2-013 脱出
レーヌとロイは、できる限り早く、この村を出ることにした。夜が明けると、2人の持ち物が調べられる。そうなれば、荷物がばらばらにされるかも知れないし、何より『無限の水差し』や『転移の鞄』などの神器の存在も明らかになる。2人を丁重に扱うとは言っていたものの、神器を見てその秘密を知らずに済ませられるかどうかは未知数だ。それを考えると、この夜が明ける前に村から出た方がいい。
「荷物があるのはどの辺りなんだ?」
「えっと、館の一階の中心から少し北東寄りかな。“陛下”って呼ばれてた偉そうな人と会った所からずっと追ってたから、入口までの道は解るよ。あ、でも入口は跳ね橋が上がっちゃってるか」
「知らない通路は通らないほうがいいだろうな。連れて来られた通路を戻ろう。跳ね橋は着いてからなんとかしよう。こことその部屋の間にも結界……魔力障壁はあるんだろう?」
「うん。ここに来るまでにも何層か魔力障壁を抜けたから」
「それは問題ないんだよな?」
「とりあえず、わたしの魔鉱石の場所まではね。魔力障壁は無関係に瞬間移動できるよ」
「あとは出たとこ勝負しかないな。なら、すぐに行動に出るか」
「うん。行くよ、ロイ、手を出して」
ロイの差し出した手をレーヌは握り、ロイの体内に魔力を流し込む。同時に、魔鉱石の魔力を意識し、その魔力を部屋の中へと広げる。次の瞬間、レーヌとロイの身体は地下牢から消えた。
「荷物は全部ある、な」
出現した小部屋で、ロイは荷物を簡単に検めた。
「大丈夫みたい。買ってきた野菜なんかも入ったままだね」
「よし、支度をしてすぐに出よう」
2人は腰に『無限の水差し』をつけ、荷物を背負い、マントを羽織った。ロイは剣を腰に佩き、レーヌは『星球儀の杖』と『転移の鞄』を持つ。
「鞄はオレが」
そう言うロイを、レーヌは制した。
「ううん、この村を脱出するまではわたしが持ってるよ。盾代わりに使えるって言っても剣を振りにくいでしょ」
「……解った。頼む」
装備を整えると、2人は扉の前に立った。
「気をつけて。扉の所、結界がある」
「ああ」
ロイはノブを静かに回して、少しだけ扉を開いた。
「こんなもんか?」
「うん。ちょっと待って」
レーヌは『転移の鞄』を床に置き、魔鉱石を取り出した。
「レーヌ、それじゃ効率が悪い。魔鉱石はオレが持つよ」
「あ、うん、お願い」
レーヌは魔鉱石をロイに渡し、鞄を持った。ロイは扉の隙間から、廊下へと魔鉱石を転がす。
「……どうだ?」
「ちょっと待って」
魔鉱石からレーヌは魔力を広げ、廊下を探った。
「取り敢えず、次の曲がり角までは誰もいないね。反対側も無人。じゃ、行くよ」
再び2人は、瞬間移動する。狭い部屋の中から廊下へと。ロイが廊下に転がっている魔鉱石を拾った。
結界を物理的に通り抜けると、結界を張っている者に気付かれる可能性がある。その危険性を最小限に抑えるため、結界を抜ける時には小さな魔鉱石だけを転がし、身体は瞬間移動で抜けることにした。これで、“敵”に気付かれる可能性は最小限に防ぐことができる。
尤も、腕のいい魔術士であれば物質だけでなく他人の魔力も感知できるので、気休め程度と割り切っている。結界がそこに存在することを確認するには、魔力で触れる必要があるのだから。
2人は、記憶を頼りに館の廊下を進んで行った。深夜のためか、人はほとんどいない。時々、見回りの兵士が歩いていたが、結界に遭遇するたびに魔鉱石を転がして行く先の確認をしている2人にとって、やり過ごすことはそれほど手間ではない。
しかし、館の入口の扉はそうもいかなかった。扉はしっかりと閉じられ、さらに不寝番らしき兵士が2人、控えている。
「あの先が跳ね橋だったよな」
「うん。あそこの扉のとこにも結界はあるね。どうしよう。2階の窓とか探そうか。そこから外に魔鉱石を投げれば」
「通路が判らないから時間はかかるかもな。そもそも、もう夜が明けるんじゃないか?」
「ここまで慎重に来たからね。今から2階の窓を探してたら明るくなっちゃうか。じゃあ……」
「強硬突破、かな」
「どうやって突破するか考えないと」
レーヌとロイは、手早く作戦を相談した。
