3話 オールドメイド
和訳『ババ抜き』
僕の予想に反して、窓には何も映っていなかった……もしかしたら、見る角度が悪かったのかも知れない。
ポンポン……
更に近付きながら、目をジッと凝らしていると……後ろから誰かに肩を叩かれた。
今、良い所なのにと思った反面、部屋には僕以外がいるはずも無く、幽霊でも出たのかと恐る恐る振り返ると、そこには……
「草原さんも、早く着替えた方が良いですよ。風邪引いちゃったら大変ですから……」
「うぉだぁああああーーー」
なんと、僕のすぐ後ろには……
スエット姿の女子高生が立っていたのだ。
あまりに突然の事態に言葉にもならない声を出しながら尻餅をつきそうになる僕だったが、女子高生は手を口に宛てながらクスクスと笑うと……
「もう草原さんってば、リアクションがオーバーですよ。いったい、どうしたんですか?」
「なななっ……なんで、こっちにいるの?」
脱衣所にいるはずの女子高生が突如の背後に現れた事に動揺を隠せない僕は、まるで狐に抓まれた気分だった。
この密室からの脱出には一体、どれ程の巧妙なトリックが隠されているのか……頭を悩ませていた僕だったが聞けば、そのカラクリは驚く程、簡単な事だった。
木を見て森を見ず……
窓を見て部屋を見ず……
どうやら僕が目を閉じて葛藤している間に、女子高生は脱衣所から出て来て僕のすぐ目の前にずっと座っていたらしい。
すっかり自分の世界へと入り込んでいた僕は、目の前にいる女子高生には見向きもせず、哀れにも誰もいない脱衣場を覗く計画を企てていたのであった。
「あはは……じゃあ、今度は僕が着替えてくるよ」
自身の悪態を嘲笑いながら、脱衣所へと逃げこんだ僕は、改めて思う。
――早く帰らせないと、僕の理性が持たない……
後悔と挫折感に苛まれながらも、自身の理性が既に崩壊してしまっている事実に焦った僕は、改めて女子高生を帰宅させる手段を模索するのだったが……
――駄目だ、何も思い浮かばない……
着替えを済ませた僕は、今の気持ちを話して理解をして貰おうと、女子高生へ正直に打ち明ける事を決心したのだったが……
「あのさ。この狭い部屋に男女二人で、一緒にいるのは流石に、まずいと思……」
「やだぁ、草原さん。ズボンの窓からパンツが見えちゃってますよ。ほら可愛いパンダさんが……」
「えっ? あっ……ごめん」
考え事をしながら着替えをしていた僕は、不本意ながらもズボンのボタンを閉め忘れており、悪意の小窓からはキャラクター物のパンダが顔を出していた。
慌てて服装を整える僕を見て、女子高生はクスり笑うと……
「ふふっ……草原さんって、可愛いパンツを履いてるんですね」
「こっ、これしか無かったんだよ。あっ、そんなに笑わなくても」
すっかり女子高生に話を逸らされてしまったが、ここで僕は一つの違和感に気付いてしまう。
――さっきから草原さん、草原さんって……何で教えてもいないのに、僕の名字を知っているんだ?
「どうして、僕の名前を知ってるの? ひょっとして超能力者だったりする?」
自己紹介もしていないのに名前を知っていた女子高生を不審に思った僕は、改めて問い掛けると……
「ふふっ……私、超能力なんて使えないですよ。ヒントは……玄関にある物」
「あっ!表札か」
聞けば簡単なカラクリだが、どうにもこの女子高生にはペースを乱されてばかりいる。
「ふふふ……」
「ははは……」
だけど、この眩しい太陽の様な笑顔に照らされていると、不思議と心地が良かった。
「そう言えば、自己紹介がまだでしたね」
そう言うと女子高生は僕の目の前で正座をし、今度は畏まった様子で……
「私の名前は『春日野 晴希』。漢字で書くと、天気の『晴』に希望の『希』って書くんですよ。聖女高校の3年生で趣味はカラオケとお買物。最近はオンラインゲームにも嵌まってて……」
「……聖女高校か」
正式名『聖典女子高等学校』は、この辺りでは有名なお嬢様高校で格式が高く、一般人は近寄りがたい学校であった。
晴希は、正真正銘の女子高生……しかも、あの名門校の生徒では尚更、手など出せる訳も無い。
たぶん、連れ込んだだけでもマズいのでは無いかと僕が内心焦っていると、晴希は眉を顰めながら……
「ほらっ、今度は草原さんも自己紹介してくださいよ。順番こですよ」
「えっ? あっ、ああ……僕は【草原 直樹】えっと、今日で30歳になったんだけど……」
僕の自己紹介を聞いた途端に、何故か晴希は目を丸くし、ポカンと口を開けた。
その衝撃の理由とは……
「えぇっ? 草原さんも今日、誕生日なんですか? 実は私も今日が誕生日なんですよ」
誕生日の日に、同じ誕生日の女性と出会い、同じ部屋で会話をしている……いったい、どれだけ数奇な確率なんだろうか。
「それ……本当だったら、凄い偶然だよなぁ」
「偶然なんかじゃないですよ。私、手を繋いだ瞬間に分かったんです。草原さんは、運命の人なんだって……」
