのだが、創世神話の通りに方舟が出現した以上、笑い飛ばすこともできない。シンクタンクの研究員たちも、死ぬ気で計画を立案した。
同時に政府は、アークのタイムリミットに関する見解を世界中の各国政府にも伝えた。しかし、支援はしない。何しろ自国のことだけで手一杯だ。情報の共有はできても、それ以外の協力はお互いに不可能だった。
もっとも、アークと同じように推測していた者は他国にも当然存在したので、タイムリミットについては共有するまでもなかったかも知れない。
シンクタンクの計画草案の提出を待つまでもなく、政府は軍や民間の事業者も使って方舟への乗舟の準備を進めた。何しろ、時間がないのだ。
上層の区画には大量の仕切り板が運び込まれ、家族4人が一時的に生活できる程度のブースに仕切ってゆく。
中層の区画はもっと広いブースに区切られ、保存食や獣の餌、それに植物の苗木や種子が格納される。
下層には獣の檻が設置されてゆく。ほかに、重機や建設資材なども下層に運び込まれる。
方舟の各層の天井は正体不明の技術で光を放っていたため、獣を搬入する予定の下層には、光を遮る仕掛け──暗幕程度のもの──も用意された。人の入る上層の区画では、ベッドにカーテンを付けた。
国民に対しても、現状は避難の準備を整えていつでも避難可能な状態にしつつ、次の指示があるまでこれまで通りの生活や仕事を続けること、次の指示は数日の内には行われる予定であることが、告知された。
混乱も多少は起こったが、警察と、一部は軍も動いて大きな騒ぎになることもなく抑えられた。
そして政府から依頼されたシンクタンクのいくつかが乗舟計画を提出したその日、方舟に次の変化が起きた。
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「教授、方舟の外に、また変化が現れました」
「んー? アミルからは何もないけど。これから何か言ってくるかな」
「おそらくそうでしょう。とりあえず、軍の定点カメラをご覧にください」
「はいはい」
アークはキーボードを叩いて、方舟を映しているカメラの映像を映した。
「なるほど……。赤いラインの下に青いラインが現れた、と。長さは赤いラインの10分の1、今は9分の1かな、その長さ、と」
「はい、見ての通りです。これについて、見解をいただきたいと」
「ふむ」
アークは顎に手を当てて考えた。今まで方舟に関する事柄については考える時間をかけずにほとんど即答してきたアークにしては、珍しいことだった。
「えっと、2つ質問していい?」
開かれたアークの口から出たのは、答えではなく問だった。
「はい、どうぞ」
「これはほかの方舟でも同じことが起きてる?」
「いいえ。今後は解りませんが、現時点ではこの1隻だけです。他国のものはまだ解りませんが」
「ふむ。次の質問。資材の搬入が一番進んでいるのは、この方舟だよね?」
「はい。首都に一番近いこともあって、ここが一番進んでいます」
「それなら、決まったようなもんかな」
アークは頭の後ろで手を組み、椅子に背を預けた。
「それは?」
焦らすような態度のアークを、セクレットは急かした。
「積載量だね」
「積載量?」
「うん。質量か、容積か、それとも別の何かを検知しているのかは解らないけどさ、モノを詰め込むと青いラインが伸びていくんだと思うよ」
「……それが伸びきると、どうなると予想されますか?」
「多分だけど、あの青いラインが最大まで伸びると、時間を待たずに、つまり赤いラインが残っていても、方舟は出航すると思う。あるいは、出航まではしなくてもハッチは閉じるだろうね」
「……過積載を防ぐため、ですか」
「うん。創世神話はボクたちを生き延びさせようとしている。なら、危険は出来る限り排除しようとするんじゃないかな。過積載で出航できなかったら大変だし」
「解りました。そのように報告を上げておきます」
「よろしく。アミルから問い合わせが来たら同じように言っておくよ。軍から政府に報告する方が早いかも知れないけど」
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その後、国民の乗舟も本格的に始まり、他の方舟の状態も観測した結果、青いラインが積載量を示していることは確認された。厳密に調べている時間はないので、何を基準として積載量が計算されているのかは判らない。
乗舟は、基本的には家族単位で、第三次産業の従事者から進められた。次に第一次産業従事者、第二次産業の従事者と続く。食糧、特に保存食の生産に従事する人の乗舟は後ろに回し、可能な限り大量の食糧を確保する。
建材などの資材も同様。新天地でできるだけ早く安定した生活基盤を確立できるよう、大量の資材が必要と予想された。
乗舟を拒否する国民について、政府は乗舟を強制しない方針をとった。見捨てたと言うより、複数のシンクタンクから提出された計画案に、『乗舟の人数は人口の50~70%とすべき』と、数値のばらつきはあれど共通して提案されたためである。
創世神話に伝えられた通りに方舟が出現したものの、それを以って世界が滅ぶことや、新天地に辿り着けることの証明にはならない。国民全員を方舟に乗せるのはリスクが高い、というのが各シンクタンクの判断だった。
政府はその提案を採用するとともに、乗舟を拒否する国民とのいざこざから逃避した。
しかし、政府のその本音を責めることはできないだろう。何しろ、僅か数十日で世界が滅びると宣言されているのだから。
時間が迫る中、旅立ちの準備は可能な限り迅速に進められた。
■作中に出てきた単位の解説■
時間の単位:
1年=8季
1季=6旬
1旬=8日
1 季≒1ヶ月
1 旬≒1週間 の感覚です。
日本と単位が違うので、例えば3旬と言っても感覚として3週間の場合と2週間(=半月)の場合があります。そのあたりの感覚は、ルビで察してください。