5.修行開始
天登と瑠川が病室を出ようとしたとき、カチャリと物音がした。
母さんのベッドから何かが落ちた音。あかりがそれを拾った。
「ペンダント? お母さんの、かな?」
あかりの手の中にあるペンダントに、天登は見覚えがあった。
三ツ藤巴の中心に、三日月がデザインされている。黒い革紐を通してある。
「それ、父さんのだ」
「え? 天登のお父さんの?」
「あぁ。一枚だけ残っている写真で、父さんがしていたペンダントだ」
「お母さん、肌身離さず持ってたのかな?」
「そうかもしれない」
「天登、これ、身に付けて、持ってきなよ」
「えっ?」
「天登が戦いに行くって時に、これが出てきたんだよ。私は偶然には思えない。お母さんが、天登に託したんだよ」
「……」
「さぁ」
あかりは、天登の背に回り、ペンダントを結んでくれた。
「うん、似合う!」
天登は、ペンダントを握りしめた。
今から始まる戦いは、想像もつかない。
しかし、母が託してくれた父のペンダントを身につけていると思うと、小さな勇気が湧いてくるような気がした。
「どこに向かうんですか?」
病室を出てエレベーターを待つ間、天登が瑠川に尋ねた。
「ああ、言ってなかったね。私たちの拠点に帰ります。あなたは、これからそこで寝泊まりしてもらうわよ」
病院の受付ホールに差し掛かったとき、「瑠川くん」と声がかかった。
天登たちが振り向くと、品の良いスーツに身を固めた、穏やかな老紳士の姿があった。
「署内ではうまく処理しといたよ」
「あぁ、ありがとうございます、信三さん。あんなに野次馬がいちゃ、流石に大変だったんじゃないですか?」
「まあね。でも最近は、精神系のいろんな病名があるからね。この警察病院の院長も、古い付き合いだ」
「あ、あの……」
天登が口を挟んだ。
「警察の方ですか?あかりや、お母さんは、罪に問われるんですか?」
「君が津神天登くんだね。私は佐竹信三。警察の者です。今回は大変だったね。だけど大丈夫だ。妖魔が起こした事件ということは公式記録にはできないが、署内ではうまく特別な処理をしているよ。もっとも、真相を知っている者は私とこの病院の院長だけだがね。今回の事件については、君はお母さんの回復だけを願っていればいい」
「警察は、妖魔を知っているんですか?」
「公式にではないし、警察全体でも、ごく一部の者だけだよ。私のような経験だけ長い老ぼれだと、いつしか事件に超常的な者の力を感じるようになる。そんな現場にいつも居合わせるそこの瑠川くんを問いただしてね、10年ほど前に、存在を知った」
「ちなみに、破邪士組織は門外不出の秘密組織だけど、実は日本政府の公認なのよ。ちゃんと予算もついてるし」
瑠川が付け加えた。
「政府も知ってる?」
「それもごく一部の人間だけだけどね。ちなみに警察庁じゃなくて宮内庁の所管だから、警察内部では、信三さんのように知る人ぞ知るって感じだね。警察は組織がでかいから、一般に知れちゃうと大混乱だからね」
信三が改めて天登を労った。
「今回は本当に大変だったね。まだ何が起きたのか、信じられないだろう。しかし君の使命や、その資質は、人類にとってかけがえの無い、妖魔に対する盾なんだ。我々警察の力が及ばない攻撃に対峙するには、破邪士の力が絶対に必要だ。療養中のお母さんのことは、私が責任をもつ。人類のために、頑張ってほしい」
「は、はい。俺はそんな大した者じゃないけど、俺にできることはすべて、やります!」
「それじゃあ、行こうか」
瑠川が促した。
二人は病院を後にした。
歩いて10分ほどで、瑠川が拠点と呼ぶ場所に着いた。
「ここが私たちの拠点。修行したり身体を休めたり、簡単な治療もできる」
そこは、天登もよく知っている近所の神社だった。
「ただの神社だと思っていました」
「そう見せてるからね。まあ私たちと言っても、ここを拠点としている破邪士は、君を入れて3名だけ。もう1人はあとで紹介するよ」
境内を横切りながら、瑠川が言った。
「昨日の今日で、さすがに疲れたわよね?まずは休む?それとも修行する?」
「修行します! 休んでなんかいられません!」
「よし、その意気! じゃあ今から荷物を家に取りに行って、着替えたらこの境内に集合」
天登は荷物を持って再び神社へ戻った。
用意された着替えは、稽古用のユニフォームだった。黒のスタジャンのような形状だ。
「それじゃあ、境内に出よう」
修行が始まった。
広いのに人っ子一人いない境内の中央で、天登と瑠川は、向かい合って立った。
正面にはこれまた広い本堂があり、奥には御神酒など供物がみえる。
「まずは、心気を掌に集め、現出させてみよう」
言いながら瑠川は目を閉じ、腕を下ろしたままで両掌を天登に向けた。
すると瑠川の掌が白く輝き出し、やがてテニスボール大の光球になった。
「これが心気。これを作れるようになるのが、まず目下の目標。心気は、心の気と書きます。心、つまり気持ちの昂りをエネルギーに転換し、掌に集める。昂らせ方は人それぞれだけど、怒りが最も激しくて、初めての場合は出しやすいかな」
「はい、やってみます」
天登は昨日のことを思い出した。
あの時、咄嗟に心気を作り得たのも、催魔に対する怒りが原動力だった。
(一度できたんだ。あの時の感情を思い出せば、作れるはず)
「ぐっ……! 出ない……!」
どれだけあの時の感情を呼び起こしても、掌に光が出てくる気配がない。
「最初からできる人なんていないよ。簡単に出ちゃうと人間社会も混乱しちゃうしね。感情をエネルギーに転換するというイメージなんだけど、肝心なのは目的意識。あの時、君はどうしたかった?」
「催魔を、やっつけたかったです」
「そうだね。今も何か目的を持ってみよう。あの岩を破壊してみようか」
瑠川は、境内の隅の庭石を指さした。腰ほどの高さで幅は1メートルほどある。
「全部を破壊するところまでいかなくても、あれを攻撃するという目的を持ってみようか」
天登は再び掌に力を込めながら目を閉じた。
あの場面を思い出し、怒りを奮い出そうとした。
あの時、あの催魔をどうしても止めたいと思った。
やっつけたいと思った。
あの岩は催魔だ。
もう一度やっつけてやる。
「で、出ない……」
「まあ最初はそんなところだね。全然気にしなくていいよ、わたしなんて、最初は半年かかったから。フフフ」
天登のがっかりした顔を眺めながら、瑠川は続けた。
「さっきも言ったけど、心気の作り方は本当に人それぞれなんだ。怒りや悲しみとか負の感情は初心者向けだけど、熟練の破邪士は、嬉しい気持ちとか、感動とか、正の感情で作る人もいる。ま、気長に頑張っていきましょう」
言いながら瑠川は、本堂に上がって行った。