1話 ソウルメイト
和訳『運命の人』
「私と付き合って下さい」
突如、目の前に現れた白いワンピース姿の美少女は、そのサラサラとした長い黒髪を靡かせると不敵な笑顔を浮かべながら、僕に告白して来た。
そして、徐に瞳を閉じると……
何かを待っている様に見えた。
――まさか……キス?
思わぬシチュエーション……
まるで夢の様な展開に戸惑いつつも、今を逃せばキスなんて一生出来ないだろうと思い、僕は震える手を抑えながら、彼女の体を優しく抱き寄せたのだったが……
「?」
――あれっ、意外とガッシリとした体だな?
これは着痩せなんて、レベルじゃ無い。
このズッシリと重みのある体は、まるでゴムタイヤの様だ。その見た目とのギャップに僕が違和感が拭えないでいると……
「何してやがる、この酔っ払いが……俺に男と抱き合う趣味は、ねぇんだよ」
「!?」
すると、今度は可愛らしかった美女の声が中年オヤジの渋声へと声色を変えてしまい……突如、世界が歪み始めた。
ボヤケてゆく視界……
次第に辺りへ光が立ち込めると……
目の前が急に明るくなり……
僕は……目を覚ました。
そこは、公園のベンチの上で……僕は目の前にいた警察官のおじさんを抱き締めていた。
「えっ? あの……どうして?」
「あのなぁ……」
慌てて手を放した僕は、頭を何度も下げながら平謝りした。辺りはすっかり暗くなっており、時計の針を見ると11時を回っている。
「全く、最近の若いのは……取り敢えず、君の名前と仕事を教えてくれ、あと帰る家はあるのか?」
僕の名前は『草原 直樹』今宵、30回目の誕生日を迎える冴えないフリーターだ。
この人生節目の日を一緒に祝ってくれる彼女などおらず、『彼女いない歴=年齢』を更新してしまった僕は、慣れないヤケ酒で酔い潰れてしまい、公園で寝ていたところ……警察官のおじさんに声を掛けられたらしい。
そして、これが生まれてから初めて受ける……『職務質問』だった。
――誕生日に職質とか、最悪だな……
すっかり意気消沈していた僕だったが、降り掛かる悲劇は、これで終わりではなかった。
警察官と別れると途端に緊張感が薄れてゆき、襲い掛かる激しい頭痛と吐き気。2軒……3軒とコンビニのトイレをハシゴして行くうちに味わう、深酒への後悔……
ビュゥー
4軒目のコンビニから出ると北風が吹いた……晩春にしては少し冷たいその風からは、スゥーっと鼻を擽る雨の匂いがした。
宵時雨……
ポツポツと落ちた雨粒が地面に斑模様を作ると僕の脳裏には『ずぶ濡れ』の四文字が浮かんでいた。
未だ治まらない嘔吐きと胃の不快感……
冷たい雨にまで晒されたのでは堪らないと僕は夢中で走り出したのだが、薄暗い路地へと差し掛かった時だった……
「うわぁ」
「きゃー」
ドサッ……ドサッ……
なんと交差点で誰かとぶつかりそうになり、僕は体勢を崩し倒れてしまう。尻餅をついた僕のズボンは、忽ちに雨を吸って重く冷たくなって行った。
「すっ、すみません。僕が、ぼーっとしてたから……お怪我は、無いですか?」
「はぁはぁ……大丈夫です。私の方こそ急いでて、すみません。えっ……どうして?」
――私、触れられてるのに……
背中合わせに倒れていたので姿は見えなかったが、重り合った掌とその声から倒れたのが若い女性だと言う事だけは分かった。
僕が女性の方へ振り返ろうとすると……
「あの女、どこに行きやがった」
遠方から激しく怒鳴る男の声が聞こえる。女性はサッと物陰へ隠れると腕だけ出しながら……
「私、追われてて、その……そっちの道に行ったって言って貰えませんか?」
「えっ? あっ……はい」
状況は飲み込めなかったが、焦っている様子の女性を察して、僕は協力する事にしたのだったが……
「!!」
振り返るとすぐ後ろには、紫色のスーツを着たチンピラ風の二人組が迫っていた。短髪パンチパーマの男達は、僕へ詰め寄ると胸ぐらを掴み上げながら、鋭く睨み付け……
「おい、オッサン。今、ココに女が逃げ込んできたよな? どっちに行ったか教えろや」
「……………」
男達の表情には鬼気迫る物があり、あまりの気迫に目を合せる事すら出来ず、僕は視線を横へと逸らす事で精一杯の抵抗をしていたのだが……
