1-014 2人だけの瘴期
雨は、陽が暮れてから少しして止んだ。夜の移動は危険を伴うので、2人はそこで夜を過ごし、朝を迎えた。
「今日あたりだよね、次の瘴期。どうする? 先に進む?」
朝食の薫製肉を囓りながら、レーヌは言った。
「いや、今日はここで1日休もう。ここなら囲まれることはないし、この先に同じ条件の場所が見つかるかも判らないし」
「うん、わたしもそう思う」
慎重なロイの言葉に、レーヌも頷いた。
質素な朝食を済ませた後は、ロイは剣を抜いて鍛錬に励み、レーヌは広げた魔力で周囲を警戒しつつ、ロイに置いて行かれないようにと体力をつけるべく、全身運動に勤しんだ。
しかし2人とも、疲労するほどには動かない。瘴期がいつ来るのか判らない。概ね10日おきではあるものの、始まる時間は一定していない。しかし、前回の瘴期から考えて、今日中には瘴期が来るはずだ。
夜から始まることも考えて、2人は交代で仮眠もとった。準備は万端と言って良かった。
∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞
陽が西に傾く頃、籠に入れて連れている小鳥が暴れ出した。
「レーヌっ」
「うん、わたしから30テールは離れないでっ」
ロイに言われるまでもなく、レーヌは結界を張っていた。2人とも荷物を岩の隅に寄せ、ロイは剣を鞘から抜き、レーヌは鳥籠を手に持つ。
「籠持ったままで大丈夫か?」
「大丈夫、問題ないよ。それより、来るよっ。正面右手、6匹、そのさらに右、5匹」」
「もうかよ。早いな」
「小動物だから、瘴気に中てられるのが早かったんだと思う」
「だろうな。来たっ」
ロイは、襲い来る小動物──イタチのような、しかし2人の見たことのない動物──の群を睨みつける。3匹がほぼ同時に、ロイに向かって飛びかかった。
ロイは落ち着いて剣を強化すると、横に薙いだ。その一振りで2匹を同時に斬り伏せ、返す刃でもう1匹を仕留める。
続けて脚を狙って来る3匹に、上から剣を叩きつける。1匹には革の脛当てに喰いつかれたが、魔術で強化した脛当ては喰い破られない。その小動物の脳天に、ロイは剣を突き立てた。
剣を引き抜き、続いて迫る次の5匹に剣を向ける。最初の一団よりも距離があったためか、1匹ずつにバラけて襲い来る小さな獣を、ロイは確実に仕留めていった。
「終わったっ。他にはっ?」
ロイが叫ぶように言った。まだ、ささやかな戦闘の熱が冷めていない。自分の声の鋭さに、ロイは(駄目だな。落ち着かないと)と自嘲する。
「今のところ大丈夫。反対側から4匹来てたけど、わたしが倒しておいた」
左手方向に50テールほどのところに、4匹の獣が倒れている。
「わかった。でも、倒すのは出来るだけオレに任せろよ。レーヌの結界だけが頼りなんだから」
「うん、解った。頼りにしてるよ」
「お互い様だ」
瘴期は始まったばかりだ。
∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞
瘴気に中てられて正気を失った獣は、他の獣を襲う。しかし、必ずしも近くの獣を襲うわけではなく、より多くの獣の集団が近くにいれば、そちらに引き寄せられる性質も持つ。どうも、生命力とでもいうものを感じ取って、それがより強い方向へと引き寄せられるらしい。
それをロイは、村の老人たちから聞いていた。
「つまりは、さっきの獣6匹より、人間2人と小鳥1羽の方が生命力が強いってことなんだよな」
「ロイ、何か言った?」
ロイが呟いた言葉を、レーヌが聞きつけた。もちろん2人とも、警戒は解いていない。
「旅に出る前、オレが瘴期のことを聞き回ってたことは知ってるんだよな」
「うん」
「その時にさ、聞いたんだよ。瘴気に中てられた獣は生命力に引かれているんじゃないかって」
「ふうん。確かに、獣も同士討ちもしないで村に迫って来たもんね」
「村に近付くと、同士討ちもしてたけどな」
「瘴気でそういう能力が身に着くのか、もともとその能力はあって瘴気で強化されるのか」
「どっちかは判らないけどな。そもそも、本当に生命力に引かれているのかも解らないし」
瘴気に中てられたことのあるロイにも判らない。当時のことを思い出そうとしても、どうしても思い出せない。それなので、自分が何を指標にしてランスやエベルに斬りかかったのか、ロイにもまったく判らなかった。
「ロイっ。次来るよ。オオカミくらいのが右手から2匹、左手から3匹。右の方が近い」
「よしっ。右のからやる」
「照らすよ」
「ああ」
レーヌが光を灯す。薄明るくなった荒野に、5匹のオオカミらしき獣が見えた。ロイは、右手の2匹に向けて駆け出し、レーヌも鳥籠を宙に浮かせて離れ過ぎないように続く。
距離を詰めたロイを襲う2匹のオオカミを、ロイは次々と斬り払う。
2匹目を退治すると同時に振り返り、次の3匹と相対する。レーヌもロイの攻撃を妨げない場所に位置を取る。
3匹のオオカミが地に伏すのに、それほど時間はかからなかった。
∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞
「上手くやれてるね」
レーヌは、水筒の水を一口飲んで喉の渇きを癒した。
