1-016 かつての大河
どこか翳りのある太陽が中天に差し掛かる頃には、ロイの体調も元に戻り、2人は旅を再開した。休息の間に、瘴期に退治した獣の肉をレーヌが燻製にしておいたし、その前の雨の時にも、貯めた雨水を濾過し、レーヌの魔術で消毒したので、食糧は5日、水も4日は困らない。
地図が正しければ、取り敢えずの目標地点である川まで丸1日は掛からないはずだ。今も存在していれば、明日の昼には見つけられるだろう。
「あ、そう言えば」魔力で周囲を警戒しながら、レーヌは思い出したように言った。「この前の村、他とは全然交流がなかったのかな。わたしたちの村が一番近かったんだよね? 今向かっている次の村はもっと遠いし」
「ああ、もう少し近い所にも村があるんだよ」ロイも視線を周囲に配りながら答えた。「あの村の真西よりちょっと北、40テックくらい離れたところに……って、言わなかったか?」
「あ、そう言われると、聞いてたね。そっちを目指そうとは思わなかったの?」
「ちょっとは考えたけど、方角が違い過ぎるからな。その先は地図もなくて判らないし。先が判らないのは、今オレたちの目指している村でも同じだけど、方角的にはその方が良かったから」
「そうだね。手掛かりが、わたしたちの村から南西方向ってことしかないから、そっちに近い方に向かった方が正解に近そうだもんね」
「結果的に回り道の可能性もあるけど、判りようがないからな」
ロイは、村でレーヌから課せられた魔術の訓練の合間に、村人たちに聞いて情報を集めたものの、結局のところ『瘴期は村の南西から広がってくる』こと以外は判らなかった。だから、こうして南西に向かって歩いている。
周りは変わり映えのしない、緩やかな起伏とポツポツと生えている繁みが見えるのみ。
2人は体力を使い過ぎないように、適当に休息をとりながら南西へ向かった。流れているはずの川を目指して。
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「地図の通りなら、そろそろ川があるはずなんだけどな」
ロイが言った。瘴期の後、回復を待って歩き出してから夜を過ごし、陽が昇ってからしばらく時間が経っている。
「涸れちゃったのかな。何年も前の地図なんでしょ? って言うか、ここが川底じゃない?」
レーヌは足で地面を蹴った。
「川底? ここが?」
ロイは先に広がる地面を見た。確かに、踏みしめる感触が昨日まで歩いていた荒野とはなんとなく違っていことには、少し前から気付いていた。
「地面がところどころひび割れているでしょ? ほとんど土や砂で埋まっちゃってるけど」
レーヌの指差す先の地面が、確かにひび割れている。
「確かに、あちこちひび割れてるな」
「ずっと水に浸かっていた場所が干上がって、かなり時間が経っているよね。1年2年じゃひび割れが埋まるほどにはならないだろうし、何十年かは経ってそうだよね」
「うん。100年以上になるかもな。……いや、それだけ経ってたら、目で見て判るひび割れは残ってないか」
「それは判らないけど、どうする? もうちょっと行ってみる? それとも次の村にまっすぐ向かう?」
レーヌの問に、ロイは少し考えた。
「この先、少なくとも1テックには川はないんだよな」
「うん。正確には98テナーくらいだけど」
「レーヌの魔力を最大限に広げて、川があるか確認してくれないか? 南西方向だけ」
「うん、やってみる」
レーヌは、南西を中心に扇形に魔力を広げた。探し物はすぐに見つかった。
「ロイ、あったよ。2テックはないかな、1.8テックくらい」
「すぐ近くまで来てたんだな」
「だね。調べるまでもなかったよ」
「でも、知らなかったら諦めて方向を変えてたな。レーヌのお陰で助かったよ」
「魔術くらいしか役に立てることないからね」
それだけで十分以上だろう、とロイは思ったが、口には出さずに黙ったまま頷いて、止めていた脚を動かし始めた。
レーヌも短剣を持っているが、獣を捌く時を除けば、滅多に抜くことはないし、純粋な剣の腕前であれば、ロイに比べるべくもない。しかし、実のところ、魔術は村一番とされるソーサの腕前をも、旅に出る前の4季の間に抜いていた。レーヌ自身は、魔術の実力を他人と比較することに興味がないので、気付いていないが。
旅に出てからと言うもの、レーヌの魔術の実力を身近で見ているロイは、それを心強く感じると共に、自分との差に少々気落ちしていた。
しかしすぐに心に喝を入れる。レーヌと自分の実力に差があるなら、自分がスキルアップすればいい。その手掛かりは、オオトカゲと戦った時に掴んでいる。
(魔力による身体強化か……あの後、半日も動けなかったけど、昔はそれで戦う人もいたって言うし、毎日少しずつ強化していれば、使い物にできるんじゃないかな)
それに、もう一つ思うこともある。
(魔力で強化しているだけなのに、炎に飛び込んで火傷を防げたって言うことも気になる……無意識のうちに剣と同じように、表面、外側にも魔力を張っていたからだと思うが……それなら、それを応用して結界も張れるんじゃないか?)