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「こんばんは~」
両手で鞄と杖を持ったレーヌが、館の入口の不寝番に向かって歩いて行った。
「何だ、お前は」
暗がりから突然現れたレーヌに、不寝番の2人は座っている椅子から立ち上がった。レーヌの姿は旅装束、普段からそのような格好をしている者は館にはおらず、旅に出るにしてもまだ陽も昇らないうちから1人で出掛ける者がいるわけもなく、不審を持たれるに十分だ。
「お勤め、ご苦労様です。えっと、扉のあっちでも番をしている人いるんですか?」
レーヌは無邪気に質問する。
「ん? あ、まあ、そうだが」
不審を抱きつつも、不寝番の1人がレーヌに答えた。レーヌの虫も殺さぬ態度がそうさせたのだろう。
「そうですよね。跳ね橋のところにもいるんですよね?」
「ああ」
「あとはこの扉と跳ね橋の間に庭がありましたっけ。あと跳ね橋の横は城壁になってたから、その上にもいるのかな?」
「まあ、そんなところだ」
「おいっ、喋りすぎだっ」
もう1人に叱責されて、不寝番の男はハっとした。これ以上は情報を引き出すのは無理だろうと、レーヌは2人に判らないように、暗闇に合図を送る。
「じゃ、わたし外に出るので、扉を開けてください」
「朝までは何人たりとも出入り禁止だ。お嬢ちゃんも部屋に戻りなさい」
「そういうわけにもいかないんですよね。さっさと旅を続けたいし」
「旅? そういえば今日の通達で……」
不寝番は最後まで言うことはできなかった。レーヌに気を取られている間に、暗闇から2人の死角に入り込んだロイが、不寝番の男の後頭部を剣の柄頭で思い切り殴ったからだ。男は微かに呻いて床に伸びた。
「何者っ!?」
もうひとりの不寝番がロイを振り返りつつ腰の剣に手を掛ける。しかしその男も、鞄を落としたレーヌが振り上げ、振り下ろした杖にしこたま頭を殴られて、気絶した。
「ふう、何とかなったね」
「ああ。ここからはスピード勝負だ。行くぞ」
「うん」
ロイが、大きな扉に掛けれた重い閂を外そうと手を掛ける。
「ロイ、待って。こっちに小さい扉がある」
レーヌの言うように、大扉の横に人1人が通れるほどの幅の、小さな扉があった。小さな閂を外すと、簡単に開いた。
ロイは扉の隙間から魔鉱石を外に向けて投げた。狭い扉を1人ずつ抜けるのは危険だ。レーヌと手を繋ぎ、瞬間移動で外に出て、すぐに魔鉱石を拾う。
「誰だっ」
「どこから現れたっ」
2人の気配を察した不寝番たちが4人、周りを取り囲む。
「ロイっ。こっちは抑えるっ。ロイは跳ね橋をっ」
「ああっ」
ロイは跳ね橋までの1テナー弱の距離を一気に駆け抜ける。それを制止しようとした不寝番の身体と剣は、レーヌの張った物理障壁に弾き飛ばされた。
レーヌのサポートを受けたロイは、不寝番たちに邪魔されることなく跳ね橋に駆け寄り、抜いた剣を魔力で強化、さらに腕の筋肉も強化して跳ね橋を斬り付ける。何も起きないかに見えた跳ね橋だったが、ロイが足を上げて蹴り付けると、穴が空いた。
続けて剣を左手に持ち変え、右手に握った魔鉱石を跳ね橋の向こうに思い切り投げた。館を囲む堀の幅は僅か20テールほど。魔鉱石は軽々と堀を越えた。
「レーヌっ」
「うんっ」
物理障壁で不寝番たちを抑えていたレーヌは、瞬間移動でロイの傍に飛び、すぐに彼の手を握って連続瞬間移動、ロイの投げた魔鉱石の位置へと現れた。
2人は魔鉱石を回収し、すぐに走り出す。
「レーヌ、鞄をっ」
「あ、うん、ごめんっ」
「気にするなっ」
レーヌはロイに『転移の鞄』を渡した。レーヌが持っているとロイに遅れてしまう。魔術で浮かせればいいのだが、村中に張られた魔力障壁のためにそれがやりにくい。手で持ったままでいるのが確実だった。
夜の闇に、鋭い笛の音が鳴り響いている。すぐに追手がかかるだろう。追いつかれる前にやることを済ませて村を出たい。
館の周りの壁と、村全体を囲む壁の上に、松明の灯りが増えてゆく。
徐々に明るくなってゆく中、レーヌとロイは村の出口とは別の方向へと、建物の間を駆けて行く。
村の中の道は入り組んでいる上に、そこら中に魔力障壁が張り巡らされているので先を見通すこともできない。それでも、レーヌとロイは追手の目を逃れながら、時々袋小路を戻りつつも、一先ずの目的地に向けて駆けて行った。
