1 【7.5話 開始】
国分寺市は臨時首都立川市の隣の市だ。
それだけに復興は進んでおり八〇%近い建物は再生され市民生活が営まれている。
その国分寺の一角にある小綺麗なアパートにホリーチェの自宅がある。
二階建て六室のアパート。通常のアパートではなくデザイナーの名入りのアパートで首都沈没前はそれなりの家賃が必要な物件であったのだろう。しかし今となってはその価値は激減し、激安で住めるお得な物件と化している。一階の部屋は全て半壊状態で修理もされていないし、駅からも遠い。多くの人はより賑わいを求めて駅そばの物件に群がるため、少しでも離れると物件の価値は劇的に下がってしまうのだ。
その二階のスミにホリーチェの部屋がある。
玄関から入るとすぐにキッチンとダイニングルーム。きれいに片付いている。
その向こうに寝室と居間を兼ねたホリーチェの私室があるのだが、そこはダイニングの清潔さとは正反対の部屋だった。四方の壁の本が積まれ、第二の壁となっていた。
壁以外にも本が積まれ、十畳ある部屋でまともに座れるスペースは中央に置かれたちゃぶ台の周辺とベッドの上だけだ。
本は文庫分から辞書から学術書、医術書、教科書から沈没以前の漫画雑誌、音楽雑誌やスポーツ雑誌、芸能誌まで雑多であり、その多様さはこの本の群れの所有者の興味が、学術的な物のみではなく、文化一般、沈没前の世界全般であることを示していた。
ちゃぶ台の上には冒険者必須のギルド発行のマニュアルや、ダンジョン学の資料のプリントアウトされた束が置かれていた。
そのちゃぶ台とベッドの間に、この部屋の主人、ホリーチェ・世来がいた。
ベッドの横に背中を預け、床に置いたクッションの上に座って、足をちゃぶ台の下に投げ出し。文庫本を黙読していた。
一六歳の少女は小柄でその歳よりも幼く見えた。白いシンプルなワンピースを部屋着として着て、手に持った文庫本のページを三秒に一回めくる行動を機械的に繰り返していた。
この周辺は住んでいる住民も少ないため、外からの騒音はなく、彼女のめくるページの音だけが時計の音のように規則正しく鳴っていた。
その静寂を破り、玄関のドアを開く音が大きく鳴った。
隣に住む、水内スイホウだ。
黒髪長身のスレンダーな体を包んでいるのはTシャツにデニムのホットパンツというシンプルながらやや過激なもの。周囲に人の目がないのが判っているからこその、自由な姿だ。
スイホウは無言で玄関を開け、家主が在宅であることを確認すると、無言のままズカズカと上がりこんだ。
ホリーチェも目でスイホウの姿を確認し、何も言わずに読書を続ける。
スイホウは私室に上がりこむと、ホリーチェをクッションの上に居座る猫のようにずらし、彼女とベッドの間にできた隙間に座り込んだ。
懐にホリーチェの小さな体を包み込んだスイホウは、挨拶のようにその体を後ろから抱きしめたが、読書の邪魔とばかりにホリーチェはその腕の中でもがいた。
ホリーチェは読書を続け、スイホウは一緒に本を眺めたり、窓から空を見たり、ホリーチェの頭の上に顎をおいたりして、愛猫のような彼女との時間を楽しんだ。
「あ、やっぱり、こっちか」
玄関が開き、三隅ニイが現れた。
彼女はホリーチェの隣の隣の部屋に住んでいる。
なんのことはない、このアパートの二階の三部屋は彼女たち三人が住んでいて、この建物はこのパーティーの所有物の様な状態なのであった。
スイホウはホリーチェの頭に顎を乗っけながら笑顔でニイに答える。
「ご飯?」
「そ」
ニイは返事しながらホリーチェ宅の冷蔵庫を勝手に開けて、お昼の準備を始める。ホリーチェの部屋のダイニングキッチンが清潔なのは、ニイのキッチンとして使われているからだ。
