3-003 方舟へ
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「瘴期をどう抑えるつもりなんだ? 瘴期じゃなくて瘴気か」
「星全体に結界を張るの」
「そんなこと、可能なのか? レーヌの魔力の範囲は2~3テックが限界なんだろ?」
「だから魔鉱石を地下に埋めて使うんだよ」
「そういや、魔女は魔鉱石で結界を張ってたっけ」
「うん。それの規模を星全体に広げるの」
「それにしたって、埋めた魔鉱石の距離、1000テック越えてないか?」
「それをなんとかするのが『創世の書』よ」
「……『創世の書』様々だな」
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「アーク、いるか」
「やあ、いらっしゃい。ドアはボクがいないと開かないよ」
研究室に入って来たアミルの声に、アークはディスプレイから頭を上げてのんびりと答えた。
「みんな忙しくしているのに、お前は相変わらず暇そうだな」
アークの態度に、アミルは言った。嫌味っぽくなってしまうのは仕方がないだろう。方舟が現れ、アークがマスコミに出演して世界の終焉を吹聴してから2日、国中、いや、世界中が、蜂の巣を突ついたような騒ぎなのだから。
それでも、大きな暴動などが起こっていないのは、画面に映るアークがあまりにも呑気だったこともあるが、政府がすぐに軍を派遣して国民を抑えためだ。
「俺が説得した議員が率先して動いてくれたから軍もすぐに動けたけど、お前がマスコミに出たせいで大混乱だよ」
「そうかな? むしろ混乱は少ない、って言うか解りやすくなったんじゃない? ボクがああ言わなかったら、方舟を巡って何十何百も解釈が出て、それこそ混乱してたはずだよ。
でも、今の混乱は、方舟に乗るべきか乗らざるべきか、くらいのもんでしょ」
「……確かに、それはそうなんだがな」
大騒ぎにはなっているが、大局的にはアークの言うように単純な構造になっている。目に見えないところでは、それこそ無数の混乱があるのだろうが。
「それで、今日は何の用? ボクのところにもいろいろ問い合わせが来てて、対応で忙しいんだけど」
暇そうなアークは、目の前のディスプレイを突ついて言った。
「お前のところに来るのは、ほとんど無視しても問題ないものだろ。で、今日の用事なんだが、明日にもお前に方舟に乗って欲しいんだとよ。政府からの正式な依頼だ」
アミルは封筒をアークに渡した。
「今時、紙での連絡なんて珍しいね」
「政府からの正式の依頼は、今でも全部、紙面だよ」
「へえ。知らなかった」
言葉を交わしながらも、アークは受け取った封筒の封を破って内容を確認した。
「然るべく速やかに方舟への搭乗を依頼する、か。アミルも内容は知っているんでしょ?」
「まあな。それを読んではいないが、内容は聞いてる」
「じゃ、今まで通り政府との折衝はアミルがやってくれると思っていいの?」
「不本意ながら、な。お前に任せるよりは、マシだ。ったく、俺はただの政治・経済学者に過ぎないってのに」
アミルは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべつつ、こいつが椅子に座っているのに何で俺は立ったままなんだ?、という気持ちがムラムラと湧いて来て、コーヒーをカップに入れてソファーに座った。
「相変わらず美味いな、ここのコーヒーは」
「ボクのお気に入りだからね。結構高いんだよ。
それでこの要請、依頼か、了承するよ。明日にでも乗ればいい? あ、外とネットワークは繋がるんだよね?」
「ああ。持って行くものがあればまとめておけ。担当の者に運ばせる」
「いいよ。大した物はないから自分で持ってくって」
「そんなわけにはいかないんだよ」
アミルは、アークに乗舟の手順を説明した。
まず、方舟の後方に設けられた演台で一言挨拶。その後、開いている方舟後方の広いハッチからスロープを歩いて乗舟し、中で自動車に乗って上層に登る。
「乗る時は撮影しているから、精々愛想良く手でも振っておけよ」
「ええ、そんなことしなきゃならないの?」
「文句を言うな。お前がマスコミに出たから、安全性をアピールするにはお前が目立つのが最適なんだよ。勝手なことをした報いと思って、それくらいは受け入れろ」
「はぁ、仕方ないなぁ」
アークは肩を落とした。早々に方舟に乗せられることは考えていたものの、極限まで簡略化されているとはいえ、セレモニー紛いのものまでやることになるとは予想していなかった。しかし、それも数ミールのことだ、と諦める。
「じゃ、準備はしとくよ。この端末も持ってっていいの?」
「政府で用意してるぞ?」
「やっぱり、使い慣れたものの方がいいからね」
「解った。あまり大きい物は無理だが、その端末くらいなら問題ないだろう。じゃ、時間の詳細は後で連絡する」
アミルは、カップに半分以上残っていたコーヒーを一気に飲み干すと、カップを手早く片付けて研究室を出て行った。
「いいコーヒーなんだから、もっと味わって飲んで欲しいなぁ」
アークはどうでもいいことを呟いてから、準備のために椅子から立ち上がった。
