13 【第10話 完】
「えーーーーー、それでは皆さん」
セイカを見つめ一同が息を呑む。この瞬間を待っていたのだ…。
「ジャークトパス三体撃退成功!おめでとうございまーーす、かんッぱァーーイ!」
「「「カンパーイ!」」
全員が持っていたカップを打ち鳴らす。ついにこの時が来た。
祝勝会だ!
撃退直後、
尾地が助け出したパーティーメンバーに死者はいなかった。これは実に幸運なことだった。ジャークトパスのプレスで死者が出ていてもおかしくなかった。
こればかりは、常にダンジョン内での幸運を否定している尾地も認めなければならなかった。
「幸運だったな」
気絶から回復したセイカ側の白魔道士が治療を開始する。
その間も尾地の右手はプラプラしたままだった。一時間後、脳のオーバーヒートが収まったホリーチェが目を覚ますと、並んでいた怪我人をあっという間に治してしまった。その手際の神業ぶりに「神の子!」とセイカ側の魔法使いは驚愕したのだった。
調子に乗ったホリーチェは尾地の手を治しす時に全員に見るように指示。プラプラの尾地の右手が逆回転でもとに戻っていく様を見せて喝采を浴びていた。
見世物にされた尾地は死んだ目でその様子を見ていた。
ようやく人心地ついた。
全員の治療が終わり。みんな何かムズムズと言いたそうな、そわそわとした空気があった。
「あー、今から陣を片して帰るのめんどくさいなー」
リーダーのホリーチェが面倒くさそうに呟いた。本音であることは間違いない。
「それだ!」
全員がそれに乗った。
「今から撤収作業をして、ダンジョンを戻る体力がみんなにありません。そこで、ココにもう一泊すると言うのはどうでしょうか?」
統合リーダーであるセイカが提案した。
食料は?セイカ側に予備がある。
安全は?モンスターは当分現れない。
アルコールは?残念ながら持ってきてない。
若者全員の目が輝いた。
仕事抜きの楽しいキャンプ。それに飛びつかないものはいなかった。
すでにガス欠の中年以外は。
「意義なーーし!」
多数決で即決した。反対は一票しかなかった。
五日目の夜。暖かなライトの光をキャンプファイヤーに見立てて、祝勝会が開始された。全員がダンジョンでの一泊追加を決めた時点で、祝勝会の現地開催は決定したようなものだった。
残っていた食料は帰りの軽食分を残してすべて出され、アルコール代わりのジュースが振る舞われた。
そして、全員が裸に近い格好だった。
全員の服は戦闘で血まみれ泥まみれ、ボロボロだった。軽く洗濯をして乾かしている状態。仕方ない、という理由でみなアンダーウェア姿だ。当然、目に見えない、口にしない下心がほぼ全員の胸のうちにあった。
(なかった人間は尾地、ホリーチェ、以上二名)
若い男女が下着姿ではしゃぎ合っている。下着と言ってもスポーツ用、戦闘装備のアンダーウェアなので色気もなにもないが、みな肌もあらわな姿であることには変わりない。ダンジョン内という非日常な空気が若者たちの乱痴気を呼び起こしていた。
騒がしい中、リーダーの挨拶が行われ、両パーティーの健闘が讃えられ、お互いがお互いに拍手した。ホリーチェとセイカが抱き合と、場の空気は最高潮となった。
そこに尾地が登壇した。
彼だけは下着ではなく、シャツにジャージ姿だ。
珍しく、この男がみなの前で発言を求めた。
「私が言いたいことは一つだけです。
セックス禁止!
絶対にやるな!いいか!やってる奴がいたら私が邪魔しに行きますから!」
突然の発言にみんな面食らったが、心のうちに野望を持っていた男女がブーイングを上げる。
「黙りなさい!私はもう若い連中がハメを外している様は見たくありません。今日一日、私の前では禁止です。そんな声も匂いも音も聞きたくない!地上に戻ってから好きなだけやりなさい。ただしダンジョン内では絶対に禁止です。以上!」
たしかに遮蔽物もないこの空間、やっていればすぐ分かるだろう。だがこの嫌いようは…。
ここに来た初日、下僕然としていた尾地とは別人のような彼の変化だった。しかし尾地の活躍を見て、聞いて、知っている全てのメンバーが
「あの中年がそういってるんじゃ、仕方ないか…」
と思うくらいに彼を認めていた。このパーティーで今回の一番の勇者は彼だと。
そして、こんなことを言えるほど、尾地もこの若者たちに馴染んで、変化していたのだ。
宴は、バカ騒ぎは続いた。
セイカはシンウにベッタリで、一時として離れない。あまりの密着ぶりにシンウも困り顔だ。
ホリーチェはセイカ側の魔法使いたちに捕まり、ちやほやされている。
ジンク、スイホウ、ニイもパーティー間交流をし、お互いを褒めあい、知識や技術を交換し、アドレスを交換している。
尾地だけは一人、離れた所でお茶をすすっていた。
そこに、ようやくセイカを引き剥がしたシンウがやってきて、彼の隣にあったクーラーボックスに座った。
クーラボックスを彼の方に少し移動させて座った。
尾地は特に何も言わず。彼女の発言を待った。
「…禁止ですか?」
いたずらっぽい顔で覗き込んできたシンウが言った。
「あなたまでからかいますか」
「そりゃー、あんなこと言えば…からかいますよ」
「私もね…」
尾地は何か言おうとして、少し考え、真剣な顔で本音を言った。
「…若い連中だけが、よろしくやってるのを見させられるのは腹が立ちますからね」
