1-030 世界の真実
ロイとレーヌを案内したメイドは、大きな扉の前で止まり、ノックした。内側から扉を開けたのは、2人をこの館に招き入れた男だった。この館には男は──男性タイプの被造人間は──1人しかいないのだろうか。
男に招き入れられた部屋は広い円形で、天井が高い。3階まで吹き抜けになっている。2人が入って来た扉の部分以外は天井まですべて書棚になっており、無数の書物で埋まっている。
部屋の中には、正面の奥に大きな机が1つ、その手前に3脚の椅子に囲まれた丸テーブルがある。その椅子の1つに座っていた少年が、部屋に入ったロイとレーヌを見て立ち上がった。
「キミたちが、外から来た人間?」
2人がテーブルの近くまで行くと、少年が言った。見たところロイやレーヌより幼く、10歳前後だろうか。男たちと同じ輝くような生地の白い上衣を着て黒いズボンを履いている。キラキラと輝く襟足まで伸ばした金髪が美しい。翡翠色の瞳が興味深そうに訪問者を見つめている。
「エンファン様、初対面の相手にはまず挨拶するものです」
男が恭しい仕草で、しかし厳しく言った。
「ああ、ごめん、マジョルド。初めてのことだからさ。申し遅れてすみません。ボクはエンファン。ここで、神になるための修行をしている者です」
エンファンは、ロイとレーヌに丁寧にお辞儀した。彼の言葉からすると、男の名前はマジョルドと言うようだ。
「……オレはロイ。こっちはレーヌ。瘴期の原因を探して旅をして来た」
「初めまして。レーヌです」
ロイの不遜な物言いにも、レーヌの簡単な挨拶にも、エンファンは気分を害した風もなく、2人に椅子を勧めた。
ロイとレーヌはそれぞれ椅子に座り、エンファンも残りの椅子に座った。マジョルドは、エンファンの斜め後ろに控えた。
メイドがやって来てテーブルについた3人の前にグラスを置き、水差しから水を注いだ。食事の時と同じ水のようだ。
3つのグラスに水を満たすと、メイドは水差しをテーブルに置き、さらに菓子の入った籠を置いてから退出した。
「それで、キミたち、外から来たんだよね。死の砂漠を越えて。どうやって? どうして?」
エンファンは身を乗り出すようにして聞いた。無邪気なその様子に戸惑いつつも、ロイはここまでの旅路を話した。
「ふーん。瘴期に、瘴気か。そんな影響が出ているなんて。それってやっぱりアレが原因だよね?」
エンファンはロイの話を聞き、後ろに控えるマジョルドに聞いた。
「おそらく、エンファン様の推測の通りかと」
エンファンとマジョルドは瘴期の原因に、心当たりと言うよりも確信めいたものがあるようだ。しかし、ロイとレーヌにはそれが何か皆目わからない。
「アンタたちは、瘴期の原因が判っているのか?」
ロイの声に、エンファンは向き直った。
「推測でしかないけどね」
「教えてくれ。それが判れば解決もできるかも知れない」
「うーん、解決は無理じゃないかな」
意気込むロイに、エンファンは平坦な声で言った。
「どうしてっ」
「ロイ、落ち着いて」
レーヌの声で、ロイは自分がテーブルに両手をついて、椅子から腰を上げていることに気付いた。ロイは「すまない」と謝罪の言葉を口にして椅子に戻った。
エンファンは、微笑みを浮かべて言った。
「順を追って話した方がいいだろうね。キミたちには外の話も聞いたし、礼がわりに掻い摘んで話してあげるよ。
まず、ボクは純粋な人間じゃない。人間と、人間形態をとった神との間に生まれたんだ」
「あの、いいですか? 神って、子供を産めるんですか?」
神と呼ばれる生命が実在することは、村の一般教養として教えられる。しかし、見た者は誰もいない。
「うん。神は精神生命とか魂魄生命とでもいう生き物で、本来形はないんだけど、本神の思い通りの身体を作れるんだよ。それで、人間の身体を作った神がボクの父というわけ。
それで、ボクも神の血というか能力の一部を受け継いでいるんだけど、基本はこの通り、人間なんだ。神が人間態をとって子を成したからだろうね。
