18話 サマーバレンタイン
和訳『二人を繋ぐ鵲橋』
夏……梅雨明けと共に、焼ける様な日射しと青々とした空が広がる一年で最も暑い季節。
この一片の曇も無い空とは対照的に、僕の心の中は分厚い雲で覆われたままだった。
「はぁ……晴希と話がしたいな」
それからも晴希の写真を見ては、溜め息を吐く……そんな、もどかしい日々が何日も続いていた。
― ミカゲマート ―
再び晴希とシフトが重なったのだが、相変わらず夏稀の舎弟が僕達の前で待ち構えており、世間話すらまともに出来無い状態であった。
――もう限界だよ……
そんな僕を見て、晴希は軽く微笑むと……
「直樹さん。私、休憩に行ってきます。レジの引出しに何か引っ掛かっちゃったみたいなので、直して貰っても良いですか?」
「ん? ああ……わかった。今はお客さんも少ないし、見とくよ」
そのまま休憩へと出て行ってしまう晴希。
僕がレジを直そうと、引出しを開けてみたが、晴希が言う様に何かが引っ掛かっている様子は無い……すると奥の方に一枚の付箋が置かれているのに気付いた。
――これは、晴希からのメッセージか?
夏稀の舎弟に気付かれ無いように僕は、付箋をポケットに忍ばせると自分のレジへと戻った。
休憩から戻って来た晴希がレジを確認すると、付箋が無くなっている事に気付き、僕に向かって満面の笑みを振り撒きながら……
「あっ、直ってる。ありがとうございました、今度は直樹さんが休憩に行ってきて下さいね」
休憩中、僕が真っ先に向かったのはトイレの個室だった。夏稀の舎弟も流石にトイレまでは追って来れないからだ。
僕が付箋を確認すると、そこには……
【明日、19時に楠木駅にあるパン屋『ル・シエル』へ来て下さい】
どうやら、これは晴希から誘いであったが、少し違和感があった。
――こんな時間に、パン屋?
ただの待ち合わせ場所なのか、何か意図があるのかは分からなかったが思い返してみると明日のシフトだと、晴希は出勤だったはずなのだ……
謎は多かったが、晴希からの誘いに僕は胸を踊らせていた。
― 翌日 ―
夕涼みの頃、待ち合わせ場所へ向かうと日は落ちて、辺りはすっかり暗くなっていた。
当然、パン屋も閉まっていたのだが、約束の時間になると、暗がりからひょっこりと晴希が顔を覗かせ声を掛けて来た。
「あっ……直樹さん、こっちですよ」
「えっ? あっ……あぁ」
― 非常階段 ―
パン屋のあるビルの非常階段を馴れた様子で上がってゆく晴希だったが、僕には心配な事があった。
「なあ晴希。ココって私有地だろ? 勝手に入っちゃマズいんじゃないのか?」
「大丈夫です。ちゃんと許可は取ってますから……ほら鍵も借りて来てますし」
「許可を取ってるなら……良いけどさ」
得意気に鍵を見せつけて来た晴希だったが、僕は、どうにも腑に落ちず、不安を拭えずにいた。
屋上まで上がった先には……
二つの椅子が用意されていた。
「ふふふっ……ココは私に取って特別な場所なんだ。毎年この日になると、屋上の鍵を貸して貰うの。ほらっ……もうすぐ始まるよ」
「えっ? いったい何が始ま……」
ドーン……ドンドン……ドーン……
僕の言葉を遮る様にして遠方で、何かが破裂する様な大きな音がした。空を見上げると光の花が、綺麗に咲き乱れている。
この町では毎年七夕に花火大会が開かれており、ココはベストスポットなんだとか……何でも晴希は、夏稀達を欺く為にこっそりとシフトを入れ替えていたらしい。
特等席から見る花火は……
美しくも、儚くて……
今の僕達の心を投影してるかの様だった。
離ればなれとなってしまった織姫と彦星は、年に一度……七夕の夜にだけ会うこと許されていたと言う。
そして、募る想いを胸に愛を育むのだと……
僕達もまた、今日この日に互いの想いを胸に愛を育むのだろう。夜空を見上げながら僕達は、自然と手を繋いでいた。
握り合う手の温かさ……
優しい鼓動……
その全てが僕を熱く焦がしてゆく……
