1-025 岩山の洞窟へ
魔女の小屋に泊まった翌日、レーヌは結界子の根元を固めて回った。魔女は前日、『冗談だ』と言っていたが、魔術について色々な知見を与えてくれた魔女に、少しでも報いたかった。
その間、ロイは村の北西方向にある森に出かけ、夕方にはイノシシを担いで戻って来た。ロイも、瘴期の手掛かりに繋がるかも知れないドラゴンのことを教えてもらい、礼をしなければ、と自分にできることをしたのだった。
その翌日の早朝、ロイとレーヌは魔女に改めて礼を言って出発した。魔女は、魔鉱石を数個と魔鋼板を数枚、レーヌに渡した。レーヌは悪いから、と遠慮したものの、半ば無理矢理に持たされた。魔術士ならば持っていた方がいい、と言って。
魔女の小屋を後にしたロイとレーヌは、予定通り南西の岩山を目指した。
「結構高いよね」レーヌは向かう先の遠くに見える山並みを見て言った。「あれ越えるのは大変そうだなあ」
「越える必要はないんじゃないか? 婆さんの話だと、麓からそう登らない場所に、洞窟があるらしいし」
ロイは楽観的に言った。
「洞窟はそうかも知れないけどね、その、ドラゴンに話を聞いた後はどうするの? また南西に進むなら、山越えしないといけないよ?」
「その時はその時だよ。必要なら、山でも越えるさ」
「そうするしかないけどね。とりあえずは、ドラゴンだね。あ」
「どうした?」
「あれ」
レーヌが右手を指差した。前方に屏風のように聳える岩山の右端の上空を、何かが飛んでいる。
「ドラゴンって、あれかな?」
「……かも知れないな。かなり遠いのにあんなに大きく見えるなんて、随分とでかいな」
「見かけより近くにいるとか。……あ、降りた」
山の上空を旋回していた影は、山の端へと降りて行って見えなくなった。
「見かけより近いってことはないな。遠い可能性はあるが」
「うん。あれがお婆さんの言ってたドラゴンかな?」
「だとしたら、随分と方向が違うな。南西にまっすぐって言ってたけど」
「どうする? 方向変える?」
「いや、このまま行こう。婆さんの言っていたのは、洞窟の入口だからな」
「そっか。そうだね。ドラゴンの棲家が南西にある、とは言ってなかったもんね」
このまま真っ直ぐに進めば、岩山の中央付近に当たる。岩山と言うより、山脈と言うべきだろうか。右手にも左手にもずっと広がっている。さっき降りたドラゴンらしき影は、山の端に消えたままだ。この先にあるという洞窟がドラゴンの降りた場所まで続いているとしたら、洞窟の中をかなりの距離歩くことになる。
しかし魔女の言葉を聞いた限りでは、洞窟に入ってからドラゴンのいるという広間まで、それほど距離があるようには感じられなかった。魔女が勘違いしていたのか、それともドラゴンは1頭ではないのか。
それも、洞窟を見つけてドラゴンに会えば判るのだろうか。
いや、すべてではないにしても、答えのいくつかはドラゴンが教えてくれるだろう。魔女の言葉が正しければ。
その思いを胸に、ロイとレーヌは、近付いているようには見えない岩山に向かって、足を動かし続ける。
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魔女の小屋を出発したその日の日暮れに、2人は岩山の麓に着いた。
「お婆さん、2日掛かるって言ってたけど、そんなに掛からなかったね」
レーヌは、麓にあった大きな岩を魔術で削って今夜の寝床を作りながら、言った。
「婆さんの足で2日、だったんじゃないかな。元気そうだったけど、脚はちょっと弱ってたようだし」
「うーん、でも、お婆さんがドラゴンに会ってたとしても、それって随分前のはずだよね。その頃は足腰弱ってなかったんじゃないかなぁ」
「それもそうか。そもそも、婆さんが会ったのかどうかも判らないし」
「あれ以上、聞ける雰囲気じゃなかったもんね」
レーヌは2日前の魔女の様子を思い出して言った。
「まあ、婆さんの事情はこの際関係ないさ。有益な情報を教えてもらえたんだから、それを無駄にしないように行動するだけだよ」
「そうだけどね……」
それでもレーヌは、魔女のことが気になった。ロイが瘴期のことを聞いた途端に、良かった機嫌がいきなり悪くなった……まではいかないが、それまでは饒舌だったのに、妙に口が重くなった。何か過去にあったのだろうか。
それに、魔女が村の外に1人で住んでいることや、それにも関わらず村を結界で守っていることなど、気になることは色々あった。
それをあえて聞かなかったのは、それが魔女にとって楽しくない過去を掘り起こすことになる可能性を恐れたためだ。結界子や魔術の話で打ち解けた関係を壊したくなかったし、それに聞いたところで何もできないだろうことも解っていた。
