21話 トライアングルメア
和訳『悪夢の大三関係』
夏稀がアルバイト入りしてから数週間……
多少のイザコザは、あったものの……
『テメェ……さっきから何見てやがる』
『べっ……別に、僕はナツを見てなんて……』
『ちょっと二人共。お客さんの前でやめてよ』
いや、多少では無かった……
僕の脳裏に浮かんで来たのは……
夏稀の教育係としての苦労の日々……
『商品の在庫が切れちゃったから、一緒に倉庫へ取りに……』
『俺、パス。こんな暑い中、倉庫なんかに入ったら汗だくになるだろ? お前一人で行けよ』
『ああ……なんか喉乾いたなぁ。おい、ジュース買って来てくれよ。勿論、お前の奢りでな……』
『………………』
散々、コキ使われる始末……この男には、遠慮や配慮と言う言葉は無いのだろうか?
苦労な末、夏稀がバイトで独り立ちした頃、僕の下には一本の連絡が入っていた……どうやら母からの様だ。
「もしもし……母さん。突然、どうしたの?」
「今日はあんたに、良い知らせがあるんだよ」
いつもは早く定職につけだの、彼女もいないのかだの、説教ばかりしてくる母だが、今日は何故か上機嫌であった……いったい何かあったのだろう?
「良い知らせって?」
「実はね……」
話しを聞くと良い知らせとは『縁談』……つまり、お見合い話だった。
母の営む小料理屋の常連の娘さんが先日、この綿樫町に引っ越して来たらしく、一度会ってみないかとの誘いだったのだが……
「困るよ、母さん。今、僕には好きな子がいるんだからさ」
「えっ、そうなのかい? まあ、そう言わずにさ母さんの顔を立てるつもりで、一度会ってみるだけでもさ。食事代は出すからさ……お願い」
まあ、一度会うだけだし、奢って貰えるならと渋々承諾してしまう僕だったが……この選択が新たなる波瀾を生む事なろうとは、知る由も無かった。
日取りは決まっていなかったが、場所は3駅隣の真桜町にあるアーケードのお店らしい。
仕事が休みだった事もあり、僕は早速お店の下見へ行く事にしたのだったが……
― アーケード ―
「あっ……ここだな」
メイン通りから少し外れた場所にある、こぢんまりとした洋食屋『ベルベット』
シンプルな佇まい……
落ち着きのある配色……
気品溢れるアンティーク……
そして、美味しそうなメニューの数々に心を踊らせると、スッカリ気を良くした僕は、滅多に来る事の無い、このアーケードを散策してみる事にした。
暫く歩いていると、目の前に見覚えのある姿を発見する。あれは……晴希だ。
「おーい。晴ぅ……えっ?」
店から出て来たところで、声を掛けようとした所、その後ろからは……なんと夏稀が出てきた。
どうやら二人は買い物に出掛けていた様だが、手を繋ぎ楽しそうに話す姿は最早、恋人同士にしか見え無かった。
「…………」
まさかの事態に、パニックへと陥った僕は、まるで鯉の様に口をパクパクさせながら、黙って見ている事しか出来無かった。
信じてた晴希の……裏切り……
口では好きだと言っていた晴希も……
やはりイケメンが好きなのだろうか?
この恋愛も単なる遊びだったのかと思うと……胸が酷く痛んだ。沈んだ気持ちを紛らわせる様に、僕は遠回りして帰る事にしたのだが……
近所の公園に差し掛かった時に、道端で這いつくばる女性を見掛けた。
「あの、どうかされましたか?」
――こんな炎天下の日に何をしているのだろう?
