1-001 瘴期の戦闘
カンッカンッカンッ、カンッカンッカンッ。
まだ昼にもなる前の早い時間、村外れの櫓の上で打ち鳴らされた板の音が、村中に響き渡る。村の中で作業していた人々、村の外の農地で作業していた人々が、揃って身体を震わせ、焦ったように使っていた道具をまとめて村へ、家の中へと急いで帰る。
放牧していた家畜たちも、村人たちの手で村の中の畜舎へ引っ張っぱられてゆき、分厚い木の扉が閉められ、閂もかけられた。
そんな中、村の広場の隅で案山子を相手に剣の稽古をしていた少年ロイは、警告の音を聞くと自分の家へと駆け出した。
飛び込んだ家の中では父と母が仕事道具を片付けていた。
ロイは2人を見向きもせず、稽古に使っていた木剣を壁にかけた。革の胴着と籠手当て、それに脛当てを素早く身に着け、木剣の下にかけられている鉄剣を取って出口に向かう。
「ロイっ」
父がロイを呼び止める。
「なんだよっ」
ロイは足を止めると、父を振り返っていらいらと言う。
「今さら止めないが、気を付けろ。他の人を傷付けないことももちろんだが、お前の身体を1番に、それから、レーヌのこともしっかりと守れ」
「解ってるよっ」
ロイはそれ以上は言わせもせず、乱暴に扉を閉めて広場へと走った。
広場には、すでに何人もの剣士と魔術士が集まっている。ロイも彼らの中に混じった。すっと寄り添う人の気配に横を向くと、レーヌがいた。
「遅いぞ」
「時間には間に合ってるよ。ロイこそ、もっと肩の力を抜かないと足を掬われるよ」
「オレはいつでも万全だよ」
しかし、ロイの心はやや苛立っていた。
(いつもいつもいつもいつも、なんでこいつと組まなきゃならないんだよっ。オレは1人で平気だってのにっ)
しかし、1人では瘴気に中てられた獣の駆除に参加させてもらえない。ロイは口を引き結んだ。開いたら余計なことを口走りそうだ。
広場の演台に、村で唯一の魔術剣士・エベルが立った。
「間も無く、瘴期が来る。結界士はすでに結界を張っている。我々も、今までのように1ミック交代で10ミック、凌ぎ切る。いいか、ここにいる全員、村を守る大切な戦力だ。擦り傷くらいはともかく、絶対に大怪我をするな。村を守り、必ず生き残れ。解ったかっ」
おーっ、と鬨の声が上がり、いくつもの拳が空に突き上げられる。
「よしっ、作戦開始っ」
エベルの声と共に、剣士と魔術士が組になって村の外へと散って行く。
「ランスさん、オレが先でいいよな」
ロイが、交代で事に当たるランスに言った。隣には、彼といつもペアを組んでいる魔術士のマギーもいる。
「いつもいつも、仕方ないな。おれたちが交代に出たら、大人しく引けよ」
「解ってるっ。レーヌ、行くぞっ。遅れんなよっ」
駆け出すロイの後を、ランスとマギーに頭を下げたレーヌが追いかける。
「ロイがもう少し素直に周りを見られるようになればな」
「レーヌがなんとかするでしょ。前回の瘴期の時のあれ、覚えてるでしょ?」
「ああ。あれには驚いたよ」
2人は、10日前の瘴期のことを思い返した。
2人がロイ・レーヌ組と交代するために村から出た時、ロイとレーヌはそれぞれ1頭の熊と対峙していた。ロイはもちろん、剣を使って斬り捨てたが、レーヌはと言えば、立ち上がった熊が振り下ろす両前足を魔術で受け止め、右手を無防備になった熊の腹にそっと当てた。
次の瞬間、正気を失っていた熊が我に返ったらしく、『なぜこんな場所に?』とでも言いたそうにきょろきょろと辺りを見回したのだった。
「まさか、クマの攻撃を物理障壁で防いだ上に、クマの身体から瘴気を抜くなんてな」
「すぐに、ロイが首を落としちゃったけど。あんなことできるの、レーヌの他にはソーサくらいじゃないかな」
「まだ12だろ。将来が楽しみだな」
「将来があればね。こんなご時世だから」
「まあな。……ま、今は体力の温存だ。1ミック休んでおこう」
「そうね」
2人は、休憩場所の長椅子に腰掛けた。休憩と言っても、瘴期の間は家に入ってのんびりしているわけにはいかない。いつ、不測の事態が起きないとも限らない。
∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞
「左っ、オオカミ2匹っ」
「解ってるよっ」
レーヌの警告に、キツネを一刀の元に斬り捨てたロイは、吐き捨てるように言った。
(くそっ。動物を殺せもしない癖にっ、命令するんじゃねぇっ)
内心毒づくが、剣士1人で事に当たることは禁じられている。瘴期中の瘴気に長く中てられると、人間でも正気を失い、闘争本能のままに敵味方の区別なく暴れ出してしまう。そのため、戦闘中も常に魔術士の結界の中にいなければならない。
1人で戦闘できるのは、魔術剣士のエベルと、結界を張りながら魔法攻撃もできるほどの魔術士のソーサくらいだ。