「レーヌが上手く索敵してくれるからな。オレ1人じゃどうしようもないよ。そもそも結界すら張れないし」
ロイも水を一口だけ飲んで言った。
「でも、ロイだって上手く状況判断して闘っているじゃない? 獣があんまり集まらないように」
「さすがに、オオカミクラスのが5匹6匹集まったら、捌き切れるか自信がないからな」
以前であれば、何匹でも問題ない、と強がっていたかも知れない。しかし、自分の分を弁えた今のロイは、自己を過大評価しなかった。
「それより、それは大丈夫なのかよ。ずっと浮いてるけど」
ロイは視線を鳥籠に向けた。中の小鳥は、レーヌの結界の中にいる間に瘴気は抜け、大人しくなっている。
「うん、平気。軽いから結界と併用でも大丈夫そう。手に持ってると揺れが激しくて可愛そうだからね」
レーヌの口調からすると、本当に片手間でやっているようだ。ロイは、無理はするなよ、とだけ言った。
「そろそろ10ミックくらい経つんじゃないかな」
ロイは言ったが、レーヌは首を横に振った。
「ううん、あと2ミック近くあるはずだよ。わたしも適当だけど」
「まだそんなもんか。長いな」
「交代がないから、判りにくいよね」
村では1ミックごとに、剣士と魔術士は交代していた。それで、だいたいの時間は判ったのだが、交代要員のいない今は、その指標を使えない。警戒を緩められないという緊張感もあり、時間の感覚が曖昧になっている。
しばらくは、瘴期が終わったかのように何もなかった。けれど確かに、まだ終わってはいなかった。
「ロイ、来たよ。後方、まだ魔力に引っかかったばかりだから1テックくらい離れてるけど、大物。クマ2頭。って、ええっ!?」
「どうしたっ?」
レーヌの叫び声に、ロイが鋭く聞いた。レーヌは一呼吸置いて、気持ちを落ち着けた。
「クマの後ろから、オオトカゲかな、追って来てる。あ、クマが1頭喰い千切られた。うわ、体長1テナーくらいあるよ」
「オオトカゲ? そんなのまでいるのかよ。オレ、見たこともないぞ」
「わたしだってないよ。話に聞いただけで。わ、火を吹いた。クマが黒焦げ」
「ヤバそうだな。こっちに来るか?」
「どうかな。クマはオオトカゲを攻撃してて、こっちの方向に押されてただけみたいだけど。……あ、歩き出した、って言うより走り出した。気付いたかどうか判らないけど、こっちに向かってる」
「それはヤバいな……レーヌなら、退治できるか?」
レーヌは即答せずに、少し考えてから口を開いた。
「うん、できると思う。大きいけど、それだけだから」
「それだけって。火を吹くんだろ?」
「それも、見た感じ魔力を使ってるみたいだし、それならどうとでもなるよ。魔術を極めたわけでもなさそうだし」
「それなら、オレも倒せるようにならないとな」
ロイは、重さを確かめるように剣を2、3回振った。
「え? ロイ、あれを1人で相手するつもり?」
「いや、結界は頼むよ」
「それはそうだけど、あれ、魔術士ならともかく剣士じゃきついよ」
「いや、これから先の瘴期でいきなりあんなのを相手にする可能性だってあるんだ。先が見えない時にレーヌに無理はさせられないからな。オレも1人であれくらい退治できないとな。
それに、今ならちょうどいいだろう? 瘴期もそろそろ終わるから、万一危なくなったらレーヌに助けてもらえるし」
ロイは笑ってそう言ったものの、自分で倒し切るという意気込みが感じられた。
「もう。ロイが危なくなったらわたしが倒しちゃうからねっ。わたしとの距離は考えなくていいよっ。どこに行っても結界を張ってあげるから」
「助かるよ。そろそろ来るんじゃないか?」
「うん。20テナーくらい。まっすぐ向かって来る」
「なら、生命力だかなんだか知らないけど、オレたちの場所は解っているんだな。じゃ、行くぞっ」
「解ったよっ」
ロイは岩陰から飛び出した。レーヌも続く。降るような星空の下、地上は暗闇に覆われている。その暗闇の中、地響きが近付いてくる。
レーヌが広げた魔力の一部を光に変える。2人の眼前に、巨大なトカゲがいた。いや、まだ距離はある。しかし向かって来るものが巨大なので、もう目の前にいるように錯覚してしまう。
ロイは落ち着いて息を整えると、両手で剣を構え、迫り来るオオトカゲに向かって突っ込んで行った。
■作中に出てきた単位の解説■
距離の単位:
1テック=100テナー
1テナー=100テール
1テック≒ 1キロメートル
1テナー≒10メートル
1テール≒10センチメートル の感覚です。
時間の単位:
1日=20ミック
1ミック≒1時間 の感覚です。
日本と単位が違うので、例えば10ミックと言っても感覚として10時間の場合と12時間(=半日)の場合があります。そのあたりの感覚は、ルビで察してください。
■動物図鑑■
オオトカゲ:
全身を硬い鱗に覆われた、体長80~100テールの巨大な四足獣。爬虫類ではなく、恒温生物。口から炎を吐くが、実際には炎ではなく魔力を吐き、口から少し離れたところで炎に変えている。
種類によっては、背中に一列の棘が並んでいたり、頭部に二本の角が生えていたり、と形態の違うものが存在する。
「異世界転移 ~変貌を遂げた世界で始まる新たな生活~」 https://ncode.syosetu.com/n8574hb/ に登場した地竜と同じものです、はい。




