1 【第11話 開始】
スポーツウェアをまとったシンウが弓を引き絞る。
体全体の筋肉が引き締まり、むき出しの腹筋が列を作る。伸ばした左腕が弓を固定し、右手でつがえた矢の狙いを定める。
手には一本ではなく三本の矢を持っていた。一本目は親指と人差と中指で弦につがえて、残った指の間に二本の矢を挟み込む。
集中し、狙い、放つ。
放ったそばから、指に挟んだ二本目をつがえて、放つ。三本目もまったく同じ動きをして放つ。
2秒の間に三本の矢を放った。その動きは機械的でまったくブレのないものであったが
「チッ」
大きく舌打ちするシンウ。
最後の一本が狙いを外した。
彼女が狙っていたのは、弓道で使われるような単なる円の的ではなかった、明確なマンシルエット。人間型の標的の急所を狙って射ったのだ。
人間型と言っても頭から角が生えている。つまりモンスタータイプの標的で、最初のニ射は見事に頭部を撃ち抜いたのだが、最後の矢はそのモンスタータイプの標的の前に被さるように立っていた本物の人間の標的の、頭部をかすってあらぬ方に飛んでいってしまったのだ。
構えていた弓を下げるシンウ。体に張った緊張が抜け、露出した肌に汗の玉が浮かんでいる。彼女の体には装甲機能を省いたエグゾスケイルアーマーの装置が装着され、強化能力を使っての射撃だった。
「ゴメン、ジンク。耳取れちゃった」
彼女は物言わぬ人間タイプの標的に謝った。
彼女は前衛に立つ弟の後ろから援護射撃をした結果、その弟の頭部に矢を当ててしまったのだ。
立川冒険者訓練所。
広大な敷地内に様々な訓練施設が併設されたギルド管轄の訓練所。
臨時首都立川内にあり、駅からすぐということもあり、人気のスポットだ。
元々は旧自衛隊の駐屯地であったが、首都沈没以降の旧自衛隊の壊滅後、徴兵された少年少女を訓練し、即席の冒険者として次々とダンジョンへ送り込んだという黒歴史を経てのちに、政府から冒険者ギルドへと正式に譲渡された、いわくと歴史のある場所だ。
冒険者になるための最初のテストや講習もここで行わるので全ての冒険者は一度以上ここを訪れることになる。
冒険者という存在の歴史が全てここにあるため、冒険者の聖地とも呼ばれている。
シンウたちパーティーは今日、この訓練所を訪れてそれぞれの技能強化に励んでいたのだ。
長い射撃レーンに幾人もの射手が並び、次々と矢を放っている。強化された矢は弾丸のように早く飛び、的にあたった気持ちの良い音が何度も場内に鳴り響く。
その中で一人、弓を降ろしため息をつくシンウ。
練習とはいえ今、彼女は仲間を傷つけてしまった。そんなミスをしてしまった事から立ち直るためには、もう一呼吸を着かなければいけなかった。
今のが練習で良かった。実戦ならこのミスだけで前線が崩れてしまっただろう。次はしくじらない。
「フゥ」
一呼吸つき、再び三本の矢を片手に握り、構え、射つ。つがえて射つ。つがえて、射つ。
三本の矢は前衛のシルエットを避け、その奥のモンスターの体に刺さる。
全てが急所というわけにはいかなかったが、動きを止め、前衛が止めをさすには充分な隙を作れただろう。
満足すべき結果だ。
小さな満足はすぐに胸にしまって、シンウは手元の端末を操作する。前衛とモンスターの位置を変え、さらに動きをつける。難易度が上がった。
「ジンク~邪魔しないでよ~」
狙いを定めながら姉は、動き出した弟の的にお願いした。
立川新中央病院、待合室。
一人の中年が座っていた。
尾地である。
彼は今日、健康診断のためにこの病院を訪れていた。ギルド会員の特典の一つである年に一度の無料検診の、受付締切日が今日だということに気付いたので急いで駆けつけたのだ。
彼も中年であり、人の子でもある。健康には人一倍、気を使わねばならない年頃なのだ。
「尾地さー、ん?」
診察室から看護師の女性の呼ぶ声が聞こえ、尾地は一人で待つ退屈からようやく開放された。長い間座っていた椅子から立ち上がり、診察室に入っていく。
「採血しますので、そちらに座って左腕を出してください」
小柄な看護師の言葉に従って、診察用の椅子に座って片腕の袖をまくった。
看護師の小さな子どもみたいな手が尾地の腕に駆血帯を巻く。その手のあまりの小ささに違和感を感じ、看護師の顔を見上げる尾地。
「……何してるんですか」
「何って?採血」
「そうじゃなくて、なんであなたがここにいるんですか?」
ミニのナース服に身を包んだ美少女、ホリーチェが答えた。
「研修兼バイトだよ、白魔道士免許は看護師免許と同格だから、残念なことに年に数度は看護師として働くことが義務付けられているんだよ」
通常ありえないようなミニスカナース服を着たホリーチェが見せびらかすように尾地の前で一回転する。ギリギリのラインで回転するミニのスカートライン。細く長い足はご丁寧にも白い網タイツに覆われている。
「どうだ?」
ポーズをとり可愛げを見せるホリーチェ。
「だれの趣味ですか?」
「私の。どうせなら可愛くやりたいだろ?医者や患者さんの受けもいいし。なにせ仕事がはかどる」
本当にはかどるのか疑わしいと感じる尾地であった。変な所で変な人と会ってしまったなと諦めて左腕を差し出した。
ホリーチェの採血の手際はテキパキしており、冒険者としてもパーティーのリーダーとしてもミニスカナースとしても堂にいったものだった。
「うわ~汚い血ですね~、中年だからですかね~」
「血の色はだれもが同じですよ、それに私は酒もタバコも暴食もしませんから、健康そのものですよ」
「つまり退屈な人生を送っていると、診断書に書いておきましょう」
退屈な仕事場にようやくからかえる人間が来たからか、はしゃぐホリーチェだった。本当に診断書に「退屈な人生」と書き込もうとしたホリーチェは名前欄にあった尾地の本名を見る。
「お前、この名前マジなの?」
「なにがマジなんですか?当然本名書いてますよ。偽名でも芸名でもありません」
「親を呪ったこととか、ない?」
「愛のこもった素晴らしい名前じゃないですか。それを恥じたことなど、一度もありません」
尾地がいたって真面目に返答したため、ホリーチェもそれをからかうことは、もう出来なかった。