突然、目の前が開けた。
「ここかっ」
ロイが脚を止める。2人の前には、巨大なすり鉢状の黒い穴が空いていた。
「うん。ここ」
「ここからで大丈夫か?」
「……大丈夫、結界はないし、鉱脈の魔鉱石には魔力を込められてないよ」
「なら、さっさと終わらせよう」
「うん」
レーヌは魔力を伸ばし、広大な魔鉱石の鉱脈全体に自分の魔力を浸透させてゆく。
(これだけ広いと何日かかけたいところだけど……仕方ない、とにかく目一杯注いでおくっ)
レーヌは、自分の持つほとんどすべての魔力を魔鉱石に充填するつもりで、魔力を注ぐ。深い場所の魔鉱石には限界まで、地上に近付くごとにやや薄くして。
「ロイ、終わったよ」
「よし、すぐに脱出するぞ。こっちだっ」
ロイはレーヌに先行して、村の中の道を走り出した。
「ロイっ、どこ行くのっ?」
レーヌが聞いたのは、ロイの向かっている方向が気になったからだ。この村には東、西、南に門があった。しかし、ロイは魔鉱石の鉱脈の穴を迂回しつつ、北へと向かっているようだ。
「門はきっと抑えられているからな。門のない方が逃げやすいだろ」
「だけどどうやって……もしかして壁を壊すつもり?」
「あるいは飛び越えるとか穴を掘るとか、なんでもするさ。少なくとも、何十人もの剣士を相手にするよりは、多分マシだ」
確かにそうかも知れない。それに、門から離れて動いている現在、追手に見つかっていないと言うことは、村の兵力が門を抑えるように動いている可能性は高い。
もう一つ、館を出てからは魔力障壁を瞬間移動で抜けていないにもかかわらず、追手がこちらへ来ていないということは、結界を張っている魔術士は他人の魔力だけでなく物質も感知できないと考えられる。それならば、魔力による追跡はないものとして、2人が最も逃亡するとは思えない、村の北側を目指すことは理に適っているだろう。
しばらく村の中を走り回った末に、レーヌとロイは村の北北東辺りの外壁に辿り着いた。
「いたぞっ」
しかし、さすがにここまで来れば、壁の上にいる兵士に見つかる。そもそも、ここまで見つからずに来られたことが奇跡的だ。
「レーヌっ。壁を壊せるかっ?」
「魔力ほとんど残ってないけど、やってみるっ」
「任せたっ。追手は任せろっ」
ロイは『転移の鞄』をレーヌの傍に放って剣を抜いた。生け捕りにするよう命令でも出ているのか、矢を射かけては来ない。ロイはざっと周囲を見回し、追手が集まる前にと一番近い兵士との距離を一気に詰めて相手の右腕を斬りつけ、さらに隣の兵士の左腕と右脚を斬り、すぐに距離を取る。
ロイを警戒し、兵士たちは2人からある程度離れて半円形に取り囲む。
その間にレーヌは壁に手をつき、残った魔力を狭い範囲に流し込んで力に変える。ぼごっと派手な音を立てて、壁が崩れた。しかし、穴が空くには程遠い。
(駄目、魔力が足りない。もう少し残ってれば……)
レーヌは焦った。早くしないと兵士が集まって来て、今はロイの剣の腕を警戒している彼らも一斉に襲い掛かってくるだろう。
(こっちはわたしが任されたんだから、なんとかしないと……そうだっ)
レーヌは、ロイの持っている魔鉱石と、村の魔鉱石の鉱脈に意識を飛ばす。ロイの魔鉱石の魔力と、鉱脈に蓄えた魔力を使い、直径3テールほどの魔鉱石を手元に瞬間移動させた。
(この魔力があればっ)
つい先程蓄えた魔力を放出し、分厚い壁に浸透させる。そして一気に外に向かう力に変えた。
どがっ。
大きな音と共に、壁の一部が崩壊した。
「ロイっ」
それだけ叫んでおいて、レーヌは魔鉱石を放り出し、『転移の鞄』を引っ掴み、壁の穴から外へと飛び出す。ロイも、周りを囲む兵士たちに背を向けて、一目散に走り出した。
人1人が潜れる程度の穴から村の外へ出たレーヌとロイは、力の限り走り続けた。穴が小さいので、兵士たちは抜けるのに時間がかかっているようだ。
追いつかれる前に出来るだけ距離を取るべく、2人は息を切らせながら走り続けた。
■作中に出てきた単位の解説■
距離の単位:
1テナー=100テール
1テナー≒10メートル
1テール≒10センチメートル の感覚です。




