51.雨神楽《あめかぐら》錦《にしき》
錦は、破邪士の家系で育った。
とはいえゴテンとは関係を持たず、独自の伝承で心気を使いこなし、代々改良発展を加えてきた家だ。
心気の研究、研鑽を通じ、代を追うごとに、子孫はより強くなった。
その中でも、錦は神の子と呼ばれた。
文字通り、古代、妖魔との戦いの先頭に立った神話時代の勇者に擬えられた。
錦は、生まれながらに心気が多量だった上、身体能力も異常に高かった。特殊な技も使え、武器も器用に扱った。
雨神楽家は、伊勢の神域を代々妖魔から守ってきた。
日本各地の神社の宮司、禰宜、神主らは、破邪士として地元に出現する妖魔に対処してきたが、伊勢は神域が広く、また神職が多いため、域内に蔵する心気の総量も大きい。
そのため古くから妖魔に狙われやすい土地柄で、主に殺人や人食い、人攫いのために、周囲の人々は暗に陽に、妖魔に悩まされてきた。
そんな土地柄で、伊勢神宮の宮司の頼みで妖魔退治を一手に引き受けてきたのが、雨神楽家であった。
錦は幼い頃から祖父母、父母による、厳しい鍛錬を受けてきた。肉親でもある師達には、それぞれ心気使いとして特技がある。
祖父は剣技、祖母は特殊能力、母は体術、父は剣技•体術の求道者として、錦と向き合った。
やがて10代の後半になると、錦は家族の誰よりも、破邪士としての腕が立つようになった。
ある時、伊勢の街から若い娘が相次いで失踪する事件が起きた。
以前から失踪事件は起きていたが、年一件などの割合で、他地域との差がなく、妖魔の仕業とは断定できない状況だった。
しかし、ここ数週間で少なくとも10人の娘が姿を消している。
雨神楽家も伊勢宮司と連携しながら情報収集、妖魔探索を続けていたが、妖魔の尻尾を掴みかねていた。
妖魔は普段人間社会に溶け込んでいる者も多い。飲食店や土産物屋が連なる横丁など、平日でも観光客でごった返しており、人混みに紛れると特定できない。
錦はよく、横丁にある馴染みの蕎麦屋の二階で、ぼんやりと道ゆく人を見ていた。
無論妖魔を見張るためだが、数多の顔を見ていると、人の数だけ人生があり、その履歴が全ての顔に出ていると感じ、飽きなかった。
この店は先祖を雨神楽家の破邪士に救われたことがあり、雨神楽家が得意先でもあって、錦の小さい頃から可愛がってくれた。
だから錦が通りを見張るときは、いつまで居ても喜んでくれた。
店には、年頃の娘がいた。
錦の方が5つほど年上だが、娘は幼少の頃から錦を慕い、その心はいつしか恋となっていた。
錦への給仕は、いつも娘がした。娘の弾む気持ちは、誰から見ても一目瞭然で、店の者はそれを微笑ましく見ていたが、ただ一人、錦だけがそれに気づいていないようだった。
錦がある夕暮れ時、道ゆく妖魔を発見し、通りの反対側の店の中庭にひらりと飛び降り、妖魔の追跡を始めた。
その時錦は、剣を帯びていなかった。剣なしで充分な相手と踏み、あえて置いてきたのだが、娘はこれ一大事と、剣を抱えて店を飛び出した。
錦はすでに妖魔を捕らえ、首根っこを掴み、五十鈴川の河原へ引っ張っていくところだった。
娘は追いついたもののドキドキして、錦に声をかけられずにいた。
錦はまだ人間の姿のままの妖魔の首を、心気を帯びた手刀で落とした。
妖魔の骸はすぐさま蒸発したが、娘はその情景が恐ろしいものの美しく感じ、錦への恋心は、手の届かない憧憬の対象へと、昇華された。
それからというもの、錦へ気軽に話しかけていた娘の態度は、慇懃になった。さすがの錦も娘の態度が変わってしまったことに気づき、一抹の寂しさを覚えたが、特に触れなかった。
ある日、いつものように見張りを終え、宵が迫る横丁からそろそろ引き揚げようと錦が腰を上げたとき、いつも茶を下げに来る娘が来ない。
忙しいのかなと階下に降りていくが、娘の姿はない。