それができれば、瘴期の時にレーヌに傍についてもらう必要がなくなり、襲ってくる獣の対処も容易になるだろう。
何にしても、今までは漠然としていた『結界の張り方』に、一筋の光明が見えたのだ。剣の訓練ばかりではなく、これも練習していこうと決意するロイだった。
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レーヌが魔力で川の存在を確認してから40ミールと少し、2人はゆったりと流れる川の岸にいた。川幅はおよそ40テールほどだろうか。
「……この水、飲めるのか?」
ロイが心配になるほどに、川の水は黄色く濁っていた。
「濾過して消毒すれば、飲めるかなぁ?」
レーヌも自信なさそうに言った。
「まあ、試してみるか」
2人は荷物を地面に置くと、ロイが煮炊き用の鍋で汲んだ水を、三脚で地面に立てた濾過器に流し込んだ。空になった鍋を、すぐに濾過器の下に置く。ただ待つだけなのも時間の無駄なので、2人は交代で見守りつつも、剣や魔術の鍛錬に励む。
半分ほどの濾過が終わったところで、鍋の水を魔術で消毒した。
「……見た目は井戸水と変わらないな」
黄色味がかっていた水は、綺麗に透明になっている。ロイは、鍋からカップに水を入れると、まず臭いを嗅ぎ、次に唇を湿らせ、それから一口飲んだ。
「……大丈夫?」
「ああ。普通に飲める」
「良かった。わたしも一口」
レーヌも自分のカップで水を飲んだ。
「うん、普通に水だね。元があれだから、ちょっと抵抗あるけど」
レーヌが視線を向けた先には、濁った川の水。そのまま飲む気にはとてもなれない。渇きに耐えかねたら解らないが。
「しばらくは川に沿って進むんだよね」
「そのつもり。えーっと」
ロイは牛皮紙の地図を取り出した。
「この前の廃村がここで、南西に進んで来たから、今はこの辺りにいるはず。川に沿って南に進んで、この辺りで川から離れて次の村に向かう」
廃村を出る前に決めた予定を、ロイは改めて確認した。
川は、ほぼ南に少し蛇行して流れており、途中で緩やかに南西へと向きを変える。川に沿って150テックほど進んだ地点から川を離れ、30テックばかり南東に進んだ場所に、次の村は位置している。
「だいたい……6日から7日ってとこだね。あと、川から離れる場所を気をつけないと。目標物とかないもんね」
「そうなんだよな。この地図だって、川がだいたいこの辺りを流れているってだけで、実際の流れとどの程度一致してるか判らないし」
「なるべく一定速度で歩いて、歩いた時間って言うか日数で測るしかないね」
「それしかないよな」
距離も方角も時間も、正確に測る手段はない。自分たちの歩行速度と太陽の位置から、大雑把に推測するしかできない。
濾過器に入れた水の残りがすべて鍋に落ちるのを待ってから、2人は旅を再開した。水袋の水は2日分近く減っているが、川に沿って進むので、野営中に濾過すればいい。
川の幅は、20テールから50テールほどの間で広まったり狭まったりしながらも、途切れることなく続いている。地面がほとんど平らなので流れはないようにも見えるが、休憩中にじっと観察すると、わずかに流れていることが見て取れる。
「この流れじゃ、舟を浮かべても歩いた方が速いね」
「そうだな。それに川底に引っかかりそうだし」
「それもあるね。結局、歩くのが一番確実よね」
「村にはいなかったけど、ウマでもいればもうちょっとは楽なんだろうけど」
「ウマがいても、乗れないんじゃない? 結構難しいらしいよ」
「それだって、乗ったことのない奴の言うことだろ? 乗ってみれば簡単かも知れないぞ」
「だったらいいけどね。ウマがいないんだから、どっちでも変わんないよ」
「まあな」
川が近いためか、下草が多くなった荒野を、2人はひたすら歩いた。次の村がある場所まで、まだ数日はかかる。
■作中に出てきた単位の解説■
距離の単位:
1テック=100テナー
1テナー=100テール
1テック≒ 1キロメートル
1テナー≒10メートル
1テール≒10センチメートル の感覚です。
時間の単位:
1ミック=80ミール
1ミック≒1時間
1ミール≒1分 の感覚です。
日本と単位が違うので、例えば40ミールと言っても感覚として40分の場合と30分(=0.5時間)の場合があります。そのあたりの感覚は、ルビで察してください。