1-026 ドラゴンの導き
ロイとレーヌは、洞窟の中を光に向かって慎重に歩いた。
「眩しっ」
狭い洞窟から光の中に出た途端、予想していた以上の明るさに、2人は思わず目を閉じて手を額に翳した。
ゆっくりと明るさに慣らしながら瞼を開ける。そこは、直径10テナーほどの円形の広間だった。見上げると、広間と同じ広さで空が見える。ここは、岩山に空いた巨大な穴のようだ。
光は、単に昼の陽射しで、慣れれば大したことはない。暗い洞窟の中、魔術の光も控え目にしてきたので、外の光が普段以上に明るく感じられただけのようだ。
光に目が慣れてきたところで、正面にある……いるモノをじっと観察する。巨大な生物が、広間の中央に丸まっている。色は白……いや、薄い灰色。大きさは良く判らない。今の見た感じは150テール程度だが、身体を起こしたらもっと大きくなるだろう。レーヌが魔力で触れた時には200テールと見積もっていたが、もっと大きいかも知れない。
目を光に慣らしたロイは、ドラゴンと思われる生物に向かってゆっくりと歩き出した。魔女の話が正しければ、取って食われたりはすまい。しかし、レーヌが着いて来ないことに気付いて足を止め、振り返った。
「レーヌ?」
レーヌはハッとして、ロイを見た。
「どうした?」
「あ、ううん、何でもない」
レーヌは何かを誤魔化すように笑みを浮かべると、歩き出した。彼女が並んだところで、ロイも歩みを再開する。
ロイは、レーヌがごく僅かに震えていることに気付いた。元気付けるように手を握る。レーヌはビクッと震えてロイを見た。ロイは、安心させるように頷いて、前を向いた。
ロイは、レーヌが何に怯えているのか、あるいは、何を畏れているのか、解らなかった。目の前にいる巨大な生物がもしも襲って来たらロイでは太刀打ちできそうにないが、レーヌなら何とかしてしまいそうだ。少なくとも、逃げるくらいはできるだろう。
レーヌにしても、ドラゴンに、正確にはドラゴンの纏う魔力に、なぜ自分が畏怖を抱いているのか解らなかった。確かに、今まで会ったどんな人物よりも、今までに遭遇したどんな生物よりも、強大な魔力を纏っている。
しかし、それ自体で怖気付くとは自分でも思えなかった。自分はどうして震えているのだろう、と思いつつ、ドラゴンを目にすると洞窟に入る前に感じたドラゴンの魔力を思い出して、震えを抑えられなかった。
2人はドラゴンから数十テール離れて立ち止まった。
「えーと、あんたがドラゴンか? 聞きたいことがあるんだけど」
ロイは声を張った。生物は身じろぎもしない。ロイがもう一度、より大きく声を上げると、むくりと動いた。
巨大な翼がゆっくりと持ち上がり、長い首が起き上がってくる。4本の角の生えた頭が、2人の前にニュッと突き出された。思わず後退りしかけたレーヌが、ロイに手をギュッと握られて、足を留める。
〈我に何用か? 人間よ〉
突然、頭の中に響いた声に、2人は思わず顔を見合わせた。
「今のは、念話か?」
「……みたいだけど……」
しかし、今の声は普通の念話とは違った。念話は普通、相手の頭を魔力で包み、あるいは相手から包んでもらい、頭で思い浮かべた“言葉”を伝え合うものだ。
しかし、今2人の頭に響いたのは、“言葉”ではなかった。何かの“イメージ”が送り込まれ、それを“言葉”に変換して認識した、そんな感じだ。
〈用があるから“声”をかけたのではないのか? 用が無いなら、寝るぞ〉
「あ、えっと、聞きたいことがあってお邪魔しました」
レーヌが慌てて言った。
〈念話でいい。人間の“声”は聞き取り難くて適わん〉
「あ」〈はい〉
レーヌは言葉で返事をしかけて、慌てて念話で答えた。ロイに魔力を伸ばして、互いの言葉も念話で通じるようにする。
2人は目配せして、ロイから質問することにした。
〈オレたち、瘴期の原因を探して旅をしているんだ。瘴期について、アンタに聞いてみろ、とある人から言われた。瘴期って何で起こるんだ?〉
ロイは、巨大なドラゴンを相手にまったく物怖じすることなく、堂々としている。レーヌはその姿をチラッと見て、ロイを頼もしく思った。
〈瘴期か。どうして起きるかは我も知らん〉
その言葉に、ロイは落胆した。しかし、ドラゴンの言葉には続きがあった。
〈しかし、原因はおそらく、山を越えた向こう、砂漠の中心にあるだろう〉
〈山の向こう? 砂漠って?〉
〈見渡す限り、砂の大地が続いている。動物も植物もない、死の大地だ〉
〈死の大地か。でも、そこへ行けば瘴期の原因が判るんだな〉
〈行くつもりか? 人間ごときの足で。途中でくたばるのが落ちだぞ〉
ドラゴンから嘲笑うような、いや、呆れたような思念が流れてくる。
〈山を越えてから砂漠の中央まで、500テックはある。陽射しも強い。水や食料の調達も不可能だ。人間のその弱々しい身体で、砂漠をどう越えると言うのだ〉
ロイは反射的に言い返しかけたが、思い留まってドラゴンの言葉を反芻した。
