36話 アヴァンチュール
和訳『危険な恋』
僕の後ろに立っていたのは、晴希だった。その視線の先には、ズボンのポケットから顔を出すグシャグシャになった紙切れ。
ジーっと見つめていると……
フワッ
僕が汗を拭くためにハンカチを取り出した瞬間、気になっていた紙切れがフワりと落ちた。
晴希は、落ちた紙を拾い上げると……
「はい、これ落ちましたよ。ふふっ……直樹さん、自分の抽選券持ってたのを忘れてたんですか?」
「なっ!?」
僕は驚きのあまり、その場で固まった。何故なら爺さんから貰った抽選券が、知らず知らずのうちに晴希の手へと渡っていたのだから……
未だに当選者は出ておらず、この抽選券が当選している可能性は当然、否定出来ない。恐る恐る番号を照合してみると……
「当ってた!! 俺の抽選券当ってんじゃん」
遠方から聞こえて来たのは……大当りを告げる歓喜の声。どうやら僕の抽選券はハズレていた様だ。
安心した僕は抽選券を手に取ると先程とは打って変わって堂々とした面持ちで晴希達に見せ付ける。
「『Lb99897』……ハズレだよ。あはは……当りも出たみたいだし、残念だったな」
ガクっと肩を落とす晴希であったが、亜紀は何か違和感を感じて抽選券を観察をすると、何か気付いた様に……
「ふふっ……直樹さん、これ見方が反対ですよ。ひっくり返すと……えっ!?」
「!!」
「!?」
『Lb86697』
なんと、現れた番号はスクリーンに表示されている当選番号と一致していた。
――でも、さっき当選者は出たはず……
不審に思いながら、ステージの方へと目をやると……先程、当選者した思われていた男が何やら揉めていた。
「はぁ!? この抽選券がハズレだとふざけんなよ」
「コレには明らかに、ペンで書き足された跡があるやろ? QRコードを読み取るとほら別の番号や」
「兄ちゃん、いくらチケット欲しいからってズルはアカンでぇ」
どうやら、この男は不正を働いていた様だ。司会の二人に細工を指摘されると、立て掛けてあったパイプイスを思いきり蹴飛ばしながら、どこかへ去ってしまった。
「失礼致しました。それでは他に当選者も出て来ない様なので、再抽選を……」
司会が再抽選の案内を開始しようとした、まさにその瞬間だった……僕の横から凄まじく大きな声が発せられた。
「待って下さーい!!ここに当選者がいますよぉー!!」
声の主は……なんと、晴希だった。
その大きく、透き通った声は会場中に響き渡たると、一気に視線が僕へと集まる。
「…………」
皆の恨めしそうな視線を一点に集めながら、僕は無言でステージへと登って行った。まるで処刑場の階段を上がっている様に絶望的な気分だった。
――きっと、これは何かの間違いだ……
間違えである事を祈りながら、僕が機械で番号を照合してみると……
「おめでとうございます。今のお気持ちを一言、貰ってもええですか?」
勿論……気分は最悪である。
こんな所で二股がバレてしまえば、アッと言う間に噂が広がり、町中で批難されるのは目に見えてわかっていたからだ。
「あっ、あはは……さっ、最高の気分です」
情けない声で答えた僕は、今すぐにでもステージを降りて逃げ出したかったのだったが、司会者達は当然、会場を盛り上げようと更に追撃をして来る。
「トライフルランドは、誰と行かれはるんです? もし相手がいないなら、この場で募集かけてもええと思うんですけど」
「えっ!?」
僕は言葉に詰まったが、こんな所で募集を掛けられたら、とんでも無い事になると難しい顔をしながら慎重に言葉を模索していた。
「実は僕には大切に思ってる人がいまして……その人と一緒に行こうかなっとは思っています」
これが、僕の言える精一杯の言葉だった。
これ以上、何かを口にしてしまえばボロが出てしまうだろうと、これ以上は絡んで来ない様に司会者へ目で必死に訴え掛けたのだが……
「ほんなら今、告ちゃいます? アンタは間違いなく今日1番ツイとる。恋人同士になって、ホンマのヒーローになったら、ええやないか」
別に悪気がある様では無さそうだが、人の気も知れず、ヘラヘラと絡み続ける男に対して、僕は怒りを覚えていた。
――余計なお世話だ。
握り締めた手をプルプルさせ震えてながら堪えていると、秋風が吹き……何だか、鼻がムズムズとして来た。
そして……
「はっ……はっくしょーーん」
僕は、男を目掛けて大きなクシャミを吹き掛けてしまう。
「すっ……すいま……」
「何しとんねん、クシャミは手で抑えるんが常識やろが……モテなさそうやから、可哀想やと思うて、手助けしとったのに、アンタは恩を仇で返すんか?」
クシャミを掛けられた男は、先程までのヘラヘラムードから一転し、イライラモードへと変貌してしまう。
そんな男を見て、不味いと思ったのか駆け付けて来た相方は……
「お前、客に何しとんねん」
スパーーン!!
