Ep.1 平穏な日常、あるいは永遠の傷
俺の名前は、佐原 彰。今日で20歳。今日から酒が飲める。
ぴちぴちの大学2年生で、学校ではアキラと普通に名前で呼ばれることが多い。
今は色々あって、現在高校3年生の弟・理央と二人で暮らしている。
「おはよ、ニーチャン。ずいぶん遅いからおはようとは言い難いけどね」
今日は、8月31日。時刻はもう既に、10時を過ぎている。
「すまん。夏休み最後の日だからって、出かける約束してたのにな」
「ニーチャン、僕もう受験生なんだから、これを逃したら出かけられないんだよ? 昨日も遅くまで勉強を頑張ってたみたいだけど、それでも遅いからね?」
よほど楽しみにしていたのであろう、文句をたれてちょっと寂しそうな顔をしている。
「はいはい、準備するから。今日の昼飯は高級料理でもなんでも俺が全部払ってやるぜ! あと、昔作ったシャーペンの受験用ばーじょんも作ってやるからな!」
「よっしゃ! ニーチャン太っ腹ぁ! またあのシャーペンも作ってくれるんだね、うれしい!」
そのシャーペンというのは、諸事情あって今は家にいない親を含めた、両親と俺達兄弟の4人の写真を、百円ショップの自作シャーペンに突っ込んだものだ。まあ、そろそろもう少しいいものを作ろうと思っているのだが。
たとえここにいなくても、家族。顔を見れば、心が温まるだろう。
そう思った俺が、弟のためにある日思い立って作ってみたシャーペンは、弟にとっての宝だそうだ。
死ぬほどうれしい、ことだな。
そんなこんなで俺が準備を済ませ、おにぎりをほおばりながら家を出て、駅に着いた頃には10時半前だった。家が駅から遠いのが悪い。
俺たち兄弟は、特に反対方向の電車に乗ったりすることもなく、目当ての電車を捕まえた。
その大都会に向かう電車は、俺たちが乗り込むと同時に動き始めた。
偶然、ここから近い駅始発の電車だったのだろう。車内は非常にすいていた。
おかげで、兄弟そろって席に座れた。
「なあニーチャン、今日の昼飯はファミレスのトマトスパゲティがいいな。受験前の最後のお出かけだっていうなら、高いものより、いつものものが食べたいんだ」
俺と弟は、俺の料理の腕がまともになるまで、一時期ファミレスに通い詰めていた。
その時の名残で、兄弟そろってファミレスで食う飯が一番好きなのだ。
「……わかった。あと数か月の辛抱だ、頑張れよ」
「おっと兄者よ、兄者のような三日坊主が第一志望校に行けたのに、この弟者がこれだけ努力して第一志望校に行けないわけなかろう!」
おいおい、受験の時は三日坊主じゃなかったっつーの。マジで。
「はは、楽しみにしていてやるよ。また来年の4月に、世界一うまいもん食わせてやるからな!」
俺の言葉に、弟はこれからの地獄の数か月―弟は俺の受験期の姿を見ているためどれ程の地獄かを知ってしまっている―を思ったのか、少し辛そうな顔をして、言う。
「……うん、僕。頑張るよ。」
その顔を、見ているのが少し辛くて。思わず思ったことを口にした。
「お前は優秀だし困ることもないと思うけど、まあ、困ったことがあったら、凡骨なりに頑張って手伝ってやるからな」
その言葉を耳にして、弟は微笑んだ。
【次は~終点~……】
「ニーチャン、もう次だぞ」
「ああ、ここで降りなきゃな」
二人で話をずっとしているとどうにも時間が流れるのが早い。いつの間にか目的の駅だった。
俺たちは、電車を降りた。
[……終点。そう、ある意味、本当にここが終点だったのかもしれないでしょう。
【佐原 彰】という名の男の、その心の……。]
「……すまん、少しトイレに行ってくる」
朝慌てて出てきたせいで、少なくとも10時間半以上はトイレに行っていないことになる。
このままでは俺の下半身が爆発してしまう、ということで少し時間をもらうしかなかった。
「あいよニーチャン、数分しか待たないからね」
数分もくれるのかよ。
・・・。
さて、トイレも行ってスッキリしたところで、本屋にちょっと行って次はファミレス行って。
今日は他に、どこに行こうか。ゲーセンとか、服屋とか、古本屋とか。
今日は、弟の好きな場所を巡ろう。
そう思って駆け出した時に、誰かの頭が俺の肩にぶつかったように見えた。
「ああ、すみませ……」
謝りかけた瞬間に、その人が告げた。
[……【崩壊】が、もうすぐ始まります。時間がありません。]
「……は?」
[選んでください、貴方の後悔しない結末を]
気持ち悪い。電波な感じがする。ちょっとぶつかっただけでおかしなことを口走られて、災難だ。
いや、この女性、普通じゃない。電波系とかそういう意味じゃなくて。
この人、よく見ると薄い。向こうが透けて見える。
「……し、失礼します!」
怖くて、思わず逃げた。
さっきも、この人に本当にぶつかっていたのだろうか。接触するのを見ていたからそう思っただけで、実はぶつかった感覚などしていなかったのかも、などと考えて、さらに怖くなって身震いした。
「お、ニーチャン。どうも変な汗をかいてるようだね。どしたの?」
怖さのあまりに走って改札を抜けると、近くの柱に弟がもたれかかっていた。
癪だけど、あんな【崩壊】とかなんとか言う変な電波な人に確かにとてもビビらされてて、不安になっていた俺には、弟という存在は一番の癒しだった。
「なんでもないさ。さあ、行こう……」
なんでもない、なんでもない。
そう自分に言い聞かせた。
[……たとえ一時の逃亡を選択しても、世界の【崩壊】からは逃げられない。
どうか、貴方が。絶望に押しつぶされてしまわぬよう……。]
「やっぱり最初は本屋に行く?」
尋ねると、弟の顔がすぐさま明るくなった。
「ああ、そうしようと思ってた。さすが兄者、俺のことわかってるぅ!」
[お祈りしましょう。
あの方が、"最高"とは言い難くてもあの方にとって"最幸"の結末が迎えられますように。]
駅から出て、歩みだした瞬間に。
世界を、夜が包み込んだ。
ご閲覧ありがとうございます!
かなーり序盤から風呂敷を全力でフルオープンする本作、無事完結出来たらいいなと思っております。良かったら、最後までお付き合いくださいませ。