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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私が死んだ日

作者: 石橋 奈緒

 雲ひとつない晴れ渡る空と心地よい風が吹く土曜日の昼下がり。過ごしやすい春の陽気が包む出会いと別れの季節に私は、自分の通う高校に来ていた。

 正門を抜け、東昇降口から校舎に入る。自分の下駄箱に靴をしまい上履きに履き替えようと思ったら、上履きが見当たらなかった。

 私が上履きを持ち帰ったことは一度もなかったから、そういうことなんだろうと思った。

 仕方なく靴を履きなおして、外へ出る。

 来賓用のスリッパでも借りようと東昇降口から、少し離れた来賓用玄関へと向かった。

 簡単に受け付けを済まし、スリッパを借りようとした。

「あら、ごめんなさい。スリッパが一足も見当たらないわ」

 事務員なのだろうか。受付を対応してくれたおばあさんが申し訳なさそうに言った。

「お客さんなんて誰も来てないのにね」

 おばあさんが不思議そうにつぶやく。

「大丈夫ですよ。大した用事でもないですから」

 私は、そう言って、靴を靴箱にしまい靴下のまま目的地を目指すことにした。

 あれ以上、おばあさんと話をしていて、誰かに会うことは避けたかった。休日とはいえ、部活動以外の生徒にも制服着用の上で学校は、解放されている。だから、会いたくない人に会う可能性も十分にあった。

 おばあさんは何か言っているが、聞こえないふりをして、近くの階段を上った。

 階段を上るたびに、足の裏から床の冷たさが伝わってくる。みすぼらしい気持ちになって、足取りが重くなった。それでもゆっくりと階段を昇っていく。

 三階に着いたところで少し寄り道をしていこうと思った。できれば、見たくもない向き合いたくもない場所であったが、そこに行くことが私には、必要なことのように思えた。向き合うことで、私の運命が決まると思えたからだ。

 階段から廊下を抜けて、二年A組の教師に着いた。

 そこは、一か月まで私が通っていた教室だった。教室に入り、自分の席を確認する。窓際の前から三番目の席、そこが私の席だった。

 だが、そこに私の机と椅子はなかった。元々、私という存在がこの教室には、いなかったかのようにぽっかりと穴が開いていた。

 私は、教室を飛び出した。靴下のままなのも忘れて走った。泣きそうな気持ちを悔しい気持ちを押し殺して、走った。階段を急ぎ足で上り、目的地に着いた。

 走ってきた勢いのまま扉を開ける。屋上に着いた私は、膝から崩れ落ちて、泣いてしまった。声にならないような声をあげて、ただひたすらに泣き続けた。

 校庭から、部活動に勤しむ生徒たちの声が聞こえる。私がどんなに辛く、悔しい思いをしても彼ら、彼女らの日常は続いていく。私は、それが許せなかった。

 だから、私は今日この学校に爆弾を落とすと決めたのだ。

 彼ら、彼女らの日常を全て破壊してしまうような爆弾を。

 出会いと別れの季節に別れに重きを置いた爆弾を。

 それは、この屋上から飛び降りること。私の死という爆弾を持って、日常を破壊する。

これは、私の復讐だ。

 決意は固まった。あとは、踏み出すだけだ。

 私は、ゆっくりと屋上の縁を目指して歩く。

 そこで、違和感に気付いた。誰かがいる。

 屋上には、落下防止のフェンスがあり、それを乗り越えた先に縁がある。そこに誰かが座っていた。

 それは、男の子のようだった。学ランに身を包み、縁側に座っているかのようにのんびりしている。少しでも身を乗り出せば死んでしまうのにそんなことは気にしていない様子だった。

 私は、彼と会ったことがあるような気がしたが、うまく思い出すことができなかった。

 私の視線に気が付いたのか彼が、振り返った。表情一つ変えず、無表情に私を手招きする。不審に思いながらも呼ばれたまま、私はフェンスを乗り越え、彼の隣に立った。

 不安定な屋上の縁に立ち、地面を見る。その高さに思わず恐怖する。

「怖い?」

 彼が聞いてきた。高くもなく、低くもなく中性的で落ち着きのある声だった。

「怖くないよ」

 強がってそう答える。半分本当で半分嘘。でも私の決意は固まっているのだ。今日、私は爆弾になる。

「そっか」

 彼は、興味なさげに言った。

 だが、彼は私を見つめていた。嘘を見透かしてくる瞳だった。

 その瞳に気圧される形で、彼と同様に私も縁に座った。知らない人とはいえ、誰か目の前で飛び降りる気にはならなかった。それに少年の傍にいると不思議と懐かしい感情や温かさに包まれて、先ほどまでの決意がゆっくりと鈍っていくようだった。