初めは作り話なんじゃないかと思って警戒していたが、嬉しそうに手を組んで話す晴希を見ているとコレが事実であり、本当に運命的な出会いだった事だけは理解出来たのだが……
僕は、コレを運命だと信じる事が出来ず、手を左右に振ると晴希の言葉を否定するかの様に……
「僕が運命の人だなんて冗談でしょ? 年齢だって一回りも違うんだしさ。それに晴希ちゃんは可愛いから、付き合っている人とかもいるんだろ?」
「それ、偏見ですよ。私、彼氏なんていませんし、恋愛に年齢は関係無いですから……」
僕が軽い気持ちで放った言葉に、晴希は頬を膨らませると人差し指を立てながら猛反論して来たのだった。
「ははは……そっかそっか。でもまあ、僕みたいな不細工男と付き合いたい物好きなんている訳がな……」
とは言え、女心など微塵も理解していなかった僕は、勝手に冗談だと思い込み軽い気持ちで、話を聞き流していたのだったが……
「だったら、付き合っちゃいましょうよ。私、草原さんと一緒にいるとその……不思議と落ち着くと言うか、凄く癒されるんです」
「はいっ?」
なんと晴希の口から飛び出したのは、交際の申し入れ……つまり、愛の告白だった。
開いた口が塞がらなかった僕は、唖然呆然としながらも聞き間違えだったのでは無かったかと思考を巡らせていると……
「ほらっ、見て下さいよ。私達、相性占いだってこ〜んなにバッチリなんですよぉ」
「…………」
ハニカミながらも嬉しいそうにスマホの占いサイトを見せてくる晴希だったが、僕は未だに信じられないでいた……
――これは、何かの間違いだ……
「あのぅ、草原さん? 草原さーんってば?」
「…………」
無言で静止した僕は、冷静になって考え直してみる。こんな可愛い子が祥が無い三十路男に一目惚れするなんて事があるのだろうか?
――いや……どう考えても、有り得ないでしょ。
大人をからかって楽しんでいるのか?
傍また、新手の詐欺なのか?
様々な臆測が交錯し、すっかり疑心暗鬼へ陥ちてしまった僕は、素直に晴希の言葉を信じる事が出来ず、ヘラヘラと笑いながら……
「ははは……僕と付き合いたいだなんて、可笑しいよ。もし、金銭目的だったら止めといた方が良いよ……僕は貧乏人だからさ」
バンッ
全く相手にしない僕に対して納得がいかなかったのか、晴希はちゃぶ台へ勢いよく手をつくと、今度は目に涙を浮かべ見つめながら……
「どうして信じてくれないですか? 私、こんなに真剣なのに……」
「だったら証拠は? ん?」
僕を真っ直ぐに見つめる晴希の強い眼差し……とても嘘を付いている様には見えなかったが、恋愛経験の乏しい僕には晴希の胸中が分からず、つい心無い事を言ってしまった。
「………………」
そして、あろう事か俯いて何も話さなくなってしまった晴希を見て、すっかり勝ち誇った顔をしていた僕は、更に追い討ちを掛ける様に……
「ほらっ結局、口先だけだろ? 抱かれる覚悟も無いのに軽々しく、付き合いたいなんて言うもんじゃないんだよ」
冷たい様だが、これも晴希を諦めさせる為だと、僕は心を鬼にして言い放ったのだが……どうやら、これがマズかったらしい。
「(ボソボソボソ)」
俯きながら何かをボソボソと話す晴希は、スカートの裾を強く握り締めながら、頬を真っ赤に染めている。
「ん? なになに?」
「私の……(ボソボソ)」
耳に手を当てて、聞こえないフリをした僕は晴希を煽る様に……
「そんな小さい声じゃ、全然聞こえないけど」
晴希の気持ちなど知るよしも無かった僕が、ギリギリまで追い詰めると……晴希は突然、スカートを捲り上げながら、まさかの爆弾発言をして来たのだった。
「私の乙女を奪って下さい」
「おっ……乙女?……えっ? なななっ……なんて事を……あっ、いや……ダメだ……」
露になる白いパンツ……赤いリボン柄。顔を真っ赤にしながら向かってくるパンツ姿の晴希に、僕は驚きを隠せずに戸惑っていた。
「あっ、ちょっと……ごめん僕が悪かったから……だだだっ、だからその……えっと……」
不安や戸惑いが入り混じり、今までに感じた事の無い、緊張感と高揚感に支配された僕は逃げる事も拒む事も出来ず、その場でただ立ち尽くす事しか出来なかった。
トサッ……
晴希はスカートを床へ下ろすと僕の顔を見つめながら一歩……また一歩と近付いて来る。
ドクン……ドクン………
加速する鼓動……
最早、僕には……
目の前のパンツしか見えていなかった……
その場から動けなくなった僕は……
まるで蛇に睨まれた蛙の様に、固まっていた。
そして、晴希は僕の前まで来ると静かに目を閉じた。きっと晴希に取っても初めての事なのだろう……震える瞼と唇を抑える様に手を握り締めると、僕の回答を待っている様であった。
ドクン……ドクン……ドクン……ドクン………
張り裂ける程に高鳴る鼓動に……
呼吸も次第に荒くなり……
全身を駆け巡るマグマの様な感情は……
もう既に爆発寸前だった。
脳内アドレナリンが最高潮へと達っした僕は、本能の赴くまま……意識を手放してしまった。