そうしてボクは生まれたんだけど、ボクの受け継いだ神の特徴の1つに、長寿がある。見た目ボクは子供だけど、これでももう、800年近く生きているんだ」
「800年……」
その時間の長さに、ロイもレーヌも絶句した。
「最初はまあ良かったけどね、だんだんと周りの人のボクを見る目が変わるんだよ。何しろ、10歳頃からずっとこの姿だろ? みんな、気味悪がったね。ボクを愛してくれた人たちはどんどん死んじゃうし。
だから、神域に帰っていた父である神が質域に来た時に頼んだんだよ。ボクを神域に連れてってくれって」
説明はなかったが、“質域”はこの世界で、“神域”は神の住む世界だろう、とロイとレーヌは想像した。
「だけど、ボクの願いは聞き遂げられなかった。と言うより、神域には神でないと行けないんだってさ。
でも、ボクは諦め切れなかった。だから父に聞いたんだ。神になる方法はないかって。
世界の歴史の中で、神と人間の混血は何人も産まれた。でも、神になった人間はいなかったし、父も方法を知らなかった。
それでも、神にできることをやっていけば、いつか神になれるかも知れない、と助言をくれた。父もあまり信じているようではなかったけれど、ボクはその言葉に縋ることにした」
エンファンは口を止めて、水を飲んだ。空になったグラスに、マジョルドが水差しから水を注ぐ。
エンファンは言葉を続けた。
「それでボクは、父が用意したこの星に来た。そして、父から与えられた課題……要は神にできることを、1つ1つこなしている。
そして、その課題の1つが、世界の創造だ」
「世界の創造?」
ロイが思わず、疑問を口にのぼせた。
「そう。これだよ」
エンファンが壁の書棚を見る。その中の1冊が書棚から抜け出し、宙を真っ直ぐに飛んでエンファンの手元に来た。それを受け止めたエンファンは、適当なページを開いてロイとレーヌに向ける。
2人はそれを覗き込んだが、知らない文字で埋め尽くされていた。
「これ、何ですか?」
「ボクの創った、いや、創っている世界だよ」
「創っている、世界?」
「そう。世界の創世から終末までを創っているんだ。この書に世界を綴っていくことで、世界が創られ、その世界に歴史が刻まれてゆく」
「え……この部屋の本、全部そうなんですか?」
レーヌが聞いた。
「そうだよ。1階部分だけね。上は、別の書物だ。これまで、600年くらいかかったよ。ようやく終末に差し掛かって、あと10年くらいで書き終わるかな」
エンファンの“終末”と言う言葉に、ロイは引っかかりを感じた。
「……もしかして、その本で創っている世界って、この世界?」
「その通り。この世界はボクがこの書に執筆を始めたことで生まれ、執筆を終えることで終焉を迎える。今、世界が終末に向かっているのはそのためだよ」
世界の真実を知って、ロイとレーヌは言葉もなかった。この世界が、書物に書かれた物語として成り立っているとは。
「そ、その、それなら瘴期はどうして起きるんです? 今のことが事実なら、瘴期はずっと続くか、そもそも起こらないか、どちらかでは?」
レーヌが聞いた。
「それは多分、書を執筆しているのが1日にだいたい1ミックだからだと思うな。ボクが執筆している間、それを星が感じるんじゃないかな。人間だって、虫に刺されたら皮膚を引っ掻くだろう? 星が感じた終末の感覚が瘴気となって大地に溢れ、瘴期になっているんじゃないかな」
「……それなら、アンタが書くのを止めれば、瘴期は来ないのか?」
ロイが静かに聞いた。
「だろうね。でもボクは止めるつもりはない。さっきも言った通り、これはボクが神になるための課題の1つなんだ。今さら止められない」
エンファンは断言した。
「……頼んでも、駄目か?」
「駄目だよ。そもそもこの星に世界を生んだのはボクなんだ。ボクが終わらせるのが当然だと思わないかい?」
「それなら、実力で阻止すると言っても?」
ロイの目が細められる。
「やってみる? 無理だと思うけど」
エンファンはロイを挑発するように言った。
