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Ep.6 想起される声、あるいは痛み

 

「…………。」


 目を抑える右手を、はなせない。

 今は少し、誤魔化していたい。


 終わってしまったことはどうしようもないけども……。

 やはりほんの数時間前まで、自分の横で笑っていた弟の声を、あの笑顔を、忘れられるはずがない。


『ニーチャン!』


 思い出してしまうと、こらえるので精一杯で――。


 不安な感情と、落ち着かない心臓のせいで胸が苦しくて、ズボンにぶら下がっているペンホルダーを握りしめた。


「だ、大丈夫じゃったか!? 転移には慣れておらんかったよな、本当にすまんのう……」


 セレスさんが慌てている。あ、謝らなくては。彼女は何も悪くないんだ。

 ただ声が、偶然にも俺の弟と似ていただけだ。


『おはよ、ニーチャン!』

「……ぉご……ぁ……」


 声が、出ない。謝れない。頭の中で、声が響いてて。わけがわからない。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう……


[……彼はあの場所まで長時間歩き続けていたので、とんでもない疲労がたまっていたはずです。

 先ほどの門番とのゴタゴタで、一時抜けていた疲労が、貴方に保護されて安心したことで、一気に戻ってきたのでしょう。非常に厚かましいのですが、どうかベッドを貸していただけませんか?

 このままでは彼、死んでしまう可能性もあるので。]


 目を抑えたまま固まっている、こんな俺の気持ちを汲んでくれたのか、セプトはフォローしてくれた。

 まあ、言ってることのどれがホントでどれがウソかはわからないし、考えたくもないが。


 ありがとう。本当に。あの時は散々罵倒してしまったけど、俺がここで生きてるのはお前のおかげだ。

 絶対に、全部は口には出してやらないけど……な。


『さすが兄者! 俺のことわかってるぅ!』


 ああ、まだ声が反響している。

 あの時に比べて精神が落ち着いた状態で思い出して、それでこうなのかよ。


 逆に、悪化してるじゃねえか。俺。


 抑えた目の下を、つっと雫が伝って、地面に注がれた。

 ……せめて、嗚咽は抑えなければ。


「うぬぬ……死ぬ……とは、穏やかじゃないですのう。して、何か理由はあるのかの?」


 話せない俺を置いて、会話は進む。セプトは、どうするつもりなんだろうか。


[ええ……まあ、話しづらいですし、本人が話せない状況で勝手にいいものか……本人が話したいなら、何を話してもいいんですけどね。我々の素性をすべて明かすも伏せるも、全て彼の望み次第ですので。]


「……ぁ、が、と……」

 ……酷くかすれた声が、喉から漏れた。すべての選択を、勝手にしないでくれたのはありがたい。

 しかし、選択権を与えられるというのは、俺はあの地獄から目を背けて逃げることを許されていないことをも意味するのだが。


『あいよニーチャン、数分しか待たないからね』

 あの日の会話は、俺の脳みそを揺さぶり続けた。


「ええい、仕方あるまい。おじい! 一番近い寝室を!」


 彼女がと手をたたいたのであろう、パチパチ、と弾けるようなよく響く音と共に、突如近くからコツコツと足音が近づいてくるのが聞こえた。


「かしこまりました、セレス様。この方を休ませておきます」


 男の人の声が聞こえた。セレスさんと彼の口ぶりからして、きっと執事さんなのだろう。


「わしらは先に応接室へ行くとしよう。どうも込み入った事情がありそうじゃし、もう少し落ち着いてから話した方がいいじゃろ。わしの好奇心で人を壊しては、気分も良くないしの……。」


 セレスさんの声が、彼女たちは別の場所で過ごすということを告げる。

 だが、話さない、と告げてくれることが俺に安心感を与えた。でもこの口調からして疲れではないことを察知されているのだろう。ただ、察しない方が難しいほど、今の俺はおかしいから仕方ない。


「さあ、我々も移動しましょうか。ふむ、私のような爺臭い男に抱きかかえられるのも嫌でしょうし……まだ歩くことは可能ですかな?」


「……は、ぃ。」


「よし、ならば私が背中を押すから、そのまま歩いてくださるかな。まだ目を開けたくないのでしょうしのぅ。」


「……ありがと、ございます」


 震える声を、どうにか絞り出した。


 おじい、と呼ばれていたその人の手は、俺を寝室まで導いてくれた。


『ニーチャン』と俺を呼ぶ声が、頭から離れなくて。

 一歩一歩、歩みを進めるたびに足が震え、時々地面に崩れ落ちてしまったが、なんとかベッドにたどり着くことができた。


 そのまま、目から手を放してベッドに崩れ落ちると、一瞬視界を初老の男性の姿がよぎった。

 この人が、執事さんか……。


「……何があったのか、この老いぼれの執事にはわかりませぬ。しかし、この世界には、心を一瞬で治したり、本当の疲れを消すことができる魔法など、存在しませぬ。いや、存在していてはならない。

