59話 インターミトン
和訳『二人の駆け引き』
お祖父さんのすぐ後ろには、厳つい黒服の付き添いが二人いた。だが僕には、この黒服達に見覚えがあった。
――あれは確か、晴希と出会った日……晴希の事を追い掛けていた男達だ。
「えっと、あのぉ……その……」
「あぁん? 何だコイツ。お前の知り合いか?」
「知る訳無いやろ……こんな奴」
どうやら二人は、僕の事を完全に忘れている様だ。そんな様子に僕が安心しきっていると、今度は……
「君が、草原君かね」
「……はい」
お祖父さんは僕の顔を見るなり、薄ら笑いを浮かべながら話し掛けて来た……それは嬉しさや喜びからでは無く、完全に人を馬鹿にした様な不敵な笑みだった。
「あの……僕に何か用ですか?」
嫌悪感を抱きながらも僕が率直に質問をすると、お祖父さんは更に口角を引き上げ、僕に何かの手渡して来た。
どうやら紙切れの様だが……
「今日は気分が良い……宝くじで1等に当選したぐらいの気持ちで、好きな金額を書き込むが良い」
渡されたのは、小切手だった。
無論、心当たりなどある筈も無く……
僕が頭にハテナマークを浮かべていると……
「手切れ金じゃ。これで晴希と縁を切ってくれんかのぉ」
「はっ?」
お爺さんは眉一つ動かさず、悪ぶれた様子も無く、晴希との別れ話を打ち出して来たのだ。
――この人が、晴希のお祖父さん……
垂れ下がった白髪から覗く、鋭い眼光……
辺りを凍らせる強烈な威圧感……
近寄りがたいオーラ……
優に八十は超えているであろう、その老体からは想像も付かない程に……圧倒的な存在感が放たれていた。
「一生、遊んで暮らせるだけの金をやる。好きなだけ女も抱かせてやろう。こんな良い話は、他に無いじゃろ。ふははは……」
「…………」
ビリッ、ビリッ……
すると僕は、上機嫌で高笑いをしていたお祖父さんの目の前で小切手をビリビリに破り捨てた。
「良いのか小僧? こんなチャンスは、二度と巡ってはこんぞ」
それは晴希を大切にしたいと想う気持ちと、何も分かっていない、この老害への怒りと当て付けだった。
「こんな物要らないですよ。それより晴希を……」
「それはならん」
僕の必死の抵抗にも意を介さず、お祖父さんは再び睨みつけると、これを拒絶した。
「晴希は冨幸との結婚を嫌がってるのに、何で孫娘の幸せを願ってあげられないんですか」
「まるで、お前だったら晴希を幸せに出来るとでも言いた気じゃな……笑わせるでないわ」
――何で、分かってくれないんだよ。
晴希の幸せを願って、僕は必死で説得しようと試みたが、その想いはお祖父さんの心には響かなかった。そればかりか……
「儂の持つ総資産額は……5,000億」
「5,000億?」
何でもお祖父さんの死後には莫大な遺産が晴希に相続されるのだとか……
その額は常識を逸っしていたのだが……
「これは土地や建造物が殆どじゃが、お前にどうにか出来る訳では無かろう」
「そっ、それは……」
相続には税金も掛かるし、土地や建造物の維持にも、どれ程のお金が掛かるのかも分からない……だが冨幸ならどうだろうか?
世界的な大企業の社長を父に持つ冨幸なら、遺された遺産もきっと有効活用出来るに違いない。
だけど……
「晴希の気持ちは、どうするんですか。あんな奴に、晴希を渡して良いんですか?」
「ふははは……結婚とは心に非ず、如何にして家系を守るかが重要なのだ。儂らには命を賭してでも守らねばならん使命があるのじゃ」
そう言い残すとお祖父さんは、車へ乗り込み……その場から去って行ってしまった。
― パーティー会場 ―
「うっ、うーん……」
――あれっ? ココは?
