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エテルティアは、彼にすでに伴侶がいると知って、ほんのわずかに表情を陰らせる。
しかし、絶命の直前にある鷹揚さなのか、達観なのか、あるいは諦念なのか……全く衝撃を受けなかった。
彼の尊愛、敬愛、忠誠。
全ては一かけらの例外なく、自らに捧げられているものと、エテルティアは認識し続けていた。
そうでない事実と向き直って、なぜ、心を痛めないのか、それがむしろ不思議だった。
「さて、殿下。もう一度、お選びください。これより人を呼びます。助けを求められるか否か」
アストラーダは静かに尋ねる。
この問いは、セルアのものでもまたあった。
類い希な叡慮を持つ国母なら、多分、同じ質問を口にしたはずだ。
完膚無き敗北を突き付ける言葉として。
そして、もはや免れられない死出の旅への覚悟を促すために。
……はなむけの意さえも込めて。
「ああ、臣下の方々に、私の素性を告げて、報復させることも可能ですよ」
せめてもの溜飲になるだろう提案までも、アストラーダは飄々と告げる。
「……」
果たして非業の王女は、ほんのわずかに口角を引き締める。
今更命乞いをして、どうなると言うのだろう?
長らえたところで、衆目の中罵声を突き付けられ、屈辱の最期を強いられるばかりだ。
それよりも、今は少しでも長く、この男の温もりを感じていたかった。
正直な気持ちだ。
なぜか、駆け付けて来るだろう一同に、最後の力を振り絞って全てを明かし、彼を道連れにしたいとも、思えない。
……どう考えても、釈然としなかった
なぜ、この期に及んで、この男を憎めないのだろうか?
ラーダ……否、アストラーダは、奸計を用いて、ティアモラを窮地に追いやった張本人に相違ない。
一見、起死回生の案として献策されていた全ては、周囲の反対によって意味を失ったように見せつつ、実際にはイブリールの勝利を確固たるものにする結果となっていた。
エテルティアの信頼を得たのもまた、計略によるものだったのだろう。
巧妙な手管で、孤独な王女の心は、容易に籠絡された。
この男は、卑劣な裏切り者……いや、内通者だったのである。
それでも、エテルティアは彼を罵るつもりになれない。
アストラーダの心の中には、決して損なわれない、ただ一人の伴侶への愛があると知っても、だ。
(ああ……わたくしは、負けたのだ……)
ようやくの実感だった。
(完敗……したのだ……)
逃れるつもりのない死を前にしたからこそなのか、穏やかな心地で、それを受け入れられる。
焦りも、怒りも、惨めさすら、なかった。
彼が、憎いセレスティアの回し者であるとの事実にすら、憤りはない。
どうしてなのかと自らに問い掛けて、瞬き分の時も要さず、明確な答えではないだろうが、近しいと思われるそれを、胸の内の深い泉の奥底から掬い上げた。
周到な手配を重ね、ティアモラを破滅に導いたアストラーダだが、エテルティアにとって、常に真摯だったからではないだろうか?
特命を帯びた工作員でありながら、いかなる時でも、彼そのものに偽りはなかった。
エテルティアに仕える姿勢も、忠心も、そうだったはずだ。
でなければ、いかに孤独に喘ぐ彼女であっても、決してラーダを受け入れはしなかった。
(どこまで……狡い男なのか……)
泣き笑いの心地で、エテルティアは感服する。
恨みさえ、彼は抱かせてくれない。
唯一無二の伴侶へ捧げる別格の愛情こそ隠し通されたものの、それは偽りにはならないのだ。
エテルティアの、アストラーダへ向かう心の流れに瑕疵は生じなかった。
……死を迎える、その最期の瞬間まで、彼は忠実なる騎士ラーダの仮面を被り、その演技を続けてくれるのだろう。
いや……仮面でも演技でもなく……心底からの想いなのか。
一層、たちが悪いと言うものだ。