「テメェ……知らばっくれる気か?」
明かに住む世界の違う人間……
その鋭い眼光に晒されると僕の額からは汗なのか、雨なのかも分からない程の水滴がタラタラと落ちていた。
「…………」
――これ以上、こんな奴らに関わったら……
本当は、今すぐにでも逃げ出したかった……
こんな事に巻き込まれるのは、ご免だった……
それでも留まっていれたのは、追われている若い女性を思っての事だった。僕は一欠片の勇気を振り絞って、震える指で女性のいない方の道を指し示すと……
「本当だろうな? もし嘘だったら、ただじゃ置かねぉからな」
男達は、更に目を尖らせながら掴んだ胸を引き上げると、於曾ましい程の重圧を僕に対して掛けて来た……
――無事に帰れます様に、無事に帰れます様に……
シャツの首元が千切れそうな程、強く掴まれていると……僕の体には、ある異変が起きた。
目は虚ろ、青ざめてゆく顔には最早、生気は通っておらず、口からはダラしなくヨダレが滴り落ち……
「おえぇぇ……うえぇぇ……」
なんと僕は、嘔吐してしまった……
泥酔による吐き気に加え、頸部圧迫による締付け、男達が与える激しいプレッシャーに多大なストレスを感じていた僕は、ついに堪える事が出来ず、限界を迎えてしまったのだ。
目を背けたくなる悲惨な光景に……
今にも逃げ出したくなる様な悪臭に……
男達は内心、焦っている様に見えた。
「うわっ、マジかよ。コイツ、いきなり吐きやがったぞ」
「このスーツ、新調したばっかなんだから勘弁しろよ。もう良い……行くぞ」
その場から逃げるように立ち去る男達を見て安心した僕は、クタクタと力なく崩れ落ちてしまった。
「はぁ……」
男達の姿が見えなくなると、隠れて様子を覗っていた女性が、スッと僕の前に現れ……
「先程は、危ない所を助けて頂きありがとうございました。あのぅ……大丈夫でしたか?」
「だっ、大丈夫です。お見苦しい所を……えっ?」
目が合った瞬間……
僕の世界は、時を止めた。
整った紺色ブレザーに黒と紺のチェック柄のミニスカート、深紅のネクタイ……そこにいたのは、可愛らしい『女子高生』だった。
肩の丈まであるサラサラの黒いセミロングヘヤーは、薄暗い外灯の中で雨露に濡れ、優しい光を放ち、その白く透き通ったきめ肌は絹の様なしなやかさと繊細さを際立たせている。
その吸い込まれそうな大きな瞳に見つめられると、僕の鼓動は嘗て無い程に高鳴ってゆき……
ドックン……ドックン……
気付けば落雷にも似た衝撃に、息を吐くのも忘れる程、僕は完全に彼女の虜になっていた。
――これが、一目惚れって奴なのか?
恋愛経験に乏しい僕に取っては初めての感情……この灼熱と化した想いは、一気に燃え上がると心までも支配されてゆく様であった。
――思い切って、声を掛けてみようかな?
自分から女性に声を掛けるなんて、普段なら絶対に出来ない事だったが、この時ばかりは興奮していた事も相まって、いつもよりも積極的になれる自分がいた。
とは言え、何を話したら良いのかも分からずに頭を悩ませていると……
ポツリ……
「うわっ……冷たっ」
外灯の笠から落ちた雨粒が僕の顔面へと直撃した。振り掛かった水を必死で払う様子を見て、女子高生はクスクスと笑うと白いハンカチを手渡しながら……
「ふふふっ……良かったら、これ使って下さい」
「あっ……ありがとう」
手渡されたハンカチで顔に掛かった雨水を拭き取ると、僕の心も次第に平常に戻ってゆく……
――確かに、可愛いけど……
この子は女子高生の中でも、きっと上澄みだろう……それは今まで出会った、どの女性と比べても、飛び抜けて可愛いかったからだ。
だが冷静になって考え直してみれば、相手は女子高生……こんな未成年の子に手を出せば、問題になる事は容易に想像がついた。
そもそも、こんな三十路の泥酔男など論外、きっと相手にもされないだろう。
現実を見つめ直し肩を落とした僕は、高鳴る気持ちもお酒のせいだったのだろうと自らに言い聞かせ、心を落ち着かせる様に溜息を吐いていると……
「あっ、そうだ」
苦悩する僕を他所に、何かを思い出した様に女子高生は、持っていたスクールバックを漁り出すと……