「やあ、お目覚めかい……お姫様」
「ココはどこ? 一体、どう言うつもりなのよ?」
目を覚ました晴希の前にいたのは、なんと冨幸だった。後退りしながら、激しく睨み付ける晴希だったが、冨幸は尚もニタニタと不気味な笑みを浮かべながら……
「あはは……ココは君の為に用意したお城だよ。大事な婚約発表会も控えてるからね……今日は絶対に逃さない」
「えっ? 何これっ?」
晴希の左腕には、寝ている時に付けられたであろう重厚感のある手錠が付けられていた。
「ちょっと離してよ……ねぇ、離して……」
「あははは……まあ、大人しく見てろよ。お前が大切にしていた世間知らずが、塵芥になる瞬間をな」
脅迫めいた発言に、顔面蒼白となった晴希は跪きながら冨幸へと懇願する……
「お願いだから、直樹さんは……直樹さんにだけは手を出さないで……お願い」
「それは……お前次第だ」
すると、冨幸は一枚の紙を手渡して来た。
「これは婚姻届だ。入籍前に手を出すと、パパが何かと五月蝿いからね」
「書く訳無いじゃない、私は直樹さんと結婚するだがら……それよりコレ、早く外しなさいよね」
晴希が手渡されたのは、なんと婚姻届だった。どうやら冨幸は、期限を待たずに入籍しようと考えている様だが、晴希がこれ拒否すると……
ピシッ
冨幸は晴希の頬を叩くと、今度は蔑んだ目で見下しながら……
「ペットの分際で誰に命令してるんだ。まあ良いさ……遅かれ早かれ、お前は僕の私有物になるんだ。この運命は……変えようが無い」
「違うよ。こんなの運命なんかじゃ……あっ、待ってよ」
涙ながらに否定する晴希の前に、冨幸は小さなモニターとボタンを置いた。
「そのモニターには会場の様子が映し出される。もし気が変わったら、このボタンを押してくれたまえ」
そう言い残すと、冨幸は静かに部屋を後にした……その顔はまるで、毒リンゴを手渡した魔女の様に狂気へと満ち溢れていた。
一方その頃、僕も会場へと到着した。やはりお金持ちなだけあって、新年祝賀会とは言え規模が違う。
「では、こちらでチケットを拝見致します……次の方、どーぞ」
溢れんばかりの人……
続々と集まる世界各国の大富豪達……
その中には、テレビ局の人間まで来ていた。
会場のテーブルに並べられていたのは、見た事も無い高級料理の数々……そんな料理には目もくれず、僕は晴希を捜索していた。
――晴希は、一体どこにいるんだ?
ドッ……
「うわっ!!」
人混みの中から晴希を見つけ出そうとキョロキョロしていると……僕は、前方にいた人にぶつかってしまった。
「すっ、すみません。余所見してたもので……えっ!?」
「気にしないで下さい、僕の方こそ周りを良く見ていなかったので……なっ?」
僕の目の前にいたのは、なんと……
「テンダイが、何でココにいるんですか?」
「…………」
辺りに漂う、気まずい空気……
それもそのはずだ、腰痛で休んでいるはずのテンダイが何故か、冨幸の主催するパーティに出席していたのだから……
「草原君……君は今日、出勤のはずだろう? まさか無断欠勤でもしたのか?」
「シフトには、ナツが代わりに入ってくれました。テンダイこそ、どうしてココに?」
僕の質問は的を射ていた様で、テンダイは再び沈黙すると静かに視線を落としながら……
「草原君は、ヘッドハンティングって知ってるかな?」
「??」
テンダイの話では、今の会社には未来が無いらしい。そんな時に声を掛けられたのが、慶恩寺グループだったそうだ。
「僕は、選ばれたんだよ。あの慶恩寺グループに……」
慶恩寺グループは知名度も高く、誰もが憧れる有名企業だったが、その就職倍率は非常に高く一流大学を出たとしても、容易に内定を貰う事など叶わなかった。
これは、又とないチャンスだったが入社には、ある条件が付け加えられたらしい。
「僕の入社条件は君達の仲を切り裂く事と、君をクビにする事だった」
「えっ!?」
話を理解出来ずに僕が動揺していると、顔を引き上げたテンダイは、体を震わせながら怒りの形相で……
「なのに君は、どうして僕の計画の邪魔をするんだ。拾ってやった恩も忘れて……」
「まさか、正月のシフト変更を妨げてたのは……」
どうやら僕のシフト変更の邪魔をしていたのはテンダイだった様だ。
ずっと憧れて……誰よりも信頼していた人の裏切りに僕は、落胆の色を隠せずにいた。軽蔑の目で、テンダイを睨んでいると後方から誰かがやって来て……