相方が男の頭を思いっきり叩くと……その威力により、舞台裏まで一気に吹っ飛んでしまった。
「あはは……アイツ潔癖やねん、気ぃ悪くせんといてな。ほな、大抽選会はこれでお開きにするで……また来年の綿樫祭にも呼んで来れよな」
それだけ言うと、ステージは静かに幕を閉じた。
抽選会が終わると、会場の熱気は一気に冷め、人通りも徐々に減り始めた。僕は手に入れてしまったチケットを片手に、晴希達の待つアカナラの木へと重い足を進めた。
――晴希達に、何て言ったら良いんだろう……
歩きながら考えを巡らせていた僕は、チケットを夏稀達に譲ってしまう事を思いついた。
――二人は付き合ってるんだし、きっと受け取ってくれるはず……
晴希達も理解してくれるだろうと、安易な考えで合流したのだったが……
「えっ!? チケットの譲渡は出来ない?」
どうやら、このVIPチケットは特別な物らしく悪用防止の為、登録した人しか使用する事が出来ないらしい……これは僕にとって、想定外の事態であった。
「直樹さん、いつ頃に行きます? イルミネーション綺麗だからクリスマスとか? それとも冬休みに入ってからかな? ふふふっ……」
嬉しそうに話し掛けてくる晴希を見て、僕の顔は引き攣っていた……どうやら晴希の中では、もういくつかプランが出来上がっている様だ。
「そうね。でも移動や食事の事を考えたら、冬休み前の土日で行った方が楽かも知れないですよ」
亜紀の方も、どうやら音を立てず構想を練っている様に見えた。
――これは、かなりマズい……
最早、二股を掛けているのがバレるのは時間の問題だった……僕は心から祈った。
――僕の浮気がバレません様に……
僕の祈りが神様に届いたのかは分からなかったが、間もなくこの願いは成就する事となる。
「いけなーい。今日、連ドラの予約忘れてきちゃったから私、先に帰りますね。亜紀先生達は、まだお祭り見ていくの?」
「私達もそろそろ帰りますか?」
「えっ……あっ……ああ」
そう……僕の思惑通り、何も起こらずに解散となったのだ。もしかしたら、本当に今日はツイていたのかも知れない。
「直樹さん、明日は早番でしたよね?」
「ああ……そうだけど、なんかあったか?」
「ナツと入れ替わったから、明日は私も早番なの。宜しくお願いしまし。亜紀先生も今日はありがとうございました……それでは失礼します」
駅の方へと足を進める晴希の後ろ姿が小さくなると……心の不安も消えてゆく様だった。
間も無くして、僕達も家へと帰宅する事にしたのだが……
「あっ……あの大丈夫ですか?」
「だっ……大丈夫です。倉庫の荷卸に比べたらこれくらい朝飯前です」
亜紀が抽選で当てた『フライパン鍋セット』だが……かなりの重量があり、僕は家まで運んであげる事にした。
亜紀の家は、公園から程なく進んだ路地にある小さなアパート……以前の会食でも話は伺っていたが、僕の家からも徒歩5分と近い場所にあった。
― 亜紀の家 ―
「散らかっててすみません。荷物は、玄関にでも置いて下さい」
「はい」
荷物を運び入れた僕が、腰に手を当て背中を伸ばしていると、目に飛び込んで来たのは……
生まれて初めて見る……
女性の部屋……
整頓された綺麗な棚に……
明るく飾られた装飾……
埃一つ無い清潔な床……
ほのかに香るアロマの匂いに……
僕の心が擽られる……
――これ以上、ココにいるのはマズい。
危険を察した僕は、早々に立ち去ろうとしたのだが……
「あのぉ……良かったら、お茶でもいかがですか?」
「えっと、今日はちょっと……」
本当は、戸惑っていた……本音を言えば亜紀と、もう少し話をしていたかったし、お茶を飲んで冷えた体も温めたかった。
そんな僕を引き止めたのは……
やはり、晴希の笑顔だった。
晴希の事が好きなのに……
今、亜紀の家へと上がる訳には行かない。
僕は高鳴る感情へと急ブレーキを掛け、惜しみながらも亜紀の誘いを断った。
「もう、こんな時間ですもんね。お手間を取らせてすみませんでした」
「いえ、こっちこそ……」
亜紀は笑顔で、首を横に振った。亜紀だって本当は一緒にいたかったはずなのに……
優しさと包容力……
亜紀への想いが膨らんでゆく程に……
晴希の事を告げるのが、苦しくなる。
――だけど、このままじゃ……
「もし、良かったら明日の夜……また、あの公園でまた会えないかな。大事な話があるんだ」
「明日ですね。ふふふっ……私、楽しみにしてます」
何も知らない亜紀には申し訳無かったが、僕は選ばなければならなかった。どちらの恋を実らせるのかを……