 隣の彼を見遣る。中学生に見える彼は、この学校の生徒ではないだろう。どうやって校舎に入ったのだろうか。

「あなたは誰なの?どうしてこんなところにいるの?」

 素朴な疑問を聞いてみた。

 彼は何も答えずに、足をぶらぶらさせ始めた。

 まるで、足元を見ろと言わんばかりだった。

 彼の足元を見て、私は驚いた。彼は、私の上履きを履いていた。彼が、足をぶらつかせる度にサイズの合わない上履きは落ちそうになる。

 訳が分からなかった。私をいじめている人たちに盗まれたか、捨てられていると思っていた上履きを見知らぬ少年が履いている。偶然、私の上履きを履いているとは、考えにくかった。上履きには、私の名前が書いてある。しかし、初対面の彼が、私の名前を把握している訳はないし、私がここに来ることを知る由はないはずだ。

 私は、驚きのあまり何も言えなかった。色々な考えが頭を回るが、正解が見つかる気がしなかった。

 私が、上履きに気付いたことに満足したのか彼は、足をぶらつかせるのをやめた。彼は、後ろを振り返り、フェンスの内側を見始めた。丁度、私が入ってきた屋上の入り口あたりを見つめている。

 私も一緒にそちらを見る。屋上の入り口からは、死角になるところにゴミ袋が二つ置いてあった。ここから中身を辛うじて見ることができた。

「……来賓用のスリッパ」

 それは、来賓用玄関の受付に居たおばあちゃんが言っていた消えたスリッパだった。あれも彼の仕業だったのか。

 いよいよ訳が分からなくなっていた。夢でも見ているんじゃないのかと思えた。飛び降りる決心をした日にこんなことって。私は、少年を見た。この少年は、一体何者なんだ?得体のしれないものに接している恐怖が湧いてきて、鳥肌が立ってきた。

「あなたは、なんなの?」

 改めて、問い返すと彼は、私の目の奥を見据えて言った。

「僕が、何者かを答えることはできないけど、君が自殺するのを止めに来たんだ」

 私の自殺を止める?どうして彼は、初対面の私が今日、自殺することを知っているのだろうか。今日のことは、もちろん誰にも話してなどいない。ただ、彼が何故、私の上履きを盗み、来賓用のスリッパを全て持ち出したのかは、なんとなく理解ができた。彼は、私が屋上に来ることを阻止しようとしていたのではないのだろうか。それにしては、遠回りなやり方だと思った。実際に上履きやスリッパが無くても屋上に辿り着くのは、容易だった。だからこそ、次の疑問に行き着く。何故、彼は力づくで、止めるという一番簡単な選択をしないのだろうと。屋上の縁まで、私を手招きしたのは彼で、隣に居る私の行動を邪魔しようという動きすらなかった。

 頭の中がひたすら混乱している私を見て、彼は少し私に近づく。そして、私の手を取って、強く握りしめた。

 私の手を握る彼の手は、生きている人間とは、思えないほどに冷たかった。だが、不思議と温かさを感じた。

 そして、私の頭の中にたくさんの映像が流れ込んできた。学校に着いて、屋上に向かう私。屋上で彼と話している私。そして、屋上から飛び降りる私。これは、記憶だ。私と彼の記憶だ。彼に会うのは、これで四回目だった。そして私は、三回死んでいる。

 思い出した。彼は、私の自殺を何回も止めようとしていた。その度に私は、それを無視して自殺を繰り返していた。

 全てを思い出した私は、おもむろに立ち上がった。人一人がなんとか立つことのできる心もとない足場にふらつきそうになる。

 立ち上がった私を見た彼の表情は、驚いているようで、初めて彼の無表情が崩れるところを見た。それは、過去の記憶を遡っても初めてのことだった。

 だが、一瞬でいつもの無表情に戻ってしまう。

 それが少し可笑しくて、愛らしくて、笑ってしまった。笑っている私を彼は、無表情に見つめている。

 私も彼を見つめる。

「ありがとう」

 そう言って、屋上の縁から一歩、前へ踏み出した。途端に体は、重力に引っ張られ、地面に向かって落ちていく。

 そういえば、なんでいじめられていたんだっけ。そうだ。二か月の同じような晴天の日に黒猫を助けたんだ。その黒猫は、クラスの人たちからいじめられていて、そこを私が助けたから、そこに目をつけられたんだ。なんでそんなこと忘れていたんだろう。そういえば、あの猫は、元気にしているかな。最後に会ったのはいつだっけ。いじめられていないといいな。

 そこで、彼のことを思い浮かべた。

 そうか、君はあの時の……。

 強い衝撃の後、私の意識は無くなった。

 

 雲ひとつない晴れ渡る空と心地よい風が吹く土曜日の昼下がり。過ごしやすい春の陽気が包む出会いと別れの季節に私は、自分の通う高校に来ていた。

 正門を抜け、東昇降口から校舎に入る。靴を脱ぎ、上履きに履き替えて、屋上を目指した。階段を上り、屋上の入り口に着いた。屋上へ続くドアを開けると一人の少年が待っていた。

 春風が優しく頬を撫でて、淡い桜の香りを運んでくる。それは、出会いと別れの香り。

 少年は、振り返り、無表情のまま言った。

「君の自殺を止めに来ました」


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