1-022 結界の謎
女の家を一旦出たロイとレーヌは、それぞれ別れて森に入った。
陽は中天を過ぎているものの、まだ高い。広場から森へと足を踏み入れると、陽が遮られてやや暗くなるが、十分に明るい。何より、木々も空気も、生き生きとしているのを感じる。これも瘴気に中てられる心配がないからだろうか、とロイは思う。
小鳥や小動物を結構な頻度で見かけるが、今は無視して木の実などを探す。村の自給自足の原則は、当然のように来訪者にも当てはめられた。燻製肉は十分に持っていたものの、植物性の食糧が少なかったので、ロイはその採集を目的に、森に入っている。
剣の修行に明け暮れていたとはいえ、村に住んでいた時に、狩猟と同じように採集も何度か行なっていた。その拙い経験を思い出しながら、ロイは2人分の食材を探して回った。
ロイとは別に森に入ったレーヌは、森の木々を調べている。
木の幹に手を当てて自分の魔力を流し込み、魔力の状態を調べたり、木々が放出した魔力を感じたり、と他人が見たら、何をしているか解らないだろう。
レーヌにしても、他者の魔力自体を感じることはできるものの、それがどんな状態にあるか、までは判らない。それを探ろうとダメ元で木の内部を調べたわけだが、案の定、判らなかった。
森の空間の魔力は、普通の森と違うことだけは判った。通常、生物から自然放出された魔力は本体から離れると霧散してしまうが、この森では魔力の状態を保持している。
大きな木が大量に生えているので、霧散する前の魔力がある程度残っているのだろうと気にしていなかったのだが、意識して魔力を感じると、木々の密度から想定されるよりも空間の魔力の濃度が高いことが判る。
(魔力濃度の不自然さに気付けないなんて、わたしもまだまだよね)
しかし、不自然な濃度の魔力がどう使われているのかまでは判らない。結界であっても、例えば物理障壁ならば自分の進入が妨げられるので判るのだが、瘴気を防ぐだけの結界は物質も魔力も素通しなので、術者以外には探知しようがない。
それに、複数人で1つの結界を張ることもできないはずだ。他者の魔力を操作することはできないので、当たり前のことと言える。しかし、結界は森全体を覆っているらしい。
(それはまぁ、それぞれの木が別々に結界を張っているだけかも知れないけど)
植物が魔術を扱うという事例も、レーヌは聞いたことがない。動物であれば、オオトカゲやトビオオトカゲが使っていたのを目の当たりにしたし、ほかの獣も使っている可能性はある。
(ここの植物は魔術を使うのか、それとも何か人為的なものがあるのか)
考え込みながら、レーヌは調査を続けた。
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普段より早い時間、泊めてもらう家の家人と一緒に2人は夕食を摂った。2人を招き入れてくれた女の夫は、この村で村長のような立場だそうで、妻の勝手にも鷹揚に頷いていた。
食事は、男とロイのそれぞれの収穫物と、ロイとレーヌが持ち込んだ燻製肉を、女とレーヌが調理した。その間、ロイは男から瘴期のことを聞いたが、瘴期を気にする必要のない森に住んでいる男からは、ほとんど何も聞き出せなかった。
夕食の後、与えられた部屋で寛ぎながら、ロイとレーヌは森について話し合った。ロイは採集を主にしていたので、話すのは専らレーヌだったが。
「木が自分の意思で結界を張るなんてこと、あるのか?」
ロイは、レーヌの説明に首を傾げた。
「わたしも聞いたことないよ。もしかしたら昔、力を持った魔術士が木に結界を張る術を教えたとか、森のどこかに植物の魔力を利用して結界を張る仕組みを作ったとか、推測だけならいくらでもできるけどね」
「そうか。うーん」
ロイは考え込んだ。
「どうしたの?」
レーヌが首を傾げると、ロイは自分の考えていることを話した。
「ここの木を何本か、別の場所に植林したら、そこにも結界が張られるのかな、って思ったからさ」
「そうだね。でも、ここみたいに深い森にする必要があるよ。何本か植林しても、外から瘴気に中てられた獣が来たら、正気に戻る前に村まで来ちゃうし」
「そうなんだよな。この森ができるまでどれだけかかったか知らないけど、何百年はかかりそうだな」
「それに、木をこの森から離しても結界を張ったままかは、試してみないと判らないし」
「それもあるな。そもそも、ここの結界がどうやって張られているのかが判らないんだもんな」
「ちょっと聞いた感じだと、この村の人たち、何世代も前にここに住み着いているらしいよ。だから今の人たちは、瘴期のことをほとんど忘れているんだろうけど。
そんなに前から結界があったとすると、どうやって張ったかを調べるのも、一筋縄じゃいかないだろうね」
「だよな。うーん」
ロイはまた考え込んだが、今度はすぐに口を開いた。
「よし。明日と明後日の2日、ここに滞在しよう。その間、レーヌは結界のことを調べてくれ。オレは、2人分の食糧の調達と、あと村の人に聞き込みをしてみるよ。1人くらい、何か知っている人がいるかも知れないし」
「うん。明後日までなのは、次の瘴期が確実に過ぎるまで、ね?」
