31話 ブランクボックス
和訳『四面楚歌』
バイトが終わり……結局、僕は流れでファミレスへと同行する事になってしまった。これが処刑台の階段を上がっているとも知らずに……
カランカラン……
お店へ入ると、先に来ていた亜紀が笑顔で手を振った。晴希達は嬉しそうに席へとついたのだが……僕は絶望の境地にいた。
今まさに目の前には……
好きになった二人の女性……
しかも、この二人は嘗ての教師と生徒の間柄なのである。世間は狭いとは言え、これ程の偶然があり得るのだろうか?
暗い顔をしながら俯いていると額からは、ジワリとした汗が滲み出て来る。僕が只管、紙ナプキンで汗を拭っていると、三人は和気藹々とガールズトークに花を咲かせていた。
「二人とも少し会わない間に随分と大人らしくなって、先生ビックリしちゃったよ。私は少し老けたでしょ?」
「全然、老けて無いよ。亜紀先生は、今でも私の憧れなんだよ」
「桐月先生は、昔から美人だからな」
「…………」
――この地獄は、まだ始まったばかりだ……
どこで爆発するかも分からない地雷原で、僕は会話へ入り込めず、一人孤立していた。
――いったい、この状況をどう打破すれば……
僕が俯きながら考え込んでいると、目を吊り上げた夏稀がイライラとした口調で話掛けて来た。
「ちょっと、草原さん聞いてんのかよ」
「えっ? あっ……何だっけ?」
完全に上の空だった僕は、目の前にいる3人の視線を一気に集めると、目のやり場に困った。
夏稀と僕のやり取りを笑顔で見つめる晴希と優しく微笑んでいる亜紀。
「何だっけじゃねぇよ。草原さんは、何を頼むんだよ」
「えっ? あぁ注文か、じゃあスパゲティーでも頼……ん?」
バンッ……
僕の発言に怒りを露にした夏稀は、机に思いっ切り手をつくと、ジト目で顔を近付けて来て……
「俺らはお茶しに来たんだろ? 一人だけ飯食う気かよ」
「まあまあ、落ち着いてよナツ。直樹さんはきっと、お腹空いてるんだよ」
「だけど、今日は先生だって来てるんだからさ」
「ふふふっ……良かったら遠慮なさらずに、ご飯を頼んで下さい」
夏稀の怒りをまあまあと苦笑いで宥める晴希と、優しく許す亜紀。
僕は恥ずかしくなった……
自らが言った愚かな回答に……
「ははは……ごめん。やっぱりご飯はいいや……じゃあ、僕は紅茶にしようかな。今日は奢るから、良かったら皆、好きな飲み物を頼んでよ」
「ふん、まあ良いや。じゃあ、俺はコーラ」
直樹の奢りと言う言葉に、機嫌を良くした夏稀はコーラを選択した。
「晴希は何にするんだ?」
「私は、やっぱりローズヒップティーかな」
暫くの間、迷っていた晴希だったが結局、いつも飲んでいるローズヒップティーに決めた様だ。
「亜紀さんは?」
「私も良いんですか? ではカフェラテをお願いします」
少し遠慮がちに亜紀も飲み物を決めた様だ。注文を終えると、また三人の談笑を始まってしまったのだが……どうやら、今度は恋バナで盛り上がっているらしい。
再び、僕の沈黙の時間は続いてゆく……
「先生は指輪してないけど、まだ結婚してないのかよ」
「ふふふっ……中々、縁が無くてね。でも、好きな人はいるんだ」
亜紀は、コチラをチラッと見ると優しく微笑んだが、僕は反応出来ずにいた。
これは公開処刑……
僕は内心、焦っていた。
このまま全てをカミングアウトされたら……
晴希との恋愛も、亜紀との愛縁機縁も……
全てが終わってしまうと思ったから……
心配を他所に、三人の会話はドンドン弾んでゆき
、一段と盛り上がりをみせてゆく……
「えぇー良いなぁ。亜紀先生みたいに素敵な人と付き合えたら、絶対幸せだよ」