ロイは、飛びかかって来たオオカミを左袈裟に斬り倒し、続いて襲って来たオオカミを横薙ぎに斬り払う。オオカミたちは、鋭い悲鳴を上げて地に伏し、動かなくなった。
「次は?」
ロイは油断なく周りを見回しながら、レーヌに聞く。
「近くにはいない……けど来るよ。南南東、距離50テナーくらい。小動物の群」
「あれか」
ロイの目も、南に僅かに上がる土煙を捉えた。
40ミテンとかからずに、30匹ほどのウサギの群が至近距離にまで近づく。ロイは剣を振るって迫り来るウサギを1匹ずつ確実に屠り、レーヌは魔力を電撃に変えてウサギを行動不能にしてゆく。
「あっ。ロイっ。離れ過ぎっ」
「戦っているのはオレだっ。オレに合わせろっ」
レーヌは索敵のために広げていた魔力で、ウサギにまとめて電撃攻撃、すぐに駆け寄る……ように見せて瞬間移動し、結界から外れそうになったロイの身体を結界内に入れる。
「今回はちょっと数が多いな」
すでに一度、ランス・マギー組と交代しているし、次の交代時間も近いから、瘴期に入ってまもなく3ミックが過ぎる。時間が経つほどに瘴気の影響は大きくなり、それに伴って獣も増える傾向にあるが、この時間で30匹の群は多い。
「今のがたまたまかも知れない。体力の配分に気をつけて」
「解ってるよっ」
瘴期はまだ序盤に過ぎない。交代で休憩を取っていても、今から全力を出していては最後まで保たない。
(戦っているのはオレだっ。レーヌは黙って結界を張ってりゃいいんだよっ。ウサギの1匹も殺せないくせにっ)
内心で文句を言いつつも、ロイは黙って、レーヌが行動不能にしたウサギにとどめを刺して回った。レーヌはその様子を悲しそうに見ていた。
∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞8∞
瘴期が来てから10ミック、正気を失った獣たちの襲撃は終わった。途中、剣士たちの目を盗んで村に入り込んだ獣も数匹いたが、待機中の剣士や魔術士によって排除された。
人的被害は、軽傷者が数名。物的被害は、荒らされた畑。
結界士の張る結界は、村の家や家畜小屋のすべてを覆うものの、村の周りの畑まではその範囲に含まれない。瘴期の間の戦場も畑とかなりの部分が重なり、どうしても被害を免れない。
瘴期が過ぎると、家の中に籠もっていた村人たちが外に出て来て、剣士たちの仕留めた獣を回収する。瘴気に中てられたと言っても、瘴期を過ぎれば瘴気は抜けるから、貴重な食料になる。無駄にはできない。
今回は、瘴期の終わりが深夜になったので、レーヌは休息せずに、獣の死骸の周囲を魔術の光で照らし、解体や運搬の手助けをした。
「レーヌ、疲れているのに、悪いな」
レーヌの父が、手を止めずに言った。
「大丈夫だよ。でも、明日はお昼まで寝かせてもらうね」
レーヌは、できるだけ明るい声を心掛けて言った。
「すまない。うちのロイの我儘で、レーヌまで動物退治に借り出されて」
一緒に作業をしていた、ロイの父が言った。
「気にしないでください。今さらですし、それに、お陰でわたしも魔術を実戦で試せますから」
レーヌは笑いながら言った。
ロイの父が言うように、本来なら、13歳のロイと12歳のレーヌは、まだ獣の駆除に参加できる年齢ではない。しかし、剣士の不足と、何よりロイが強硬に駆除への参加を申し出て聞かなかった。
とは言っても、結界を張れない剣士をペアとなる魔術士がいない状態で瘴気の中に出すわけにはいかず、それでも強情に討伐参加を主張するロイのパートナーに、幼馴染の魔術士のレーヌが手を上げた。
2人とも成年(14歳)には達していなかったものの、ロイの剣士としての腕も、レーヌの魔術士としての能力も、並の大人以上だったので、村全体の戦力不足もあって、2人の参戦が認められている。
それでも、ロイの我儘がなければ、レーヌが危険な獣の駆除に参加することはあり得なかったはずで、そのことで、ロイの父はレーヌとその両親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいであり、折に触れてレーヌたちに謝罪している。
「レーヌもこう言っていることですし、気にしないでください。それよりさっさと片付けましょう。明日は荒れた畑の手入れもありますから」
「ええ、そうですね」
それ以上は余計なことは口にせず、3人は黙々と作業に勤しんだ。
■作中に出てきた単位の解説■
距離の単位:
1テナー≒10メートル の感覚です。
時間の単位:
1日=20ミック
1ミック=80ミール
1ミール=80ミテン
1ミック≒1時間
1ミール≒1分
1ミテン≒1秒 の感覚です。
日本と単位が違うので、例えば40ミテンと言っても感覚として40秒の場合と30秒(=0.5分)の場合があります。そのあたりの感覚は、ルビで察してください。