56話 アサインシデント
和訳『思わぬ采配』
元日……例年なら実家へ帰省し、正月番組を見ながら御節料理を食べ、ゴロゴロとしている僕だったが今年は違った。
「明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとう、草原君。早速で悪いんだけど……」
僕が事務所に着くとテンダイが何やら忙しそうに準備していた……いったい何かあるのだろうか?
「こっ……これは、いったい?」
テンダイが倉庫の奥から引っ張り出していたのは、年季の入った杵と臼だった。
「店長の提案でね。明日、餅つき大会を行う事になったんだ。今日はその下準備をするから手伝ってくれ」
「餅つき……ですか」
よもや、こんな事態になろうとは誰が想像しただろうか……
「正月と言えば、餅つきが定番じゃないですか」
すると、僕のすぐ後ろから店長がヒョイっと出て来た。この店長、色々と細かい事を言ってくるが、自身のやる事は奇抜だった。
「そう言えば、草原君。シフトが、まだ変わって無かったけど、交替は出来たのかい?」
「それが、まだ……3日だけでも代わりたかったのですが……」
暗い顔をして俯く僕を見て、流石の店長も哀れに思ったのか僕の肩に手を乗せると……
「仕方無いですね。3日は、私が代わりにシフトへ入りましょう」
――えっ?
意外な提案だった。あれだけ厳しく当たって来た店長が、交替してくれると言うのだから……
だが、この日は……
「しかし、倉本店長。3日は、本社への挨拶回りが……」
「本社へは藤代君、君が一人で行きなさい。何、私はぎっくり腰で動けなくなったとでも言っといてくれれば構わないから……はははっ」
本社への挨拶回りは、毎年恒例の行事。
アピールの為にも、必ず出席しなければならないと前任の店長が、良くボヤいていたが……この店長には出世欲と言う物が無いのだろうか?
何はともあれ、店長が勤務を代わってくれると言ってくれたのだ。スッカリ安心しきった僕は、晴希との作戦会議に集中する事にした。
― 自宅 ―
「えっ? まだ、催し物が発表されて無い?」
「今までこんな事は、無かったんだけど……」
晴希から新年会の催し物が、まだ発表されていない事を知らされると、僕は途端に不安となった……潜入方法を決められないからだ。
「状況に応じて、対応するしか無いって事か」
「あんまり深く考えても仕方無いし、作戦会議はこれぐらいにして、今日は休みましょ?」
確かに晴希の言う様に、考え過ぎは逆に良くないのかも知れない。僕達はコンディションを整える為にも、今日は早めに休む事にした。
― ミカゲマート ―
翌日、正月2日目に……事件は起きた。
「じゃあ、僕が手本を見せよう。良いかい草原君、杵はこうやって先端を緩く、末端を強く握ってから振り上げてから……ぎょっ!?」
「ぎょっ?」
熱心に僕へ餅つきの指導をしていたテンダイだったが、杵を持ち上げた瞬間、変な声を上げた……一体何があったのだろうか?
「あいたたたた……」
久し振りの餅つきだった事もあり、なんと、テンダイは、ぎっくり腰になってしまったのである。
「大丈夫かね、藤代君?」
「これくらい大丈……あだぁああ……」
地面に這い蹲っている相貌は、まるでゾンビ……結局テンダイは一人では、起き上がる事が出来ず、タクシーで家に帰る事になってしまった。
「草原君、悪いが明日は……」
――最悪だ……
テンダイの離脱により、店長は本社への挨拶周りを余儀なくされてしまい、シフト交代は難しくなってしまった。
結局、振り出しに戻ってしまい、僕が途方に暮れていると……
「うぃーす。草原さんいますか?」
レジの後ろから聞き覚えのある声がした。僕が振り反ると、そこには夏稀の姿があった。何でも長期休みを取っているとの聞いていたが……
「連絡も取れないから心配してたんだぞ」
「悪かった、ちょっと東京の方まで行ってたんだ。スマホも壊れちゃって……」
どうやら夏稀は遠出をしていた様だが、何かあったのだろうか?
「すみません、店長。休憩行って来ても良いですか?」
「ああ、構わんよ。餅つきは中止にするから、ゆっくりしてくると良い」
店長に休憩を告げた僕は、夏稀を事務所へと呼び寄せると……
「シフトからも抜けてたし、何かあったのか?」
「実はな……」
夏稀の口から語られたのは、政斗の事だった。クリスマスの夜、冨幸の強襲により受けた傷は思いの外、酷かった様で都内の病院にずっと入院していたらしい……
「あの強そうな人が、大怪我させられてたなんて……信じられない」
「アイツが卑怯な真似をしたからだ。全身にスタンガンなんて、仕込みやがって……」
「…………」
どうやら夏稀は政斗の付き添いで、東京に行っていたらしい。何でも近くに親戚の家があり、寝泊まりしながら、ずっとリハビリに付き合っていた様なのだが……
「こんな献身的に尽くしてやってるのに……アイツ、なんて言ったと思う?」
「いっ、いや……」
― 都内の病院 ―
「なっ、ナツ……今日は、もう止めようぜ」
「はぁあ? 先生だってリハビリしねぇと治んねぇって言ってただろ? ほらっ、もう一回最初からだ」
完全に手の感覚を失い、箸すらまともに持てなくなってしまった政斗の右手は、医師からも絶望的だと言われていたが……夏稀は諦めていなかった。
再び、手が動く様になるのを願って、リハビリを手伝う毎日だったのだが……行き過ぎたスパルタ指導により、どうやら政斗は逃げ出してしまったらしい。
数日後、持っていたお金も底をつき、政斗が病院に戻ってくると……
「ナツ、暫く一人にさせてくれねぇか。お前がいると、今度はうつ病になっちまう」
「…………」
どうやら夏稀は、政斗のリハビリ担当から外されてしまったらしい。
・
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「たくっ……何が、うつ病だよ、だらしねぇ奴め。人の好意を無下にしやがって……」
「…………」
確かに夏稀の言う通りではあるが、政斗の言い分も分からない訳では無い。何はともあれ、御役目御免で帰って来た夏稀には予定が無いだろうと踏んだ僕は……
「帰って来た所、悪いけど、実はナツに折り入って、お願いがあって……」
今まで何度も窮地を救ってくれた夏稀の事だ、お願いすれば引き受けてくれると信じて、シフトを代わって貰う様に、僕は頭を下げたのだが……
「それは出来ない相談だ」
夏稀は冷たい視線で睨みつけると、なんと僕の申し入れを断ったのだ……これは完全に想定外の事だった。
「頼むよ、晴希の一生が掛かってるんだ。お願いだから代わってくれよ」
それでも引き下がれなかった僕は、藁をも縋る思いで迫ったのだが、夏稀はギリッと睨み、肩に乗っていた手をサッと振り払うと……
「アンタを冨幸の下へ、行かせる訳にはいかない」
「なっ!?」
どうやら夏稀は、僕を新年会に行かせたく無い様だ……いったい何故だろうか?
「何でだよ、ナツ。晴希の事を一緒に救うんじゃ、無かったのかよ」
「…………」
その場で黙り込んでしまった夏稀だが、俯いたその目からは……ポトリと涙が溢れていた。
――泣いて……いるのか?
すると感極まっていた夏稀は、静止しようとする僕の腕を振り払い、事務所を出て行ってしまう。
鬼の目から溢れ落ちた涙は、いったい何を意味していたのか……僕は、夏稀の真意も分からないまま呆然と立ち尽くしていた。