「そんな事、無いわよ。私なんて……それより二人はどうなの? 付き合ってる人とかいるの?」
照れ隠しなのか亜紀が二人の恋愛について尋ねると、夏稀が俯いて頬を赤くしているのが分かった。
何も言えない夏稀に代わり、晴希が嬉しそうな顔をすると……
「ふふふっ……ナツには素敵な彼氏がいるんだよ。体が大きくて、心強い人」
「ちょっと、ハルっ。俺達は、まだ付き合ってる訳じゃ……おっ、OKだってまだ返して無いし、アイツが勝手に言ってるだけで……って先生まで笑うなよ」
「ふふふっ……なんだか、とっても幸せそうね。晴希ちゃんの方はどうなの?」
亜紀の何気無い質問は、僕の背筋を凍らせた。全身からは汗が吹き出し、その顔には緊張が走った。
「私も先生と同じで好きな人はいるんだぁ。その人とは両想いなんだけど、全然、告白してくれなくて……」
すると、今度は晴希が僕を横目で見つめて来た……
この追い詰められた状況に、今にも逃げ出したかったが、ここで取り乱せば全てが水の泡。逸る気持ちを抑えながら、ただその場で気配を薄くしていると……
「お待たせしました」
ここで飲み物が運ばれて来た。僕に取って、このウエイトレスは、まさに救世主の様であり、女神の様にも思えた。
運ばれて来た飲み物を受け取ると僕は、まるでカジノディーラーの様に素早く振り分けた。
「ローズヒップは晴希だな。夏稀はコーラ、ラテは亜紀さんだったかな……確か自家製の蜂蜜を入れるんだったっけ」
「はい、これが美味しくて……直樹さんも入れてみますか」
「あっ……じゃあ、お願いしようかな」
そんな仲睦まじい僕の様子を見て、何か違和感を感じた夏稀がふと質問をして来た。
「あのさぁ……なんか先生と草原さんって知り合いみたいだけど、どういう関係なんだ?」
「ゴホッゴホッ……いや、その……あの……」
突然の質問に驚きを隠せなかった僕は、激しく動揺し、噎せてしまう。そんな様子を察してか、亜紀は落ち着いた様子で口を開くと……
「草原さんはご近所さんで、凄く良くして貰ってるのよ。この前もネックレスがバラけてしまった時に助けて貰って……」
それから亜紀は坦々と話を続けながら、二人を納得させてくれた……流石は現役の教師である。
――助かったよ、亜紀さん……
一時はどうなる事かと、ヒヤヒヤしていたが、亜紀の機転により、どうやら最悪の事態は免れる事が出来た様だ。九死に一生を得た僕は、亜紀に心から感謝していた。
それからは恋愛話からも遠ざかり、学校やバイトの話などで盛り上がっていった。
そして夕方になると、漸く一同は解散をする事になった。バイクへと跨がった夏稀は、晴希を後ろに乗せると……
「桐月先生、今日はありがとうございました」
「亜紀先生、また一緒にお茶しようね。直樹さんも、今日は御馳走様でした」
「うん、またいつでも誘ってね。相談事とかあったら何でも言ってくるのよ」
そう言い残すと、晴希達はバイクに乗って行ってしまった。亜紀と二人きりになった僕は、一昨日の事をキチンと謝罪する事にしたのだが……
「あのぉ……亜紀さん。一昨日は、その……」
「私の大切な教え子達を助けて下さって、ありがとうございます」
亜紀は僕の事を責める所か、深々と頭を下げ感謝の言葉を返して来た。分が悪くなった僕は、はぐらかす様に……
「いや、僕は大した事してないですから……」
「謙遜なんですね。そんな直樹さんが……あっ、いえいえ何でもないです」
何かを言い掛けた亜紀は、照れていたのか頬を赤く染めると、そのまま俯いてしまった。そんな亜紀を見て、僕の鼓動も早くなる。
その後、公園で分かれる事なったのだが結局、亜紀には晴希の事を伝える事が出来ず、もどかしい日々が続いてゆくのだった。