どちらにしろ、別れてしまった今となっては聞き出すこともできなので、レーヌは頭を振ってそのことを思考の隅に追いやり、野営の準備に努めた。
この辺りは獣が少ないようだったが、それでもいないわけではない。1日歩いていた間も、襲われることこそなかったものの小動物を何度か見かけたし、探せば大型の獣もいるだろう。
いつものように交代で見張りをしながら夜を過ごす。
くり抜いた岩の中でレーヌがマントに包まって眠っているのを意識しつつ、ロイは周囲を警戒する。昼に見た、ドラゴンらしき飛行生物が見えないかと、岩山の上には特に注意を払ったが、見張りの間、大きな影が飛ぶことはなかった。
夜が明けると、朝食を摂って山登りを始めた。道があるわけではないので、速度は先日までに比べて半分程度になったが、2人は地道に山を登って行った。
休憩のたびに、レーヌは広げている魔力の範囲を限界まで広げ、地形を確認した。
昼近くになった時、レーヌが目的のものを見つけた。
「あった。この先1.5テックくらいのとこ、洞窟があるよ」
「また岩の窪みじゃないよな」
ロイがそう言ったのは、前回の休憩の時に洞窟の入口らしきものを見つけたのだが、そこは数十テールで行き止まりの、洞窟と言うには浅すぎる窪みだったためだ。
「さっきは魔力の探知範囲のギリギリだったんだもん。今度は大丈夫。少なくとも1テックは穴が続いてるよ」
「なら、当たりっぽいな」
「でも、洞窟に入っても長そう。1テックって言ってもグネグネしてるからかなり歩きそうだよ。いざとなれば、瞬間移動で行けるけど」
「あとで何があるか解らないし、基本的には歩いて行こう。別行動することがないとも言えないし、その時に同じ洞窟を通ることになるかも知れないからな」
そう決めて、2人は休憩を終えると洞窟へと向けて歩き出した。それほど距離がなかったので、岩の転がる道無き道でも1ミックもかからずに辿り着いた。
「お婆さんの言ってた広間まで、1.5テックくらいだね。歩く距離は2.5テックくらいあるのかな? 2ヶ所で道が分かれてるけど、どっちも広間に繋がってるから、迷うことはないと思う……うえぇ!?」
「どうしたっ?」
洞窟の入口から魔力を伸ばして中を探っていたレーヌの小さな叫び声に、ロイは警戒を強める。
「えっと、広間にドラゴンが、いる……。なんか、わたしの魔力に気付いたみたい……」
「マジか。動物なのに他人の魔力を感じるのかよ。オレなんて全然なのに」
「うん……。驚いて魔力引っ込めちゃったけど、大きいよ。少なくとも、150テール以上はあると思う」
「デカいな。トビオオトカゲが50テールかそこらだろ? 飛ばないオオトカゲだって100テールくらいだし。そんなデカくて飛べるのかよ」
岩山に着く前に見た、巨大な生物が飛行する姿を思い出しながら、ロイは言った。大きいとは思ったが、せいぜいオオトカゲ程度だろう、と目測していた。
「まあいい。とにかく行こう。会わないことには始まらない。道は判るんだよな」
「うん、それは大丈夫」
「良し。休憩してから入ろう。中に入ったらオレが光を灯すから、レーヌは後でも道が判るように岩を削って道標を作ってくれ」
「うん、解った」
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洞窟の中は暗かったが、空気が淀んでいるようなことはなく、呼吸に支障はなかった。時折、コウモリやネズミのような小動物が襲ってきたが、ロイの剣かレーヌの魔術の前に倒れた。
大きな獣の類はいないのか、いたとしても2人の前には出てこなかった。2人は、襲って来る小動物を排除しつつ、先へ進んだ。
基本的に一本道とは言っても、狭くなったり広くなったり、足場が悪くなっていたりして、なかなか捗が行かなかった。それでも、1ミック近くかけて2テックと少し洞窟の中を歩き続けると、前方に光が見えた。
「あれが広間、か?」
ロイが作っている光よりも、遥かに明るい光だ。しかし、洞窟の中には明るい光がそれほど入って来ないことから、光源は高い場所にあるようだ。あるいは低い位置か。
「うん、そうだよ。あそこにドラゴンが、いる」
「まだいるか?」
「それはちょっと……なんか、あの魔力に触れるの、怖いって言うか……畏れ多いような感じで……」
「……」
ロイは、レーヌが僅かに震えていることに、今更ながらに気付いた。
「……行こう。魔力で視なくても、目で確認すればいい」
「……うん」
2人は、前方の光に向かって慎重に進んだ。
■作中に出てきた単位の解説■
距離の単位:
1テック=100テナー
1テナー=100テール
1テック≒ 1キロメートル
1テナー≒10メートル
1テール≒10センチメートル の感覚です。
時間の単位:
1ミック≒1時間 の感覚です。




