7.迅鬼《じんき》
瑠川が叫んだ。
「天登! 戦うな! 本殿へ上がれ! 本殿には結界がある!」
「は、はい!」
天登は瑠川の言葉で、この妖魔は自分のレベルでは手に負えない相手であることを悟った。
瑠川に任せるしかない。
天登は踵を返し、本殿に向かって全速力で走り出した。
「へっへぇ!逃さねぇよヒヨコさぁん」
振り返った迅鬼は左手を勢いよく前へ出した。
するとなんと、迅鬼の手が伸び、すごい勢いで天登の方へ近づいてくる。
追いつかれると思った瞬間、迅鬼の手が止まった。腕が震えている。
後ろを見ると、瑠川の鎖鎌が迅鬼の右肩から左足にかけて巻きつき、何重にも絡め取っていた。
「俺に背を向けるとは、なんて愚かなんだ、迅鬼」
鎖の端を右手に握っている瑠川は、空いている左の掌を前に突き出し、勢いよく拳を握った。
すると鎖鎌が一層光り輝き、迅鬼を締め付けていく。
「うぎゃあああっ、瑠川、こらっ、いてーだろがっ! うぎゃあああ!」
瑠川は無言で突き出した左手に力を込めて握り続ける。鎖を伝い、瑠川の腕にも迅鬼の血が滴ってきた。
天登は本堂にたどり着いた。
本堂内は外の酷暑や迅鬼の殺気が嘘のようにシャットアウトされていた。
物理的な壁はなくとも、妖魔が入れない結界が張られているのだ。
「ぐぎぎぎぎ、おまえ、まだあの女のこと忘れてないのかぁぁ? 瑠川ぁぁ!」
「黙れ! 黙って死ね! 迅鬼!」
「瑠川さんがあんなに逆上するなんて……。あの妖魔に、何か因縁があるんだ……」
天登には自ずとそれが感じられた。
「迅鬼ぃぃ! トドメだ!」
瑠川が左手を天に上げ、二本の指を立てた。そこに心気がどんどん集まり、光の色が白から青に変わっていく。
「最後だ! 二指青天!」
瑠川は青く輝く二本の指を、勢いよく鎖に接触させた。
すると青の光は瞬く間に鎖を伝って迅鬼の身体に達し、その全身を包んだ。そして人型の青の火柱が勢いよく上がった。
「うぎゃああああ、あちぃあちぃあちぃ!」
鎖が解け、地面を転がりながら苦しむ迅鬼。
「むんっ!」
瑠川が二本指を迅鬼に向け、更に力を込めた。すると大きな爆発が起こり、迅鬼の身体は吹っ飛び、本殿の前へ落下した。
青の炎はやがて消え、黒く炭になった迅鬼が敷石の前に横たわった。
天登は近づき、本殿から迅鬼を見下ろした。
まだ煙が燻っているが、完全に炭化したようにみえる。
「近づいちゃいけない!」
瑠川が叫んだ瞬間、迅鬼の炭化した右腕が動き、伸び始めた。
天登が気づいた瞬間には、くるぶしに迅鬼の腕が巻きついていた。
「うわっ! なんで生きてるんだ!? うわぁぁ!」
迅鬼が立ち上がるや、天登の足首を掴んだまま逆さ吊りにした。
すると迅鬼の身体からポロポロと炭がこぼれ落ちた。
「へへへ、炎に包まれる前に身体中の毛を生やして全身を覆ったのさ。炭化したのはその毛だ。さすがにダメージは負ったが、致命傷じゃねえ。ヒヨコのお前を殺すぐらい訳ねえなあ」
迅鬼は天登を本殿の奥へ投げつけ、壁に叩きつけた。
「ぐぁっ!」
そのまま迅鬼が本殿に上がろうとしたとき、結界に触れた。
「ぐがあああ、小賢しい、こんなものおおお!」
迅鬼は右手に赤い妖気の光を集め、結界の中に突き刺した。
さらに空いた結界の穴に両手を入れ、穴を無理やり広げると、人が通れるほどの大きさになった。そこから迅鬼が侵入してくる。
「待て迅鬼ぃ!」
全力で本殿に向かって疾走する瑠川。
しかし到底間に合う距離ではない。
迅鬼は一気に天登に近づいた。
「へへへっ、ヒヨコ狩り完了っと!」
右手の長い爪を天登に向かって振り下ろした。
天登は、最期を悟った。
「……」
目を瞑っていた天登は、顔を上げた。
その瞬間から1秒も経っていないだろうが、攻撃されていない。
苦しみに耐える迅鬼の顔が目に入った。
(なんだ? 助かったのか? 何が起きた?)
「だ、誰だ?」
振り向く迅鬼。
「私に背を向けるなんて、愚かの上塗り」
「ぐぐっ」
迅鬼がうつ伏せに倒れ、天登の視界が広げた。
そこには血が滴る刀を構えた、袴姿の美しい少女がいた。
「小雪、天登! 迅鬼から離れなさい!」
代わりに瑠川が迅鬼に近づく。
「お前は破邪士の拠点を襲撃したんだ。背後に気を配らないのは、馬鹿の極みだな」
「へっ、俺は後ろも見えんだよ、その嬢ちゃんの滅気が尋常じゃなかったんだ……。褒めてやれよ瑠川」
「お前に言われずとも。そろそろ死ね、迅鬼」
鎖鎌に光を込める瑠川。
「そうはいかねぇなあ、また会おうぜ瑠川」
捨て台詞を残すと、迅鬼は風のように消えてしまった。
「あいつ! 結界内でも霧消の術が使えるのか……、迂闊だった……」