「ああ。実のところ、森が結界を張って瘴期を抑えてるって実感がなくてさ。明日明後日でそいつが暴れることがないか、確認しようと思ってね」
ロイは、床に置いてある鳥籠を目で示した。
「そうだね。わたしも、森の魔力濃度が濃いことは判るけど、結界が張られているかどうかなんて判らないし。もうちょっと色々、調べてみる」
レーヌも頷いた。
あまり遅くならないうちに、2人は床に就いた。
前の村で命を狙われたこともあって少し緊張していたが、夜を楽しむ夫婦の艶っぽい幸せな声を聞いているうちに、眠りに落ちていた。
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村人の言う通り、瘴期が訪れることはなかった。こんな場所で何年か、いや、何季か生活していたら、森の外での苦しい生活のことなど、忘れてしまっても仕方がない。
瘴期の間も何事もないことを確認してから、ロイとレーヌは村人たちに礼を言って旅を再開した。
瘴期に籠の小鳥が暴れることがなかったので、結界の存在は間接的に確認できた。しかし、結界発生の仕組みについては結局判らなかった。
「森の魔力濃度にムラがあれば、その濃淡から何か判るかな、って思ったんだけど、一様なんだよね。濃いところに結界を制御してる仕掛けでもあれば簡単だったんだけど」
休憩の時に、レーヌは言った。
「仕方ないさ。それに、それが判ったとしても瘴期の原因までは判らないだろうし。瘴期が終末の鐘だってんなら、結界を張って瘴気から逃れたとしても、いつかは終わりは来るんだし。結局、原因を突き止めないことには、オレの目的は達成できないよ」
「そうだね」
そう答えつつも、レーヌはもう少しこの森に滞在したいな、と思っていた。瘴期よりも、この森に結界を発生させている機序について、もっと詳しく調べたかった。
同時に、何日か調べたところで何も判らないだろう、とも思っていたので、ロイの決断に異を唱えることもなかった。数日ならともかく、数季、数年という単位で留まることはできない。ロイの目的は、ここにはないのだから。
「そういやあの村、何世代も前から住んでるにしては、人が少なかったよな。50人くらいだったろ? 森の恵みも豊かだし、どうして増えないんだろ?」
「あ、それは聞いた。昔からの教えで、村を15テナー四方より広げるな、って伝わってて、それを守ってるんだって。それで、人が増えたら森の別の場所、1テック以上離れた場所を切り拓いて移り住むんだって」
「へえ。なんでそんなことをするんだろう?」
「それはもちろん、結界に穴を作らないためよ。森の木を伐採して開けた場所を作ると、その真ん中に瘴気が発生しちゃうんじゃないかな。その限界が15テナー四方」
「なるほど。それも村の人から?」
「教えは、そう。でも、理由は誰も知らなかったよ。忘れられちゃったのか、最初から伝えられてなかったのかは、判りようもないけど。だから、結界の穴の話はわたしの推測」
「なるほど」
「村を離して作るのも、同じ理由じゃないかな。木の密度が下がるとその部分の結界を維持できないんだと思う。他にも、畑を作るなとか、肉を保存するなとか、色々と教えがあるみたいね。そのいくつかは、結界の維持に関係しているんだと思う」
いつになく饒舌に話すレーヌを、ロイは見つめていた。
「……レーヌ」
「何?」
「あの村に残ってもいいんだぞ?」
「え? 何で?」
ロイはゆっくりと噛み締めるように話した。
「レーヌ、この森の結界を調べたいんだろ? そうしたって構わない。もしかすると、それが瘴期の原因を探る手立てになるかも知れないし」
「なんだ。そんなこと。気にしないでよ。わたしが魔術の腕を鍛えたのは、ロイの役に立つため、ロイと一緒にいるためだもん。だいたい、わたしがいないと結界も張れないでしょ。一緒に行くよ」
「そうか。ありがとう」
「お礼なんていらないって」
レーヌは屈託のない笑顔で言った。
ロイも優しい笑みでそれを受け止めた。
森の中で2日野営し、村を出てから3日目の正午過ぎに、2人は結界の森を抜けた。
■作中に出てきた単位の解説■
距離の単位:
1テック=100テナー
1テック≒ 1キロメートル
1テナー≒10メートル の感覚です。
時間の単位:
1年=8季
1季≒1ヶ月 の感覚です。
日本と単位が違うので、例えば4季と言っても感覚として4ヶ月の場合と6ヶ月(=半年)の場合があります。そのあたりの感覚は、ルビで察してください。
■魔力について■
作中で「魔力は本体から離れると霧散する」とレーヌは言っていますが、実のところ消えてはおらず、認識できない形で残っています。「異世界転移 ~変貌を遂げた世界で始まる新たな生活~」 https://ncode.syosetu.com/n8574hb/ でマコの名付けた魔力ですね。
マコは、通信障害という形で魔力の存在を確信しましたが、この世界では元々魔力で世界が満たされていて無線通信が不可能なので、消えた魔力が実は残っていることに気付いていません。
……まあ、やつらは知っているわけですが。




