2-014 逃亡
レーヌとロイは、全力で走った。ロイがちらっと後ろを見ると、レーヌが壁に開けた小さい穴を通り抜けた何人かの兵士が追って来るのが見えた。
走りながら、ロイはレーヌから『転移の鞄』と『星球儀の杖』を引ったくり、体力の少ないレーヌの負担を減らした。
それでも遅れそうになるレーヌを気にかけつつ、また後ろを窺うと、門から回って来たのかウマに乗った兵士が数人、駆けて来るのが見えた。
(くそっ)
今は距離があるが、ウマで追われたらすぐに追いつかれてしまう。その焦りが、ロイに悪態を吐かせた。
レーヌも焦っていた。ロイ1人なら、そして身軽になれば、逃げ切れるかも知れない。しかし、ロイは自分を置いて逃げるようなことは絶対にない。だからレーヌは余計なことは言わず、一心に走った。周りに意識を配りながら。
そのレーヌの瞳に、小高い丘とその向こうの森が映った。余計なことを考えている時間はない。
「ロイっ。手をっ」
走りながら、ロイに向けて手を差し出す。その時には、今もロイが持っている魔鉱石の魔力を操作し、自分の身を包むとともに丘の先へと伸ばす。自身の魔力は、鉱脈への充填と壁の破壊で使い切っていた。
ロイは、おそらく魔力を使い果たしているレーヌが何をするのか、しかとは解らないものの、こんな時に無駄なことをする性格ではないことも理解している。手を触れる必要があるということは恐らく瞬間移動だろうと想像しつつ、速度が落ちるのも構わず、伸ばされたレーヌの手を握った。
レーヌはすぐにロイの体内に魔力を通し、伸ばしていた魔力を使って追手の死角となる丘の先へと瞬間移動する。
走りながらの瞬間移動だったが、予期していたために2人とも転倒するようなことはなかった。
「ロイ、あの森に」
「解った」
レーヌとロイは丘のすぐ先、2人の40テナーほど前方に見える森へと走った。瞬間移動で丘の陰に隠れたので、いくらウマに乗っていても、追手もすぐには2人を捕捉できないだろう。その前に、森の中へ入り込めれば、逃げ切れる確率はかなり上がる。
森へと辿り着いた2人が後ろを振り返った時、追手の影はまだ見えなかった。
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レーヌとロイは、森の奥へと分け入り、大木の根元に座ってようやく一息吐いた。
「レーヌ、魔力は?」
体力の方は、崩折れるように座った様子や荒い息を見れば、嫌でも解る。
「ほとんど回復してない。さっきの瞬間移動で使った魔力も、急いでたからほとんど回収できなかったし」
レーヌは『無限の水差し』から水を飲み、喉を潤し息を整えながら言った。
「大丈夫か?」
「うん。とりあえず1ミックも休めば、体力も魔力もある程度は回復するよ」
ロイは、その言葉を素直に信じることはできなかった。
魔力の方は、人並み外れた膨大な魔力量を誇るレーヌのことだから、1ミックで並の魔術士程度には回復するかも知れない。しかし、体力の方はそうもいかないだろう。短距離を歩いたり、短時間走るくらいには回復するだろうが、長時間移動を続けるには一晩は休まなければなるまい。
「しばらく休んでろ。追手がないか、確認して来る」
「うん。見つからないように、あと、迷わないように気をつけて」
「解ってる」
ロイは荷物を地面に置き、さらに懐から魔鉱石を取り出した。2個。1つは、レーヌが魔力を込めていた、今は空になった魔鉱石。もう1つは、以前レーヌに言われてロイが自分の魔力を込めた魔鉱石。
「これ持っててくれ。オレも5テナーくらいなら、自分の魔鉱石の魔力は解るから」
「うん。わたしも魔力回復したら、また込めとこ」
「無理すんなよ」
ロイはレーヌを置いて、森の外へ向けて歩き出した。エンファンの館を囲んでいた砂漠の中の森と違い、木々の太さはまちまちだし、太い木の根が地面をのたうっているので、歩きにくい上に気をつけても迷う可能性が高い。
しかしロイは、木の幹を斬りつけるような目立つ道標を付けることはしなかった。万一、村の兵士たちが森に分け入って来た場合、道標を付けていたらレーヌとロイの逃げた方向を教えるようなものだ。
ロイは、魔鉱石の魔力が感じ取れる間は周りに気を配りながら歩き、その後は目立たないように細い枝を折るだけに留めた。この程度ならば、森の中の獣により折られたものと区別するのは困難だろう。
30テナーほどレーヌから離れて、森の中に人の気配がないことを確認したロイは、レーヌの元へと戻ることにした。本当は森の外が見える辺りまで偵察に出たかったが、レーヌは今、魔力も使い切り、身体も疲弊している。凶暴な獣に襲われでもしたら身を守ることも困難だろう。追手も気になるが、レーヌの身も気になる。
ロイは、十分とは言えない偵察を早々に終えて、レーヌの待つ大木へと戻った。
レーヌは荷物を降ろし、地面に敷いたマントに座り、大木の幹に背中を預けて体力の回復に努めていた。
「どうだった?」
戻ったロイに、レーヌは聞いた。
「森の中には入って来ている様子はない。上手く逃げ切れそうだ」
「良かった。それじゃ、今のうちにご飯にして、交代で眠っておこうよ」
何しろ、一晩中起きたままなのだ。体力が回復したとしても睡魔に襲われては敵わない。
火を使うわけにはいかないので、2人は燻製肉を魔術で温め、村で入手した野菜を切って肉と一緒にパンに挟み、簡単に食事を済ませると、まずはそのままレーヌがマントに包まって眠りに就いた。
