2話 トランスルーセント
和訳『故意は盲目』
様子を黙って傍観している僕だったが、お目当ての物が見つかったのか女子高生は満面笑みを浮かべると、その何かを手渡して来た。
「あの……良かったら、これどうぞ」
「あっ、ありがとう」
手渡されたのは、ペットボトルのお水だった。
どうやら嘔吐してしまった僕を気遣って態々、出してくれた様だ。口の中が気持ちかった事もあり、有り難くお水を受け取ると、僕は道端でしゃがみながら、ペットボトルに口を付けた。
ゴクッ……ゴクッ……ゴクッ……
勢い良く水を飲んでいると女子高生が近付いて来て真横にしゃがみ、何故か両手に顎を乗せながら、僕の顔をジーっと見つめて来る。
――なっ……なんで、こんな近くに?
面白くも無い顔を、まるで好きな異性を見るように優しく見守っている女子高生の事が、気になって仕方なかった僕は……
「あの……僕の顔に、何かついてる?」
「いえ、何もついてないですけど……」
もしかしたら、顔に何か付いているんじゃ無いかと思って問い掛けてみたが、どうやら違うらしい。
――この女子高生、本当に気があったりして……
そんな淡い期待を胸に抱きながら、残りの水をゴクゴクと飲んでいると、女子高生は口元に手を当てながらクスりと笑うと、全く予想だにしていない事を口にしたのだった。
「ふふふっ……これって『間接キス』って言うんですよね?」
――間接……キス? つまり、このペットボトルには、女子高生も口を……
「ゴホッ、ゴホッ……ゴホッ……」
女子高生の柔らかそうな唇を想像した瞬間、動揺した僕は、壮大に噎せてしまい、鼻からは逆流した水が垂れ、みっともない姿を晒してしまった。
「だっ、大丈夫ですか? 私、そんなに驚くと思ってなくて……」
そんな僕の事を心配した女子高生は、慌てて駆け寄ると背中を擦ってくれたのだが……近い、距離が近過ぎる。
「でも、よく考えたらコップに移して飲んでたので、全然間接キスじゃ無かったですね……えへへっ」
「…………」
頭に軽く拳を当てた女子高生は、舌を出しながら笑って誤魔化したが、僕は気が気じゃなかった。
勿論、悪気があった訳じゃ無さそうだけど、このまま一緒にいたら、心臓がいくつあっても足りそうに無い。
これ以上関わるのは危険だと判断した僕は……
「お水、ありがとう。でも、こんな遅い時間に女の子が一人で出歩くのって危ない事だと思うんだよね。さっきも追われてたみたいだし、すぐに帰った方が……」
「…………」
僕が帰宅を促すと、女子高生は涙を浮かべながら無言で俯いてしまった……何か事情があるのだろうか?
浅はかな考えで一方的に帰宅を提案してしまった事に罪悪感を感じた僕は、取り敢えず理由だけでも聞き出そうと歩み寄ると……
「はぁあ? 行き止まりじゃねぇかよ」
突如、遠方から聞こえてくる怒りに満ちた怒声……それは先程の男達の声だった。
「あのゲロオヤジ騙しやがったな。探し出して八つ裂きにしてやるよ」
どうやら嘘がバレてしまい僕達を探し回っている様だ。僕の額からは止めどなく汗が流れ、背筋には強烈な寒気を感じた。
――すぐに逃げなきゃ、殺される……
一刻の猶予も許されない状況に、今すぐ逃げ出したかった僕だったが……
「お願いします、私を匿って下さい」
涙ながらに助けを求める女子高生を見て、僕の気持ちは揺れていた……
――うーん、仕方ないか……
「じゃあ、アイツらがいなくなるまで、ウチに来なよ」
「えっ?」
事態を重く受け止めた僕は直ぐ様、逃げ出そうと女子高生の手を引いたのだが……手を掴んだ瞬間、女子高生は頬を赤らめると、視線を横へと反らしてしまった。
そんな反応を見て、僕は……
「あわぁ……ごめん。これは、えっと……その……つまり……」
不可抗力とはいえ、女性と手を繋いでしまった事に驚きを隠せなかった僕は、慌てて手を離したのだが、女子高生は触れられた手を見つめながら……
――やっぱり、男性嫌悪症が出てない。この人が私の……
「(運命の人)」
女子高生はボソっと何かを呟くと、今度は上目遣いに僕の事を見つめ、服の袖を掴みながら……
「お願いします。私を連れて行って下さい」
「えっ?……あっ、はい」
女子校生が手を出すと戸惑いつつも手を繋ぎ、僕達は走り出した。走っている間も、何故か女子高生の視線が熱く、僕は目を合わせる事が出来なかった。