今まで2人の歩く速度は1ミック当り4テック程度。概ね1日10ミック歩いてきたが、休憩を入れることを前提にしての速度なので、1日にもう2ミックくらいは歩いても問題ないだろう。それで1日48テック。500テックなら、計算上11日弱で着ける距離だ。しかし、ロイもレーヌも、旅の間は最大でも5日分の食糧しか持っていなかった。
実際には、途中で仕留めた獣の皮やオオトカゲの鱗なども持っていることがあったので、もう少し持てないことはない。
水と食糧を7日分持ち、1日の消費量を2/3に抑えれば、辛うじて間に合う計算になる。帰りがどうなるかは解らないが、砂漠の中央に瘴期を齎す“何か”があるのなら、何とかなるだろう。
〈行くさ。そのためにここまで来たんだ〉
ロイはドラゴンに言い切った。
「行くさ。瘴期の原因を突き止め、解決するのがオレたちの目的だ」
念話だけではなく、声にも出して言う。自分の意志をはっきりと伝えるつもりで。
〈そこまで言うなら、勝手にするがいい〉
ドラゴンはそう言うと、頭を2人から離す。
「あ、待ってっ」〈待ってくださいっ〉
レーヌが慌ててドラゴンを呼び止めた。ドラゴンは、2人から背け掛けていた頭を戻す。
〈なんだ〉
〈砂漠には、どうして生物がいないんですか?〉
今まで知っていた荒野ではなく、“砂漠”という未知の領域に足を踏み入れる前に、レーヌは少しでも情報を得ておきたかった。
〈そんなことか。単純な話よ。水がない。雨も降らない。そんな地では、脆弱な生物は生きてはいけない〉
〈でも、この山には生き物がいますよね? そういう生き物が入り込むことがあるんじゃありませんか?〉
〈辛うじて生きていける地から、生きていけない地に、好き好んで行くモノはいない。が、それだけではない〉
ドラゴンは勿体を付けるように言葉を切った。
〈……砂漠を囲む、直径1,000テックのこの岩山が、ある種の結界になっている。強い意思のない獣は身が竦んで砂漠には入れん〉
〈……どうしてそんなに詳しいんですか?〉
レーヌは首を傾げた。
〈我、我だけではない、この山に住むドラゴンも結界の一部だからな〉
「え?」
〈それじゃ、ここから動けないんですか? あ、でもドラゴンっぽいのが飛んでいるのを見ましたけど〉
〈離れられないことはない。が、あまり離れていると、無性に帰りたくなる〉
〈それは、どうして?〉
レーヌは続けて聞いた。いつの間にか、震えが止まっていることにも気付かず。
〈……砂漠も岩山も、そして我も、神に創られた身であるからな〉
「カミ?」
ロイは思わず口に出した。
〈カミって何だ?〉
〈この世界を創りしモノだ〉
〈カミ、神かよ。じゃ、世界が滅びに向かっているというのも神の意志か?〉
〈……それは、自分の目で確かめるがいい。砂漠の真ん中で〉
「……ああ。そうするさ」
ここでは答えを引き出せそうにないと判断して、ロイはそれ以上聞かなかった。
〈聞きたいことは終わりか?〉
〈あ、あと2つ、お願いします〉
レーヌは言った。
〈何だ〉
〈えっと、この岩山を越える簡単なルートを教えてください。砂漠に出たら大変そうだから、なるべく食糧を温存したいんです〉
〈それならば、そこの洞窟を行くがいい〉
ドラゴンは首と前腕を持ち上げて、左後方、ロイとレーヌから見て右前方を指し示した。
〈砂漠側へ通じている。枝分かれしているが、お主なら魔力で先を探れるだろう〉
最初に魔力が触れたことは、やっぱり知られているのね、とレーヌは思う。
〈最後に、ロイとわたしを乗せて、砂漠の中央まで運んでくれませんか?〉
何しろこの巨体だ。500テックの距離など、あっと言う間だろう。しかし、ドラゴンの返事は芳しくなかった。
〈そこまでしてやる義理はない。それに、我は疲れた。6,000年近く、ここに縛り付けられているのだ。世界が滅びに向かうなら、静かに最期を迎えたい〉
その気の遠くなるような年月を思い、レーヌは少し同情した。それでも(それなら、解決するために行動すればいいのに。ロイみたいに)と思わずにはいられなかった。
〈ありがとうございます。では失礼します〉
聞きたいことは聞いた。あとは先に進むだけだ。
〈気が向いたらまた来るがいい。話し相手くらいにはなろう〉
二度と来るな、と言わないのは、ドラゴンも寂しくて話し相手が欲しいのかな、とレーヌは思ったが、ドラゴンの言葉には何も返さず、ロイと共に先へと続く洞窟に足を向けた。
ドラゴンに対する畏れも、すっかり消えていた。
■作中に出てきた単位の解説■
距離の単位:
1テック=100テナー
1テナー=100テール
1テック≒ 1キロメートル
1テナー≒10メートル
1テール≒10センチメートル の感覚です。
時間の単位:
1日=20ミック
1ミック≒1時間 の感覚です。
日本と単位が違うので、例えば10ミックと言っても感覚として10時間の場合と12時間(=半日)の場合があります。そのあたりの感覚は、ルビで察してください。