3
誕生した王女は、諸侯や外国からの賓客たちに披露されなかった。
三ヶ月後に産み月を控えるレスニア王妃をはばかったためである。
王が我が娘の顔を見たのも、それから半月も経ってからだった。
しかも、非公式にひっそりと離宮をおとない、マヌエラ大公女を慰労し、祝福を述べるにとどめた。
無論、特別な見舞いなどあるはずもない。
王はこの離宮の生活が困窮しているのを理解していても、何ら策を講じようとしなかったのだ。
これまた新妻への気遣いである。
そして、外界との交流を一層制限した。
離宮の者たちは、マヌエラの実家からの仕送りによってようよう賄う暮らしを強いられたが、彼女の親族の訪問は固く禁じられていた。
何もかも、東西ティアモラを担う次代の王が無事誕生するまで……とのお題目だったのだが、新王妃レスニアが産み落とした嬰児は、皮肉にも、王位継承権を持たない王女だった。
エテルティアと名付けられた彼女に対して、国の民たちの祝福は型通りの冷ややかなものでしかなかったのは、無理もないだろう。
そして、彼らはささやくのだ。
「我らが神の鉄槌が下ったのさ」
「ああ。先の王妃さまを哀れまれたに違いない」
「あまりにもお気の毒だからな」
……と。
また、異母姉妹の命名にも、皮肉めいた会話が交わされたものである。
セレスティアとエテルティア。
伝説の時代、神より大地へ使わされた姉妹「かんなぎ」のそれだ。
人々の安寧を招いた貴人たちの名を、この境遇の王女たちに与えるとは、あまりにも不見識だろう。
実際、新王妃も不快を示したが、王は断固として意志を曲げなかったらしい。
良い気分がしなかったレスニアも、望んでいなかった王女に対しては、さしたる執着も見せず、一度の反対の後は、取り立てて反応を示さなかったのだから、お粗末な内輪もめに相違ない。
それからしばしもせずに、マヌエラは病を得て、身罷った。
人々は更に噂をした。
「新しい王妃さまが毒殺したんじゃないか?」
「王さまは、先の王妃さまにお心を残されておいでだったから、恨みを抱いておられたのだろうしな」
「熱愛のお相手だ」
「新しい王妃さまは、御自分に王女が生まれたのは先の王妃さまの呪いだと叫んでいるらしいぞ」
「なら、その報復か?」
「先の王妃さまは、神さまにお仕えの巫女君だぞ。そんな悪しき術など使うものか」
「大体、もしそうなら、御自身の御子を、お世継ぎの王子さまとして誕生させようものさ」
「ああ。現に、あの御方のお産みになられたのも王女さまだったしな……」
民の声は、多くの場合、歴史の真実を語るものだ。
新王妃レスニアが、いかに歓迎されない存在であるかを象徴していたと言えるだろう。
であっても、王は動かなかった。
ただ一人愛した前妃……離別の後も、こっそり通っていたほどだった……の死にひどく落胆し、政務すら満足に執り行えない日々を過ごしたのだ。
それが一層レスニアの怒りを煽ったが、もはや全てが悪循環にしかならない。
しばしを経て、王はようやく気持ちに区切りを付けたものの、マヌエラ暗殺疑惑のかけられたレスニアとの仲には、大きなしこりが生じてしまった。
様々な負い目を抱いた彼は、娘たちを意識の外へ置くようになり、セレスティアにも、エテルティアにも、全く興味を抱かず、機械のように自らの勤めを果たすだけになったのだ。
それから十年を経て、ようやく東西ティアモラの後継者となる王子が誕生した。
そこに至って王はやっと父の自覚を以て、不遇な日々を過ごしていたセレスティアに、王族としての領地……離宮の所在地であるロールウェルと呼ばれる村で、本当にわずかなものだが……を与えたが、以降もレスニアにエテルティア、そして王子をはばかって、第一王女として宮殿に迎え入れ、正当な処遇をしようとはしなかった。
離宮とその周辺のささやかな領地以外への出歩きを禁じ、そして、今やただ一人となった母方の親族である祖父との面会も許さない厳しい沙汰を下されたまま、セレスティアは孤独な成長の日々を強いられたのだ。
だが、その歳月は決して不毛なものでなかった。
生来、極めて優れた資質を持っていたセレスティアは、頻繁に足を運ぶ聖職者たちから受ける教育によって、一層その賢しさを磨き上げていたのだ。
また、王族とはとても思われない質素な暮らしは、領民たちの実状を把握するのに大きく幸いした。
ティアモラは、周辺の諸国同様、領主に多くの権利が委ねられた国家だったために、庶民感覚を理解するセレスティアが治めるロールウェルは、狭いながらも大変繁栄するようになったのだ。
セレスティアが領主になった翌年、流行病が世を席巻した時も、いち早く予防策を周知し、感染した患者とその環境の衛生管理を万全にしたため、周辺地域と比べものにならない規模の被害で済んだ。
患者に対しても、分け隔てなく手厚い治療を行った結果、死亡する数も、当然他の地方と桁違いの少なさだった。
農作物の収穫も、過去の事例を分析した上での指導を経て、格段に増している。
不遇な王女の優れた統治の噂が、国境を越えてささやかれるようになるまで、さしたる時を要さなかった。
だがそれを、父親であるバルモア三世のみが知らずにいた。
ティアモラの人々が王妃をはばかって、王の耳に入れないよう計らった結果である。
聖なる王女・セレスティアの名声は、日増しに高まる。
神の祝福を受けた存在として、ティアモラに「かんなぎ」が不在のこの時代、ある種の崇拝の対象とまでなるかのようだった。
その評判を聞き付けた、隣国イブリールの皇室より縁談が持ちかけられたのは、セレスティアが十四才になってすぐのことである。




