1-003 瘴気の中で
カンッ、カカンッ、カンッ。
木の打ち合わされる音が広場に響く。ロイが案山子を相手に木剣を振るっている。ランスや他の剣士たちに稽古をつけてもらうこともあるが、相手がいない時も1人で稽古をしている。
大人たちに畑や水汲みなどの仕事の手伝いを頼まれれば、嫌な顔を見せずに(内心では嫌々ながらであっても)他の村人たちを手伝うが、それ以外の時間のほとんどすべてを剣の稽古に当てている。
しばらく木偶人形を相手に木剣を振るったロイは、動きを止めると木剣を納め、用意しておいた手拭いで汗を拭いた。それから村で唯一の井戸に行き、水を汲んで喉を潤す。一息ついたロイは、1軒の家に目を向けた。
ロイが瘴期の獣駆除に参加するようになってから、レーヌは毎日、1人で剣の訓練をしている時に、必ずやって来た。しかし、今日は来ていない。普段なら、もう来てもいい頃なのに。
ロイは、獣の駆除に際してレーヌと組まされたことに不満を持っていた。自分より歳下なのに同時に駆除のメンバーとして選ばれた、ということが気に入らない。レーヌに乱暴に接するのは完全に八つ当たりだった。
それが八つ当たりであることはロイ自身も解っていたが、頭では理解していても気持ちはどうにもならない。別段、レーヌに対して隔意があるわけでもない。幼馴染で遊び友達なのだ。そうは思っても、歳下の少女が自分と同格扱いされていると思うと、心が荒れる。
「ロイや、水を汲んでくれんかね」
井戸端で、やって来ない幼馴染のことを考えていると、老婆に声を掛けられた。
「あ、はい」
ロイは軽く頭を振って余所事を振り払い、井戸から水を汲み始めた。
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レーヌの事が気になったロイは、暇な時間に彼女の家を訪れることにした。何だかんだ言っても、幼馴染の様子が普段と違えば気になってしまう。
「ああ、ロイ、いらっしゃい」
入口の扉を叩くと、レーヌの父がくたびれた顔で迎えてくれた。顔をロイから逸らし、目だけを彼に向けている。
「こんにちは。その、レーヌは?」
「ああ、お見舞いに来てくれたのか? 奥で寝ているよ」
「お見舞い?」
レーヌの父の言葉に、ロイは首を傾げた。
「聞いてないか? 村長とエベルには伝えたんだが、レーヌが高熱で寝込んでて」
「え。だ、大丈夫、なんですか?」
「解熱の薬草を煎じて飲ませているから、そのうち治ると思うよ。感染る病だと不味いから、今日は俺も家内もなるべく家に籠っているが。ロイも、早く帰りなさい。せっかく来てくれて悪いが」
それで顔を背けているのか、とロイは納得し、お大事に、と言って扉を閉めた。
幼馴染が病に倒れたことに、ロイは最初、何も考えられなかった。それから、怒りが込み上がってくる。
(病気? 嘘だろ? 明日か明後日には、次の瘴期が来るんだぞっ。参加できなかったら、どうするんだよっ)
その怒りが、日頃苛立ちを覚えている彼女の病を心配したことに対する、反転した感情であることにロイ自身は気付かない。本人は認めないだろうが、ロイはまだまだ子供だった。
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翌日の夕刻、瘴期の到来を知らせる櫓の木版が打ち鳴らされた。ロイはすぐに準備して、広場へと駆け付けた。
前回と同じようにエベルが全員に檄を飛ばす。そして最後に、ロイに向けて言った。
「今日はレーヌが体調不良でいない。ロイは結界の中で村の防衛に専念しろ。いいな」
「オレなら1人でもやれますっ。瘴気なんかに負けませんっ。駆除に入れてくださいっ」
「駄目だっ」ロイの言葉を、エベルは鋭く否定した。「瘴気には誰も耐えられない。絶対に結界を出るなっ。解ったなっ」
「でも……っ」
「わ か っ た な ?」
「……はい」
獣駆除のリーダーの言葉に、ロイは従うしかなかった。
半数の剣士と魔術士たちが、村を囲む柵から外へと出て行く。それを見送って、ロイは村の中を柵に沿って歩き、哨戒に当たった。ほとんどの獣は柵に辿り着く前に駆除されるだろう。
それでも毎回、瘴期のたびに数頭の獣が村に入り込む。それを駆除することも大切な任務だ。それが解っていても、ロイは自分が半人前だと言われたように感じた。それこそが彼が半人前である理由なのだが、ロイにはそこまで考えられなかった。
しばらくは、魔術の暗い光に朧げに照らされた村の外で、獣たちの悲鳴が聞こえる程度だった。今日は鳥も襲って来ているらしく、時々魔術による火球や電撃が空へと伸びた。
ロイは、時々休憩を挟みつつも、村の外周の警戒を続けた。