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翌日、予定通りにアークは方舟の元に来た。護衛付きで。大袈裟じゃないかとアークは思ったものだが、創世神話研究の第一人者として、彼の知らない所で重要人物になっていた。
(ボクなんかいなくても、方舟は勝手に新天地に舟出するんじゃないのかな)
護衛の兵士を鬱陶しく思いながら、アークは考えていた。
垂れ幕で造りの雑さを隠した演台に、アークは立った。目の前にはマイクが1本、そして1台のカメラがアークに向いている。他にも何台かのカメラが、多方向からアークを映し、別のカメラは方舟を狙っている。
あまり時間をかけないように言われているので、アークはさっさと済ませることにした。
「みなさん、こんにちは。えーと、ボクはこれから方舟に乗舟します。方舟から下りるのは新天地に着いてからになるでしょう。それではみなさん、新天地でまた会いましょう」
あまりにも簡単すぎる挨拶だったが、近所まで買い物に行くが如きアークの軽い態度は、画面の向こうでこの中継を見ている人々の不安を、多少なりとも軽減した。アークはそんなことを考えもしなかったが。
演台を下りたアークは、開いたハッチが作る緩い勾配のスロープを登って方舟の内部へと向かう。護衛の兵士が後に続く。しばらく歩いたところで、後ろを歩いていた女性兵士に耳打ちされて、アークはカメラに顔を向け手を振った。
(茶番だよなぁ)
内心でそんなことを思いながらも、アークは外が見えなくなるまで手を振り続けた。
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「本当に何もないんだねぇ」
方舟の中に入ったアークは、中で待っていた軍用車輛に乗って、上方へと向かって舟内のスロープを登っていた。スロープの幅は150テールはあり、余裕を持って運転できる。
「はい。方舟の中は何層にも分かれていますが、それだけでした。床と天井とスロープが構造物のすべてと言っても過言ではありません。現在、最低限の生活ができるように、簡易トイレや簡易シャワーなどを運び込んでいます。また、獣を入れる檻も用意しています」
外のスロープで、アークに耳打ちした、セクレットと名乗った女性兵士が言った。まだ方舟には乗り込まないアミルの代わりに、方舟の中では彼女が連絡役を務めるらしい。
(ボクなんてもう不要なんじゃないかな)
そう思いつつも、方舟の中で愚痴を零す相手が誰もいないというのも寂しいので、アークは文句も言わなかった。
「制御室とか管制室みたいな場所も見つかってないんだよね」
確認するようにアークは聞いた。その情報はすでに聞いていたので、本当に確認に過ぎない。
「はい。各層はいくつかのブロックに仕切られてはいますが、本当に何もありません。広い空間だけです」
だからこそ、2日とかからずに軍は方舟の隅々まで調査を終えていた。
各層は、上に行くほど天井が低い。そのため、上層には人間を、下層には動物や重機などを入れる予定だ。
「あの……聞いてもよろしいでしょうか?」
今度はセクレットからアークに声を掛けた。車輛には、運転手を含めて他に4人の兵士が同乗しているが、彼らは完全に空気になっている。
「うん、いいよ。答えられるかは保証できないけど」
「はい。その、本当にこの方舟が我々を新天地に運んでくれるのでしょうか?」
「うん。創世神話によれば、それは間違いない」
アークは言い切った。
「ですが、方舟には動力となるものが一切見当たりません。どうやって動くのでしょう?」
「キミもさ、方舟がどう現れたか知ってるでしょ?」
数は多くないものの、方舟の出現を捉えた動画がネットワーク上に流れている。当然、アークもそれを見ていた。
「はい、見ました」
「方舟は、空中に突然現れ、それからゆっくりと地上に下りたよね。“落下”したわけじゃなく、明らかに制御された動きで“降下”していた。つまりは、方舟にはボクらの知らない制御技術があるってことだよ」
「そのようなものに、我々の安全を預けて大丈夫なのでしょうか?」
「うーん、技術屋は不安かもね。でも、ボクの専門は考古学と歴史学だからね。不安はないよ。それより、方舟は人類全部が乗れるキャパはあるのかな?」
「はい。まだ発表はありませんが、1つの方舟にざっと100万人が乗れると見積もられています。我が国だけでも8隻、全世界で150隻の方舟が出現したとのことなので、全人類が乗れる計算です」
「そう。でも100万人かぁ。舟出までにそれだけ集められるかな」
「政府と軍で、全力を尽くしています。ただ、方舟に乗ることを拒絶する人が出ることも予想されています。そのような方をどうするか、まだ対応は決まっていません」
「うーん、そう言う人は放っといていいんじゃないかな」
「は?」
アークの言葉に、セクレットは目を丸くした。
「見捨てろ、と仰るのですか?」
「うん。そういう人を1人説得するより、乗りたい人を10人誘導する方が理に適っていると思うんだ。まあ、こんな無責任なことを簡単に言えるのは、ボクが政治家じゃなくて国民に対する責任はないからなんだけどさ」
セクレットは微妙な表情でアークを見たが、しかし自分の仕事はこの男の連絡係に過ぎない、と気持ちを改め、アークの思想には触れないことにした。
会話が途切れた後も、車輌はスロープを静かに登って行く。




