8話 ファッシネイトロックス
和訳『魅惑の双丘』
晴希との距離を置きたかった僕は、どうしたら傷つけずに晴希を遠ざけられるのか悩んでいた。
だけど、考えれば考える程に答えは迷宮入りしてしまい、頭が痛くなるばかりだ。今の気持ちを正直に話せばわかって貰えるんだろうか?
そんな不安を胸にアルバイトを終えた僕がスーパーの扉を出ると当然、心待ちにしていた晴希は手を振りながら近付いて来て……
「お疲れ様です。待ってましたよ、直樹さん」
「おっ……お待たせ」
僕の不安などお構い無しに、暗がりまで進むと晴希はなんと、腕へと抱きついて来た。これには僕も驚かされたが、フワッと香る華やかな匂いが……不思議と心地が良かった。
そして、心地良いのは……
この香りのせいだけでは無かった。
腕に感じる柔らかで弾力のある膨らみは、まさに魅惑の双丘……本来なら逃げだしたい程の状況だったにも関わらず、離れられないでいたのは、この胸の膨らみによって行く手を阻まれていたからに違いない。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、晴希が突然、右手を出すと……
「じゃあ、設定するのでスマホを貸して下さい」
僕がスマホを手渡すと、晴希は凄い勢いで設定を始めた。流石は、現役女子高生だと感心していると……
「はい、これで登録完了です。基本的には『LINK』でのメッセージがメインになると思うけど……私の声が聞きたくなったら、いつでも電話して来て下さいね」
「ありがとう。これで晴希ちゃんと、気軽に連絡取り合える訳だ……ぬぉぉーーぃ!!」
「ふふふっ……そんなに喜んで貰えて私も嬉しいです」
実際のところは喜んでいた訳では無く、無意識のうちに晴希と連絡先を交換してしまった事実に驚いていたのだが……最早、後戻りは出来無かった。
不安と後悔を抱き、暗い表情をしていた僕とは対照的に、好きな人と繋がれた晴希は、心から喜んでいる様に見えた。
嬉しそうな晴希の横顔を見ていると、ダメだと分かっていても愛しく感じてしまう。そんな意志薄弱な自分が嫌だった。
「直樹さんは『LINK』使うの初めてですよね。試しに何か打ち込んでみて下さいよ。ほらっ結構、簡単なんですよ」
「こっ……こうか?」
チャラチャラン~♪
直樹【テスト送信】
「うん、大丈夫そう。じゃあ今度はこっちから送りますよ」
チャラチャラン~♪
晴希【直樹さん大好きだよ♡】
「なっ!?」
晴希の方に目をやるとキラキラとした瞳で僕を見つめていた。この後に及んでラブアピールしてくる晴希だが、やられてばかりでは面白くないと僕もLINKでの反撃に出る。
直樹【脱衣場に下着が干したままだったよ】
晴希【スッカリ忘れてました】
晴希【良かったら直樹さんにあげますよ】
「なっ!?」
僕の反撃も虚しく、晴希はこれを軽く往なしてみせた。ちなみにあの日、僕はノーブラだと思い込んでいたが、予備の下着を着けていたんだとか……
チャラチャラン~♪
そして、再び晴希の猛攻が始まる……
晴希【そろそろ、お返事を聞かせて欲しいです】
両手を後ろで組み、少し照れている様な顔をしていた晴希は、僕の顔を上目遣いでチラチラと見て来る。
晴希の為を思えば、断った方が良いに決まっている。でも悲しむ晴希の顔は見たく無かったし、何より本当は僕も……
色んな想いが錯綜する中、僕は自分の気持ちを正直に伝える事にした。
「僕を好きになってくれるのは、嬉しいんだけど、どうしたら良いのか決め兼ねている自分がいて……」
「うん」
僕の話を聞いている晴希は、相槌を打ちながら真剣な眼差しで聞いてくれていた。
「だから、まずは『友達』から始めてみないか?」
「お友達?」
これが僕の素直な気持ちだった。
距離を置きたくて、遠ざけていたけど……
本当は、僕だって晴希の事が好きだったから……
「なかなか踏み切れ無くてごめん。こんな中途半端な返事じゃ、許してくれないかな?」
恐る恐る、顔色を伺っていると晴希は優しく笑いながら僕の顔を見つめると……
「今はそれで十分です。だって、これはお付き合いを前提としたお友達って事ですもんね」
「えっ?あっ……ああ」
晴希の考えは少し飛躍し過てる様に感じたが、余計な事を言うとまた話が拗れてしそうな気がしたので僕は素直に受け入れる事にしたのだが……これが、正解だったのかは分からない。
「あっ、そうだ。お友達になったんですから、私の事は『晴希』って呼び捨てにしてくださいね」
「えっ……あぁ……ありがとな晴希」
呼び捨てされた事が余程嬉しかったのか、跳び跳ねて喜んでいる晴希。その笑顔は太陽よりも眩しく僕の荒んだ心さえも明るく照らし出してくれた。
― 帰り道 ―
晴希は突然立ち止まると、手招きしながら僕を呼び寄せた。
「ねぇねぇ、直樹さん。ちょっと、こっちに来て下さいよ……早く早く」
「ん? なんかあるのか?」
すると、どんどん近付いて来て晴希の顔がすぐ目の前まで迫っていた。
――まさか、キス?
そう思った瞬間、僕の心にも緊張が走った。ゴクリと息を飲み込みながら、その瞬間をジッと待っていると……
カシャ
「えっ?」
目の前でカメラのシャッター音が聞こえた。どうやら晴希がスマホで自撮りをしたらしい。画像を確認すると晴希は、何かを企んでいる様にニヤニヤと笑うと……
「ふふっ……良い写真撮れましたよ。今日は二人のお友達記念日ですからね」
「なっ……何それ?」
「えへへっ……良いの。いっぱい作ろうね、二人の記念日」
なんだか既に、恋人同士の様なやり取りをしている様な気もするけど、これ以上の詮索は止めよう……そう心に決めたはずだったのに、スマホの画面を見ながらニヤついている晴希を見ると、どうにも気になって仕方がなかった。
チャラチャラン~♪
晴希【バッチリ撮れたよ】
晴希【スマホの待機画面にしちゃいました】
晴希【良かったら直樹さんもどうぞ】
「なっ!!」
添付された写真を見た僕は、驚愕していた……何故なら画面に寄り添って写った二人は最早、恋人同士にしか見えなかったからだ。
晴希はスマホを渡す様に手振りするが、手でバツ印を作り、僕はこれを拒否した。
「えぇー、良いじゃないですか。お揃いにしましょうよ」
「ダメだよ。こんなの誰かに見られたらどうするのさ。僕達は、まだ付き合っている訳じゃ無いんだよ」
それでも尚、迫って来る晴希に僕が正論をぶつけると……
「その時は……付き合っちゃいましょうか」
「だから……」
結局、最後まで僕は振り回されてしまったのだが、不思議と嫌な気はしなかった。そんなやり取りをしながら、駅前の交差点に差し掛かると晴希は突然、足を止め……
「私は、電車なんで今日はココで……」
「えっ? あっそうか……気をつけて帰ってな。スマホの設定してくれてありがとう」
「ふふっ……どういたしまして」
笑顔で去ってゆく晴樹の後ろ姿を見送り、僕も自宅へと足を進めていたが、その足取りは軽く、胸には春風にも似た暖かな想いが立ち込めていた。
※『LINK』は大人気のソーシャルネットワークサービスの事であり、メッセージのやり取りが可能。
※晴希のブラの経緯は『第6話 ビタースイート』を御覧ください。