ロイの目に、柵の外から高速で駆けてくる2匹の四足獣の影が映った。瞬間、ロイはその2匹が村へと突入する地点を目指して駆け出す。暗くて判然としないが、その影の形状と大きさからオオカミだろう。
その2匹が村に入った直後にロイはその場へ到着し、剣を抜き払うと同時に前のオオカミの首を斬り飛ばした。オオカミが倒れるのを確認もせず、次のオオカミに対して剣を横薙ぎに振るう。オオカミは急停止すると同時に飛び退いて剣閃を避けた。
瘴気に中てられた獣はほとんどが闘争本能のままに突っ込んでくるだけだが、稀に攻撃を回避するものもいる。このオオカミはその特殊な個体のようだ。
ロイはすぐさま剣を構え直しながらオオカミに向けて跳躍し、剣を振り下ろす。
「ギャンッ」
剣はオオカミの肩口に当たり、喰い込んだ。
「っ!?」
普段なら簡単に振り切れる剣が、オオカミの筋肉に止められたことにロイは驚く。しかし、すぐに剣をそのままオオカミに突き刺して、とどめを刺した。動かなくなったオオカミを足で踏みつけ、剣を引き抜く。
(今……なんで切り裂けなかった? いつもはクマにだって肉に止められることはない、骨だって一撃で断ち切れるのに)
しかし今は瘴期の只中だ。ロイは考えることを後にした。
オオカミの越えて来た柵の方を見る。誰かが振るっている剣が、暗い光を反射する。さらに電撃の閃光。その中に蠢く獣の影。
(アレ、2人じゃ無理だろうっ)
そう思った瞬間には、ロイは駆け出していた。柵を越えて。
駆除に当たっていた剣士と魔術士は、ランスとマギーだった。マギーに飛びかかろうとするオオカミに大上段で切り掛かり、脳天から斬りつける。オオカミは絶命したが、いつもなら振り抜ける剣がオオカミの頭骨に喰い込んで止まったことに、ロイはまた違和感を覚える。しかし、考えている暇はない。剣を引き抜き、構える。
「ロイっ。助かったけど、退きなさいっ。レーヌがいないのよっ」
マギーが叫びつつ、電撃でオオカミを1匹、行動不能にする。
(マギーさんもかよっ。みんな、レーヌ、レーヌってっ。オレだって1人前だっ)
「大丈夫っ。やれるよっ」
ロイは叫ぶが早いか、少し離れたオオカミ2匹に向けて駆け出した。
「ロイっ」
「マギーっ、こっちもっ」
ランスが、ロイと反対側にオオカミを認める。
「ああっ、もうっ。ランス、さっさと倒してロイのところに行くわよっ」
「ああっ。結界に入れないと不味いっ」
ランスとマギーは、近くを駆け抜けようとする獣を駆除すべく行動する。
ロイは、オオカミに向かって走る。足下の野菜を踏み付けにしながら。
村に向かっていたオオカミがロイに気付き、向きを変えた。ロイは剣を下段に構え、距離を見計らって足を踏ん張り、思い切り斜めに斬り上げる。
「ギャンッ」
剣が喉の辺りを斬り裂いた。絶命はしていないが、地面に倒れて暴れている。
その隙を狙うように飛び掛かって来たオオカミに向けて、剣を横薙ぎに振るう。
オオカミは、その剣に噛み付いた。
「!?」
驚いたロイだが、剣を咥えて着地したオオカミを、そのまま力任せに振り抜いて斬り裂こうとする。しかし。
バキンッ。
剣が折れた。呆気なく。
「えっ!?」
一瞬、呆気に取られるロイ。しかし、呆けている訳にはいかない。剣先を捨てたオオカミが再び跳び掛かって来た。ロイは横に素早く避けると、オオカミの腹に向けて折れた剣を突き出す。
「ギャワンッ」
腹に突き刺した剣を横に薙ぐ。腹を斬り裂かれたオオカミは、地面に倒れて生き絶えた。
(なんで……今までこんなことなかったし、ちゃんと手入れだってしてあるのに……)
今日は今までになく剣の斬れ味が悪い。しかも剣が折れるなど、今までに1度もなかった。普段と違う剣の感触に、ロイは混乱した。
その時。
ズキンッ。
「ぐっ、なんだ……」
ロイの頭に痛みが走った。しかし、瘴期の間に悩んでいる余裕はない。剣のことも含めて後回しにしたロイは、先程仕留め損なったオオカミに向かう。震えながら立ち上がったオオカミと相対し、とどめを刺すべく回り込みながらオオカミの首を狙う。
オオカミがよろめきつつも前足を振りかぶり、振り下ろす。ロイは左手でそれを防ぐ。籠手当てがざっくりと斬り裂かれた。腕に軽い痛みが走る。今までにも多少の傷をつけられたことはあるが、かすり傷とはいえ籠手当てを突き抜ける攻撃は初めてだった。
折れた剣に続いてそれにも驚愕しつつ、それでもロイはオオカミの首筋に剣を突き立てた。すぐに引き抜き、腹にも突き立てる。さらに2度、3度と剣を突き刺し、オオカミを絶命させる。
(くそ。なんで剣も防具も今日に限って脆いんだよ……。ぐっ)
ズキンッ。
再び、強く鋭い頭痛。頭の痛みはどんどん強なる。
ズキンッ。ズキンッ。ズキンッ。ズキンッ。
「ぐ、うっ、くっ、あっ、ぐっ、ぐっ、グワァアアアアアアアアッ」
ロイは、獣のような咆哮を上げた。