中年のストレートなヒガミ意見がでた。
「みんながみんな、そんなことは…」
シンウも、若い男女が、肉体も精神も高揚した状態で、阻むものもなにもないこの状況下で、通常の行動規範に乗ってって、慎み深い行動で今夜を終わらせるはずである…とは言い切れなかった。
「まあ、ハメを外しちゃうかもしれませんね‥」
そこには納得した。だが納得できないところもあった。さらに顔を近づけ。
「でも…ハメを外すのに、歳は関係ないんじゃないですか?」
シンウの言葉は、この空間に漂っていた危険な物をあらわにした。
空気に漂う甘いもの、それに触れれば、弾かれたように何かがスタートしてしまう、そんな危険な見えない、ハメと呼ばれるものの存在が、この空間にもあることを示してしまった。
「え?」
尾地は息を呑み、彼女の顔を見る。明かりに照らされた彼女の顔。こんなに紅いのは光の加減のせいなのか、尾地にはわからなくなっていた。気づけば、下着姿の彼女が、手を伸ばせばすぐの位置にいた。
彼女が、また少し近づいた。
尾地の脚はなぜか固まり、逃げることが出来なかった。
近づくシンウの動きによってアイスボックスが地面をこする音が聞こえた。
「大変です尾地さん!……あいつら、ヤッてます!」
飛び込んできたジンクが尾地に火急の報告を届けた。
「ナァニィィィィ?」
尾地は鬼の顔をしてジンクが指差す方に飛び出していった。
逃げたのだ。
「ドコのどいつだァァ!やってるのはぁ!」
闇の中に鬼は消えていった。
そのさまを見て若者たちが爆笑している。
一大事を未然に防いだ達成感を感じていたジンクは、あっけにとられた後に膨れ顔になっている姉の表情には気づかなかった。
六日目の早朝。
下着姿の男女が雑魚寝している。みな絡み合い、肌と肌を触れ合わせている。戦いと馬鹿騒ぎの疲れのため、まだ起きてこない。
このような状態でありながら、ただ一組もセックスをしていない。一人、目を覚ましていた尾地は自らの成果に満足していた。
「ダンジョン内でのセックスを覚えると碌なことにならない」
これは彼らの世代にとっては生存のための鉄則だった。
起床は遅れに遅れて昼前、撤収が始まった。荷物を片付け、ゴミも集める。もともと廃品再生が生活の基本であるためゴミは殆ど出ない。
尾地は本来の仕事である荷物整理に精を出した。
片付けが終わった両パーティーは一緒に帰路についた。それはもはやダンジョン探索ではなく遠足だった。二つのパーティーが混ざりあい、楽しく賑やかに帰っていく。最後尾を行く尾地も疲れが溜まっていたので、それを指摘する気もなかった。
シンウが彼の横にやってきて一緒に歩く。
彼女が何も言わなかったため、尾地も昨夜のシンウとの小さな出来事を蒸し返すようなことは言わなかった。
歩きながら尾地がシンウに言った。
「セイカさんとの飲み会は中止ってことで」
「えーなんでですか?」
「なんでって、必要ないじゃないですか。あれは仲直り会として設定してたんですから、もう二人共ベッタベタじゃないですか」
たしかに昨日からセイカはシンウを離さずに暮らしている。今更、仲直りもなにもない。
「セイカも喜んで来るから、やりましょうよ」
「昨日の馬鹿騒ぎのせいで、私の飲み会欲はしばらく復活しませんから」
シンウはゴネたが、疲れている尾地は譲らなかった。
二つのパーティーはようやく地上に出た。
六日ぶりの地上の空気だ。
もう夜も遅く、駅のダンジョン口前には彼らの戦いを知らない、他の冒険者たちで溢れていた。
尾地は派遣の仕事が済んだので、雇い主のセイカに挨拶してとっとと帰ろうと思っていたが、
「このまま帰れないっしょ!」
「飲み会行っちゃう?」「行きますかー?」
という両パーティーの若者たちの発言におののいた。
「マジか?六日もダンジョンにいて、ボスと死闘して、そのあと騒いだのに、まだ飲み会行くって!」
尾地はダンジョンの底ではなく、この地上で本物のモンスターを見て恐怖した。
若者というスタミナモンスターを。
「逃げよう」
即決した。
コソコソと逃げ出そうとする尾地。だが、その袖を掴まれた。
「なに逃げようとしてるんですかぁ~」
シンウが恨めしく言う
「当たり前です。こんなのに付き合ってたら、地上で死にますよ私は。ここでオサラバさせていただきます」
逃げようとする尾地、逃さないとするシンウ。二人の攻防に関係なく、パーティーは合同打ち上げ飲み会開催決定に湧いていた。このタイミングを逃せば若い連中に食らいつかれる。尾地のスタミナゲージはすでに帰宅分すら残ってない有様だった。
挨拶抜きで逃げようとする尾地。彼を逃さまいと捕まえていたシンウが提案してきた。
「私と二人で飲み会する約束したら離しますよ?」
一瞬躊躇する。逃げたいが、二人きりの飲み会は危険だ…。それは昨日の夜に判明している。迷う尾地。すでに飲み会開催店舗候補は決選投票にかけられて、満場一致での決議は時間の問題だった。
「わかりました…行きますから、」
尾地は折れた。シンウは騒がしい連中の声を避けるために彼の耳元に手を当てながら
「約束ですよ」
とささやいた。
開放された尾地は、重力から解き放たれた衛星のように集団から離脱する。騒ぎが遠のくと尾地の心に小さく寂しさが生まれた。
まだ彼女が遠くからこちらを見ているから、彼は赤くなっていた耳を手で隠さなければならなかった。