41話 スターリーナイト
和訳『満天の星空』
― 翌日 ―
カラン……カランカラン……
夕陽に照らされた喫茶店に、一人の女性が入って来る。白いトップスにシックな黒のカーディガン姿の女性は……目当てのテーブルへ着くと、優しい笑顔で手を振った。
「遅れちゃって、ごめんなさいね」
「いえ大丈夫です。急に呼び出したりしてすみません桐月先生」
亜紀が席に着くと、先に座っていたショートヘヤーの女性がメニューを手渡した……なんと、亜紀を呼び出したのは夏稀だった。
気丈には振る舞っていたが、亜紀の顔には疲れが見え隠れしており、明らかにトーンダウンしている様に見えた。
「大事な話があるって言ってたけど、何かあった? 先生で良ければ、相談に乗るよ」
引き上げた両手で拳を作りながら、優しい笑顔で話を聞いてくれる亜紀……
自分だって辛いはずなのに、それでも生徒の事を想い、親身に相談へと乗ってくれる亜紀を見て……夏稀は感服していた。
「実は、先生……」
夏稀は亜紀に、僕と晴希の事について打ち明ける事にした。夏稀の話を真剣な眼差しで聞き入る亜紀だったが……
「じゃあ、晴希ちゃんは雨宿りに立ち寄っただけで、あのブラも忘れ物だったの。じゃあ、直樹さんは……」
「草原さんは、ハルに疚しい事なんて何もしてないですよ。大体、あの性格ですよキスだって真面に出来ないんじゃ無いですか?」
夏稀の説明により、誤解が解けた亜紀は一気に明るい表情へと変わった。
確かに僕の性格を考えれば、直ぐに分かりそうなものだが、スッカリ恋へ落ちていた亜紀は、盲目となっていた様だ。
「でも直樹さんは、二人に恋をしてしまった事を今でも後悔してて……」
夏稀は知っている事を全て話した……
晴希と交わした、あの約束以外の事は……
― 昨夜 ―
晴希の家から夏稀が出ようとした瞬間だった……
「それと、ナツにお願いがあるんだけど……」
「ハルからお願い事なんて珍しいな、どうした?」
普段から面倒を掛けている晴希に恩返しが出来ると、張り切った顔をした夏稀だったのだが……
「直樹さんが私の触れられる特別な男性だって事を亜紀先生には伏せておいて欲しいの」
「なっ……なんでだよ。先生だって話せばきっと、分かってくれるはずなのに……」
全く何を考えているのか分からないと、両掌を引上げながら夏稀は首を横に振ったのだが、晴希は笑顔で……
「亜紀先生は優しいから……そんな事を言ったら、私の事を気にして直樹さんの事を諦めちゃうと思うんだ。そんなの不公平じゃない?」
「ハル……」
・
・
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夏稀は、晴希との約束を守った。
晴希の事を思えば、亜紀にも話しておいた方が良かったのかも知れない……だけど夏稀は、どうしても晴希との約束を破る事が出来なかった。
「なる程、そう言う事だったのね。お母さんは言い出したら聞かないから……勘違いして、直樹さんに悪い事をしちゃったわね」
「そこは、気にしなくても良いんじゃないですか? お見合い話をキチンと断らなかった草原さんにも否がありますし……」
心の蟠りが取れた亜紀は、いつもの様に優しい笑顔で微笑んでいた。そんな亜紀を見ていると夏稀はどちらの恋を応援して良いのか、分からなくなってしまっていた。
「先生は、どうされるつもりなんですか?」
「私は……直樹さんが、選んでくれるのを待ちます」
その優しくも強い瞳は、亜紀の決心と覚悟を示しているかの様であった。暖かさと優しさ……それに大人の魅力まで兼ね備えた亜紀は、晴希よりも一枚も二枚も上手の様に見えた。
亜紀と別れた後……夏稀は暗い路地裏で壁に凭れながら思った。
――本当に、これで良かったのか?
夏稀は確信していた。このままでは、晴希は亜紀には勝てないと……何も出来ない自分の無力さに、夏稀はただ一人、涙を流していた。
― 自宅 ―
バイトから帰宅した僕は、壁に凭れながら晴希の事を考えていた。
――僕は晴希を選んでも、良いのだろうか?
もし今、晴希に僕が映っていないのであれば、好意を抱いていたとしても逆に足枷になるだけじゃないのか、お互いの為には亜紀と一緒になった方が良いのでは無いかと、次第に考える様になってゆく……
だが未だに連絡を取れない亜紀の心境がわからない以上、今の僕にはどうする事も出来ず、天井を見上げながら途方へ暮れていた。
「はぁ……亜紀さん、かなり怒らせちゃったからな」
額に手を当てながら、亜紀を怒らせてしまった事を後悔していると……
ピピピ……
突如、スマホが鳴った。
「もしもし、直樹さんですか? 私です……亜紀です」
なんと電話の相手は……亜紀だった。僕はスマホをグッと引き寄せると、当てている左耳にも不思議と力が入った。
「亜紀さん。この前は……その……」
「小湊さんから全て伺いました……先日は、私の勘違いで叩いてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
僕が謝ろうとした瞬間、亜紀の方が先に謝ってきた……どうやら亜紀の方も相当、思い悩んでいた様だ。
「あっ、いや……でも……」
「教師という立場でありながら、キチンと話も聞かずに手を上げてしまった事……深く反省しています」
亜紀の声は少し掠れ……
震えている様に聞こえた……
泣いているのだろうか?
「いやいや……悪いのはこっちだし、亜紀さんは全然悪くないから……こっちこそ本当にごめん」
亜紀もまた、優しく許してくれた。
二股を掛けていたにも関わらず一切責め立てる事はせず、僕は救われる思いだった。
「亜紀さんありがとう。でも……」
「大丈夫です。私、直樹さんが答えを出すのを、ちゃんと待ってますから……」
言わんとしていた事を理解し、それでも待ってくれると言ってくれた亜紀……僕の心は、再び揺れ動いていた。
「ありがとう、亜紀さん」
そして、話が終わり、僕がスマホを切ろうとした瞬間だった……
「あの……私はやっぱり、直樹さんの事が好きなんです」
「……亜紀さん」
「結婚も見据えて考えてます。だから……その……あっ、ごめんなさい。やっぱり今のは忘れて下さい。しっ……失礼致します」
結婚を視野に入れたお付き合いを考えてくれている亜紀……その真っ直ぐな気持ちに僕の心は益々揺らぎ、迷走してゆくのだった。