僕は心配になって声を掛けると女性は、不安そうに眉を顰めながら……
「ネックレスが弾けてしまって……あと一つ、真珠が見つからないんです」
女性の事を不憫に思った僕は、時間にも余裕があったので一緒に真珠を探してあげる事にした。
ミーン……ミンミンミー……
灼熱の陽射し……
鳴り響く蝉達の合唱の中……
僕達は黙々と捜索をしていた。
30分が経過した頃、一旦休もうと声を掛けようとした時だった……
「あっ……あれ? 目が霞んで……」
虚ろな瞳……
顔を真っ赤にした女性は……
その場でフラフラと揺れていた。
「あっ、危ない」
間一髪の所で女性を受け止めた僕は、急いで救急車を呼ぼうとしたのだったが……
「お願いです、救急車は呼ばないで下さい。まだ、真珠が全部見つかってないの、本当に大切なネックレスなんです」
一向に引く気配の無い女性に対し、僕は心配そうな顔をしながらも……
「じゃあ、せめて公園で休みましょう。良かったら、僕の背中に乗って下さい」
「えっ? でっ、でも……あっ……」
僕は、戸惑う女性を背中に乗せながら、公園へ向う事にした。木陰のベンチに寝かせると、熱中症からなのか、恥ずかしさからだったのか……気付けば、女性の頬は夕焼けの様に真っ赤へと染まっていた。
僕は自販機まで駆け足で向かうと、買って来たスポーツドリンクを女性へと手渡した。
「お水より、こっちのが良いと思って……飲めますか?」
「ごっ……ご迷惑をお掛けしてすみません」
女性は申し訳無さそうに会釈すると、スポーツドリンクをごくごくと飲んでくれた。
「この暑い中、真珠を探して頂いだけでも申し訳無かったのに、倒れた私の介抱まで……なんとお詫びをしたら良いか」
「気にしないで下さい。僕が好きでやってる事ですから……本当に、大切なネックレスなんですね」
「はい。このネックレスは……父の形見なんです」
女性は弾けたネックレスを見つめては涙ぐんでいた。きっと相当の思い入れがあったに違いない……
「お父さんの形見なんですか……僕も幼い頃に父を亡くしてるので、少しだけ気持ちわかります。何時まででも付き合いますので、絶対に探しましょう」
僕の言葉に心を打たれた女性は、その場でポロポロと涙を溢し始めた。良く見ると女性は清楚で淑やかな美人だった。
ブラウン掛かったしなやな髪は、後ろで綺麗に結わえられ……その澄んだ瞳に見つめられると不思議と心が和らいだ。
近くで見つめていると、その雰囲気に飲まれそうになり、僕は慌てて視線を上へと反らしたのだが……髪の中に小さく煌めく光を見つけた。
「あのっ……ちょっとだけ動かないで貰っても良いですか?」
「えっ? あのっ……えっと……」
髪に触れると、心無しか女性の頬は赤みが増し、僕の顔を見つめ続けている様に見える。そして僕が煌きを手にすると……女性へ優しく手渡した。
「ありましたよ、真珠。いやぁ……見つかって本当に良かったです」
「あぁ、なんてお礼を言ったら……ありがとうごさいます。本当にありがとうございます」
女性は深々とお辞儀をすると、何度も何度もお礼を言って来たが、僕は気にしないで下さいと宥めていた。
それから木陰で世間話をしながら休んでいると、二人の間を涼やかな風が通った。
「あっ、あの」
「あのっ」
目と目が合った瞬間、同時に声を掛け合ってしまった僕達は、少しだけ気まずい空気になってしまった。結局、譲り合いの末、僕の方から話をする事になったのだが……
「気分はどうですか? たぶん軽い熱中症だと思うんですけど、酷いようなら病院を受診した方が……」
「ありがとうございます。暫く休ませて貰いましたので、もう大丈夫です。ご心配をお掛けして……きゃっ、虫っ」
なんと飛んできた蝉が、女性の髪を掠めるとブルブルと震えながら僕へと抱きついて来たのである。
ドックン……ドックン……ドックン……
そのフワっとした甘い香りに……
柔らかく、きめ細かな肌に……
僕の胸は激しく高鳴りを見せていた。
「あっ、すいません私ったら……」
「えっと……あっと、大丈夫です。ははは……」
一瞬、何が起きたのか分からず、戸惑いを隠せなかった僕に、女性はただ平謝りをしていたが、気にしないで下さいと身振り手振りをすると……
「私の……(ボソボソ)」
聞き覚えのある様なフレーズ……
女性が何かを囁いた瞬間蘇る……
あの日の晴希が言った、あの言葉……
『私の乙女を奪って下さい』
僕は恐れていた……
あの日と同じ展開になる事を……
そして……
「だだだっ、大丈夫です。それじゃあ僕は、これで失礼しますね」
その場に、いても立ってもいられなくなった僕は、そのまま走り去ってしまった。
後ろを振り向く事もせずに……
「良かったら、お名前だけでも……あぁ」
実際のところ、この女性は名前を名乗りたかっただけだったのだが、完全に勘違いをしていた僕は、逃げる様にして帰宅した。
家に着くと思い出すのは晴希と夏稀のデートの様子だった。
――辛い……こんな辛いのなら、もう恋なんて……
今までも晴希達は隠れてデートを繰り返していたのかと思うと……僕の頬には冷たい涙が流れた。
愛と絶望の狭間で、僕はどうしたら良いのか分からずに……ただ真っ白な天井を見上げては涙で枕を濡らしていた。