レーヌもロイも、村での騒動があったお陰で大切なことをすっかり忘れていた。2人が逃げた方向とは微妙にずれてはいても、概ね同じ方角であるこの森を、通常であれば追手が捜索範囲に入れないわけがない。
しかし、レーヌもロイも夜を徹しての逃亡で疲労していたため、普段は常に気にかけているそのことに思い至らなかった。
単に、見失った位置からこの森まで短時間で移動するのは無理だと兵士たちは判断したのだろう、と都合良く解釈したロイは、眠るレーヌの傍で見張りを続けた。
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レーヌが眠りに就いてから間もなく2ミックという頃。レーヌの横に置いてある荷物の1つ、鳥籠。その中の小鳥が、突然暴れ出した。
「何だっ!? あっ、瘴期っ」
前回の瘴期から10日。そろそろ次の瘴期が来ることを、レーヌもロイも、すっかり忘れていた。
「レーヌっ、起きろっ、瘴期だっ」
ロイはすぐにレーヌを起こした。結界を張らないと、ロイとレーヌも破壊衝動に呑まれてしまう。そうなったら2人とも無事ではいられない可能性が高い。
「んえ、しょ、瘴期?」
レーヌはすぐに目を開け、擦り、そして飛び起きた。すぐに魔力を展開、結界を張る。
「魔力は大丈夫か?」
ロイが心配して聞いた。
「うん、それなりに回復したから、結界を張るくらいは問題ないよ。それよりロイは? ずっと寝てなくて大丈夫?」
「今はまだ、な。これから半日起きたまま、ずっと気を張っているのは、正直、きつい」
ロイは見栄を張ることなく、正直に言った。
「だよね。わたしも眠らせてもらったからロイよりマシだと思うけど、半日も結界を張りながらずっと起きていられるかどうか……」
レーヌも自信なさそうに言った。
「不味ったな。追手がしつこくなかったのはこれが理由か。瘴期が始まる前に村に戻ったんだろう」
「あの村には常時結界があるからね。ロイっ」
レーヌが言うのと同時に、木の上から襲い掛かって来た小動物を、腰の剣を一閃させて斬り伏せるロイ。
「確か、瘴気に中てられた獣は生命力に引き寄せられる、んだったか?」
ロイは剣から血を払い、鞘に納めながら言った。
「仮説だけどね。でもどうしよう。瘴期が終わるまでこのまま対応するのは無理だよね……」
「そうだよな。何か方法を考えないと……」
しかし取れる手段は多くない。レーヌはすぐに心を決めた。
「ロイ。取り敢えず寝て。2ミック経ったら起こすから。その間にわたしは獣に備えて結界もなんとかしておくから」
「……なんとかできるのか? レーヌだって魔力も完全には回復していないんだろう?」
「大丈夫。さっきまで休ませてもらったから、2ミックくらいは大丈夫」
「……解った。でも、何かあったら時間にならなくても起こせよ」
「解ってるよ」
それ以上無駄なことは言わず、ロイはマントに包まって横たわった。
それを確認すると、レーヌは自分が休む時の準備にかかった。通常、意識のない状態で結界を維持することはできない。ロイとの交代に備えて、対策しておく必要があった。
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「ロイ、起きられる?」
「んあ? 交代か?」
レーヌに揺すられて、ロイはすぐに目を覚ました。
「うん。この森、大型の獣はいないみたいね。小さいのは何度か襲って来たけど、大きいのは来てないから。これから来ないとも限らないけど」
「そうか。襲って来た獣は?」
「みんな電撃で倒した。強めにやったから、みんな死んでるはず」
「そうか」
1人の時に、まとめて息を吹き返されたら堪らない、とレーヌも容赦しなかったのだろう。そう納得したものの、レーヌにしては思い切ったな、とロイは思った。
「それで、結界は?」
「対処したよ。あの4本の木に囲まれた中なら大丈夫」
レーヌは、自分たちを中心にした4本の木を指差した。ロイが目を凝らしてよく見ると、それぞれの木に金属板が刺さっている。
「あれは……そうか、あの村や、魔女のいた村と同じか」
「うん。お婆さんから貰った魔鉱石と魔鋼板を使って結界を張ったの」
「それで、この範囲なら問題ない、か。外に出ても、すぐに戻れば瘴気に呑まれることはないんだよな」
「うん。でもあんまり外には出ないでね。身体から瘴気が抜けるのだって、それなりに時間がかかるんだから」
「解ってるよ。じゃ、レーヌはまた寝てろ。2ミック経ったら交代だ」
「うん、よろしく」
ロイに警戒を任せて、今度はレーヌがマントに包まった。実のところ、魔鉱石および魔鋼板を使った結界の生成と、襲って来た小動物の撃退で、大部分の魔力を使い切っていた。
疲弊した魔力を回復するため、レーヌは意識して眠ろうとした。体力的にも疲れ切っていたレーヌはすぐに眠りに落ちた。
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その後もレーヌとロイは、2ミック交代で警戒と休息を続け、なんとか瘴期を切り抜けた。
「何とかなったな」
「うん。次はタイミングを忘れないようにしないとね」
「ああ。今夜は休んで、朝になったら出発しよう。さすがに、夜中に森に入って来る奴はいないだろう」
「そうだね」
2人は食事を摂ると、今度は長い交代時間で代わる代わる睡眠をとった。
■作中に出てきた単位の解説■
距離の単位:
1テナー≒10メートル の感覚です。
時間の単位:
1ミック≒1時間 の感覚です。