次の瞬間、ロイは椅子を蹴って立ち上がると同時に、テーブルを越えてエンファンに一気に詰め寄り、拳を叩き込……もうとした。しかし、素早く動いたマジョルドにより手首を掴まれ、床に投げ落とされる。
「ロイっ」
レーヌが勢い良く椅子から立ち上がり、魔力を広げ……ようとして、身体が硬直した。全身から冷汗が噴き出る。
(な……に、この、魔力……)
まるで、ドラゴンの魔力に最初に触れた時のような、いや、それ以上の畏れを感じて、レーヌは身体を硬直させた。
「とまあ、こんな感じで、ボクに危害を加えるのはキミたちじゃ無理だね」
エンファンが笑顔で言うと同時に、レーヌに絡っていた魔力が消え、レーヌは椅子に崩れ落ちるように座った。
「ロイ、キミに殺意があったら、もう息が止まっているところだよ」
顔を顰めながら立ち上がるロイに、エンファンが言った。
「……解ってたのかよ」
ロイは腰を摩りながら言った。
「私はエンファン様の護衛ですので。襲って来た相手がどのような意図を持っているかを見極めるのも仕事の内です」
元の位置に戻っていたマジョルドが、事も無げに答えた。
「だったら、黙って見ててくれたら良かったのに」
実のところ、ロイは拳を寸止めして脅すだけのつもりだった。本当に殴るのは次の手段として。
「こちらの実力も示しておく必要があると判断しました」
「ボクが1人の時を狙っても無駄だよ。それはレーヌが良く解っていると思うけれど」
椅子に座りなおしたロイがレーヌを見ると、彼女はまだ身体の震えを抑え切れていなかった。ぎこちない動作で顔をロイに向けると、僅かに首を横に振った。
「エンファンに逆らっちゃ駄目。ヤバい、ヤバすぎる」
「嫌だなぁ。そんなに怯えないでよ。神になりたがっているだけの、ごく普通の人間なんだから」
エンファンは面白そうに笑った。ロイとレーヌの思いは同じだった。ただの人間が800年も生きたり、神を目指したりするものか、と。
「もっと話していたいけど、そろそろお開きかな。課題をこなさなくちゃならないから」
そう言いつつも、時間を気にするようではない。
「本の続きを、書くんですか?」
レーヌは聞いた。
「いや、それはもうちょっと後。課題は無数にあるからね」
「お2人は、どうぞ、元の部屋へ。案内します」
マジョルドが2人を促した。
エンファンの魔力の圧からどうにか回復していたレーヌは、促されるままに立ち上がり、ふと、ロイを見た。
ロイも椅子からよろよろと立ち上がったが、これまでの闘志が目から感じれない。
「ロイ、どうしたの?」
「あ? ああ、レーヌか。いや、ここまで来たのに、原因も判ったのに、瘴期を止める術はないって思ったら、な……」
力ないロイの言葉に、レーヌはキッと目を剥いた。ロイの前まで歩くと、肩を掴む。
「諦めちゃうの? 瘴期を消すために旅に出たのはロイだよっ。原因があるなら、対策だってあるよっ」
「だって、どうしようもないだろう。アイツが世界の本を書くと瘴期が来る、でもアイツに手を止める気はない、オレたちにも止めさせる力はない、なら、どうしようって言うんだよ」
「それを考えるんだよっ。むしろこれからじゃないっ。何を終わったみたいになってるのっ」
「……考えても無駄だよ。2人の力を見ただろう? どうやったって阻止できない」
「ロイの馬鹿っ。だったらわたしが何とかするっ。何とかして見せるっ。ここまではロイの旅だったけど、ここからはわたしの旅だからっ。腑抜けているでも、ついて来て見届けるでも、好きにしてっ」
レーヌはロイの身体を突き飛ばすように離すと、踵を返して扉への向かった。エンファンの魔力に中てられたことは、すっかり頭から抜けていた。
扉に向かってズンズン歩くレーヌを、エンファンは面白そうに見ていた。その目は、お手並み拝見、とでも言っているようだった。
第一部 完
第二部につづく
第二部は三週空けて、年明けの1/3(火)18:00頃、投稿予定です。
以後、毎週火曜日18:00頃に投稿していく予定です。
■作中に出てきた単位の解説■
時間の単位:
1ミック≒1時間 の感覚です。