ザァー
小雨だった雨は次第に強さを増し、家に着く頃には、僕達は頭から水を被った様にずぶ濡れになってしまっていた。
― 自宅 ―
「結構濡れちゃったけど、寒くないか?」
「ふふふっ……大丈夫です。手……温かかったから……」
握っていた手を見つめながら嬉しそうに微笑む女子高生を見て、またしても僕はドキドキしてしまった。
「今、タオルとか出すから、そこで待ってて」
「ありがとうございます」
一人暮らしにしては割りと広い1DK間取り。最低限の家具しか置かれていないシンプルな部屋だったが、女子高生は興味津々と言った様子でじっくり見回していた。
「はい、これタオル。濡れた服は仕方無いからハンガーにでも掛けとくか。あと嫌じゃ無ければ、乾くまで僕のスエットでも……」
優しさから出したスエットだったが、女子高生の『濡れて透き通ったスクールシャツ』を見て……僕は言葉に詰まってしまった。
――略取、誘拐、監禁……
頭を過ぎるのは、未成年犯罪のニュースの数々……緊急事態だったとはいえ、見ず知らずの女子高生を部屋へ招き入れてしまったのは、かなり不味い事だろう。
近所の人にバレれば、噂になるだけじゃなくきっと警察沙汰にさえなってしまうかも知れない。そう思うと、僕も気が気じゃなかった。
――早いところ、帰らせなきゃな……
きっと、服が乾くのを待っていたら明日になってしまうだろう。出費は嵩んでしまうが着替えさせたら車で帰宅させようと、タクシー会社に連絡してみたのだったが……
「生憎、車は全て出払っておりまして……」
突然の雨でタクシーは出払っており、僕は結局、この女子高生と一緒に過ごす事を余儀なくされてしまった。
――疚しい事は、絶対にしない……
僕は強い心を持ちながら自分自身に誓いを立てると……雨が治まるまでの間、女子高生を家で匿う事に決めた。
すると……
「色々と、すみません。スカートと下着は予備があるので、上だけお借りしますね」
「えっ? あっ、ちょっと……」
「えっ?」
僕は、慌てて女子高生を引き止めた……何故なら今まさにシャツの胸元のボタンへ手を掛け、僕の目の前で服を脱ごうとしていたからだ。
「脱衣所あるから、そっちで……」
「えっ? あっ……ごめんなさい。脱衣所をお借りしますね」
女子高生は軽く笑いながら会釈をすると何事もなかった様に脱衣所へ入って行った。そんな様子をマジマジと見ていた僕は激しく動揺してしまい、先程立てた誓いなど、意図も容易くブレてしまっていた。
女子高生の生着替え……
疚しい事はしないと心に決めたのに……
僕の心の奥底では、静かに煩悩が膨らんでいた。
女子高生の生着替えなんて……きっと一生、御目に掛かる事はないだろう。だが、そんな事をしてしまえば、完全に犯罪者である。
この煩悩を退ける為にも、僕は別の事を考える事にしたのだが、視線がどうしても脱衣場の方へと向いてしまい、遠目で見ては逸らす様な事を繰り返していた。
激しい葛藤の中で目を閉じると、気持ちが落着いて来たかの様に感じたが……それはすぐに間違いだった事に気付いた。
これは魔が差したと言うのだろうか……目を見開いた僕の脳裏には、1つの光明が浮かび上がっていた。
着目したのは脱衣所の扉に付いている50cm四方の曇りガラス……ここから見えるシルエットならば直接見る訳じゃないし、きっと覗いても合法に違いないだろう。
タンスへ服を取りに行くフリをして近付けば、別に怪まれる事は無いはずだと勝手な解釈をしていた僕の顔は、疚しい表情へ変貌していた。
ドックン……ドックン……ドックン……
扉へと近付くにつれ……
加速してゆく鼓動……
ゴクリっ
この先へ広がるのは未知なる楽園……
身勝手な妄想だけがフワフワと膨らんでゆき、気付けば夢の扉のすぐ目の前まで来ていた。
「ふぃーーっ」
未だ出てくる気配の無い女子高生の動向を気にしながら、チラリと脱衣場の窓へ視線を伸ばすと……
※覗き見は、軽犯罪法1条23号(窃視の罪)に当たる可能性がありますので、御注意下さい。
※女子高生の男性嫌悪症ついては後に明かされますが、男性の体と接触してしまうとパニック障害を起こし、酷い鬱状態になってしまう様です。