花火が終わってからも、僕達は手を繋ぎながら、互いを見つめ合っていた……最早、言葉は要らなかった。
深まる愛の絆……その想いは天ノ川さえも越えて、僕達の恋を紡いでゆくのだろう。
「あのね、私……ナツの事を説得してみようと思ってるの。直樹さんと一緒になりたいからさ」
暫くの沈黙の後、晴希が自身の決意を打ち明けると僕も寄り添う様に……
「僕も晴希の事が好きだよ。だから夏稀に何かされても、もう絶対に屈しない。もし和解出来たら、その時は正式的に、お付き合いを……おわっ」
話の途中で、感情を抑えきれなくなった晴希が突然、僕の胸へと抱き付いて来た。その瞳から溢れ落ちた涙は、まるで星屑の様にキラキラと輝いていた。
「私、嬉しいよ。直樹さんが私の事をこんなにも想ってくれてたなんて……うぅぅ……」
晴希の中でずっと押さえ付けられていた感情が爆発した瞬間だった。そんな晴希の想いを汲んで僕も優しく抱き締め返した……
――晴希の為にも、僕は夏稀と戦わなきゃ……
もう晴希を好きになった事を後悔はしない……決意を胸に刻み込んだ僕は、この満天の星に誓った。
― ミカゲマート ―
晴希がアルバイトに来ていない事を知った夏稀は、鬼の形相で辺りを捜索していた。
「ハルの奴、いったい何処に行きやがった。クソッ……自分の体の事、分かってんのか?」
ブォオオオーン……ブォオオオーン……
アクセルを力いっぱい開きながら走り回っている夏稀……すっかり日の暮れた町にはバイクの排気音だけが、高らかに響き渡っていた。
― 非常階段 ―
階段をピョンピョンと降りる晴希だったが突然、踊り場で立ち止まると、壁に向かって手を伸ばした。
「どうしたの。急に止まって?」
「あっ、これですよ。これ」
晴希が指を差した先には古ぼけた小さな黒板だった。踊り場の窪みにひっそりと釣り下がっている黒板は何とも言えない不気味さを醸し出しており……
「何これ……呪いの黒板?」
「違いますよ。これは『短冊板』と言って……」
短冊板とは短冊の変わりの願い事を書く黒板の様だ。何でも、七夕の夜にチョークで願い事を書き、一年間消されずに残っていると願いが成就するらしいが……所謂ジンクスである。
こう言った迷信などは、あまり信用していない僕だったが、黒板の裏側を見て驚愕する事となる。
【次の誕生日までに、運命の人と出会えます様に……春日野 晴希】
黒板の最後の方は擦れていて読むことが出来なかったが、確かにこれは晴希の願い事だった。
しかも、これってつまり……
「ふふふっ……去年、私が書いた願い事なんだ。ちゃんと願いは叶ったでしょ?」
こんな嬉しそうに笑う晴希を見るのは一体、いつ以来だろう。この笑顔を守る為にも、夏稀との和解を改めて決意したのだが、思い耽っているうちに、晴希が何かを黒板に書き込んでいる様だった。
「私の願い事は裏側に書いたから、直樹さんは表に書いて下さいね。あっ、私のは見ちゃ駄目ですよ。ちょっと恥ずかしいから……」
恥ずかしがる晴希の顔も少し見てみたい気もしたが、ここは忠告通り見るのを我慢して、自分の願い事を書き込む事にした。
【晴希と付き合う事が出来ますように 草原 直樹】
ストレートなお願いだったかも知れないけど、今はそんな事、気にならなかった。
晴希に取って……
僕が運命な人だった様に……
僕に取っても……
晴希は運命の人だったんだから……
「絶対に叶えようね……この願い事」
そんな僕の願い事を目の当たりにして晴希は、僕の両手を握り締めながら喜んでいた。
「あっ、折角なので記念撮影しましょうよ『二人の七夕記念』……って私のスマホはナツに取られちゃってるから直樹さんので、お願い出来ますか?」
カシャ……
こうしてまた一つ、晴希との思い出が増えた。
晴希と一緒に見た綺麗な花火……
それぞれの想いを綴った短冊板……
僕に取って、今日の七夕は忘れられない思い出となった。