冷蔵庫から魚の切り身を取り出し、炊飯器に入ったご飯の残りを確認する。キッチンから軽やかな調理音が聞こえて始めた。
「ホリーチェ、ご飯だって~」
スイホウは顎の下にいるホリーチェに伝える。
「聞こえてる」
読書をやめずに答えるホリーチェ。読んでる本のページの進みが早まる。昼食前に読み終わらせるつもりだ。
「今日はお魚~」
そう言いながらスイホウがホリーチェの頭頂部にキスをした時に、スイホウの顔色が変わる。
「ホリーチェ、お前…お風呂いつ入った?」
ホリーチェの美しい花畑のような頭部から、似つかわしくない皮脂の匂いが、スイホウの鼻をついた。
読書をする指が止まり、顔がこわばるホリーチェ。この超長い連作長編小説を読むために随分と風呂に入っていなかった。
「いつだったかなぁ…」
天才である彼女がその日数を忘れるはずはないのだが、とりあえず誤魔化してみてみようと試みた。
「だーーめだ!もう臭いぞホリーチェ!お風呂入るぞ。私も一緒に入ってやるから!」
「風呂なんて入らなくたって死なないしー!だいたい冒険者は常に不潔と戦うものでしょー!」
スイホウに対して無理目の言い訳を強弁するホリーチェ。
二人の会話が聞こえていたダイニングのニイが
「ご飯の前にお風呂はいっちゃいなさい。今、沸かすから」
と、お母さんみたいな事を言ってバスルームに向かった。
このアパートのバスルームは広く、白いタイルで作られた豪勢なものだった。デザイナーが張り切って作ったのがひと目で分かる。
浴槽は壁から独立した洋風スタイル。大きさも大人が一人すっぽりと寝そべることができるほどに大きい。
そこに水を張るニイ。蛇口から流れる水流に手をかざすと、その水量は倍に増え、あっという間に浴槽いっぱいになった。
彼女の手に握られた小瓶からメモリーが水流にまざり、彼女の魔法が水を倍化させたのだ。
そして湯船いっぱいに張った水を前にして、彼女はもう一つの道具を取り出す。手に収まるサバイバルキットのような小道具。
実際にそれはサバイバルキットで、黒魔法使いのための標準装備の一つだ。十徳ナイフのように、小さいがいくつもの魔法が手軽に使える便利なものだ。
彼女はその道具の中から、熱の魔法を使う。道具がバッテリーの力で生み出した熱をイメージの基準にして、メモリーの力で大きく倍加させる。そうやって生み出した大量の熱を、浴槽の水に与えたのだ。
浴槽から湯気が立ち始めた。
ニイはその湯に手を付け温度を確認する。その湯が適温であり、彼女の友たちが入るにふさわしい物であることを確認すると。
「うん、私ってば完璧」
と喜んだ。
「お風呂湧いたよ~」
キッチンに戻って二人にそう告げると、スイホウはむずがるホリーチェを立ち上がらせ、彼女が一枚だけ着ていたワンピースを上に引き抜いた。
パンツ一丁になったホリーチェの薄い体が見える。彼女の脳に栄養を取られているせいか、その体の凹凸は未だに発達していない。
スイホウも遠慮なく自身が着ているものを脱いだ。前線で戦う彼女の体は引き締まり、腹筋も見事なものだったが、脂肪が要所要所に盛られ、女性らしさが力強い肉体を包み込んでいた。何度見てもニイは見惚れてしまう。
その全裸スイホウは、同じく全裸にしたホリーチェの両脇に手を差し込み、猫のように持ち上げて浴槽まで運んでいった。
「お風呂だー!」
スイホウが叫びながら浴室に入る。
閉められた浴室の扉からホリーチェに容赦なくかけられるかけ湯の音と、二人して湯船に浸かる音が聞こえてきた。
ニイは脱ぎ捨てられた服を洗濯カゴに放り込むと、昼食の準備を再開した。