 今はゆっくりと休み、落ち着いて、苦しみを癒すのが良いと思いますぞ」


 "おじい"さんは、そう言いながら布団を俺にかけてくれた。


 ……温かい。

 思わず、笑みと涙がこぼれた。


「私はすぐ近くの椅子に腰かけておりますので、何かあったらすぐにお呼びください。

 必要なもの、話しかける相手、必要とあらばなんでもさせていただきます。」


 そして、コツコツという足音がし、離れていき、ぽす、という音と共にそれは止んだ。


 ……何故だろう、何故そんなに、好奇心のためだけに、そこまでしてくれるのだろう。


 好奇心のため、というのもあるだろうが、本当は半分ぐらい噓なんじゃないか?


 下位貴族、上位貴族。かつて高校時代に学んだ歴史の授業を思い出す。

 中世ヨーロッパの、貴族の話に。心底うんざりして。

 高校時代、いつかのテストにあった「授業の感想」枠に、「身分が高い人はかわいそう」などと書いたことさえある。


 反吐が出るほど、気味が悪いルールやマナー、作法によって縛られ、互いを品定めするような社会……

 あらゆるしがらみは、彼女の立場や生き方だけでなく、もっと多くの事を縛っているに違いない。

 その中で、それでも立ち向かって、歩んでいるのだろう。


 最も、すべては想像でしかないが。


 俺も、この過去と共に、歩めるだろうか。


『ニーチャン。』

 弟の声が、ようやく、止んだ。


 疲れが酷くて、俺はそのまま眠ってしまった。


 ・・・。


 目が覚めた。夢は、見なかった。肉体的に疲れすぎて、俺の脳みそは俺に悪夢を見ることもさせられなかったのだろう。


 だが、一度寝たおかげか、大分頭がすっきりしていた。


 ベッドから出て、一度立ち上がって、再びベッドに腰掛ける。

 前をみれば、執事さんは俺の事を見つめていた。


「……あの、執事さん。良かったら、俺の話を聞いてくれませんか」


 向き合いたい、過去と。少しずつでいい、立ち直りたい。

 そうしなければ、復讐は成しえないから。


「ええ、もちろんですとも」


 その言葉に安心し、全ての事を話した。許されていたから。

 どれだけ寝ていたかはわからないけれど、俺のために待ってくれていたこの人が悪人のはずがない。


 俺は語る。過ごしてきた日常。幸せだった日々。訪れた、災厄の時。

 "機械兵"が現れて、街を壊されて、たくさんの人が死んで。弟の手を掴んで、逃げて。

 弟を建物に逃がして。直後の機械兵の攻撃でブッ飛ばされて。


 それから。その後に、起きたのは。


「……ッ……ングッ……!」


 目頭が、熱くなる。視界が、にじみそうになる。喉がすっぱい。吐きそうだ。

 ダメだ、泣くな。お兄ちゃんなんだからな、俺は。こんな顔、あいつに見せられない顔をするな。


 思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな――

 思いだせ。逃げるな。向きあえ。

 考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな――

 自分の意志を、しっかり持て。


 向き合うって決めたなら、目を、開けろ。アキラ。諦めないんだろ、復讐を。

 向き合うところから始めなければ、どこにも進めないだろ?

 ……()()()()()()()()()()()()()()。だから、()()()


「……ぉ……お、弟が、その時、が、瓦礫につぶされて。……腕、だけが、見えて。その、瓦礫、踏んじゃって。あの時、もしあいつが、その前まで生きてたとしたら。俺が、俺が余計苦しめたかもしれないって。もしかしたら、止めを刺してしまったかもしれないって。怖くて、仕方、なくて……ッ!」


 震えながら言葉にする。涙が出ても止めない。止まらない。

 一時だけでも、向き合って。一歩だけでも、今進まなければ。


 一生、このままな気がして。俺には、そちらの方が怖く思えて仕方がなかった。

 でも、これ以上は感情の波に押し流されてしまいそうで。


「なるほど、家族を喪われたのですか……辛いでしょうし、続きは少し落ち着いてからにしませんか?」


 そう言いながら、"おじい"さんは紅茶を持ってきてくれた。


「これでも飲んで、元気になってください。温かいものは心に効きますよ。」

「あ、ありがとうございます……」


 口にすると、口中に、柑橘系の香りと、ほのかな甘みが広がった。

 そしてその温かさが、俺の、底から冷え切った心を温めてくれるのを感じた。


 なんだか、不思議とふわふわした感じがする。心が少しだけ軽くなったような。

 弟を喪って、ここに来て。何もかも思い出せるし怖くない。

 今なら何もかも受け入れられるかもしれない。


「紅茶、ありがとうございます。大分落ち着いたので、良ければ話の続きをさせてください。」

「ええ、ぜひ。」


 会話は、続いてゆく。

 俺が、明らかな異常に気付くこともなく――。


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