17話 フロッグスコール
和訳『雨日和の恋人』
梅雨、シトシトと降り注ぐ雨と、ジメジメとした蒸し暑さ際立つ春から夏へと向かう季節。一般的には一年で最も敬遠されがちな季節ではあるが……今の僕達に取っては、最上の季節だった。
雨の日だけの恋人……
僕達に取ってこの雨は……
愛を育む恵み雨だった。
いつもなら嫌な梅雨時期も、この時だけはいつまでも続けば良いのにと……願い続けていた。
「あのさぁ、晴希……」
「はい、何ですか?」
「あっ、いや……何でもない……」
額に汗を滲ませながら、その場で立ち尽くしてしまう僕……決意はした物のいざ告白となると、どうしても踏み留まってしまう。そんな僕の姿を見て、晴希は茶化すでもなく手を後ろで組みながら、その瞬間をジッと待ってくれていた。
話は一向に進まず、もどかしい日々だけが続いてゆく……そして、6月も終盤になると僕は途端に焦り出した。
梅雨が、二人だけの時間が終わってしまうからだ。次のシフトが重なるのは明後日。
僕はこの日に、晴希へ告白する事を決めたのだが、ここでも僕達は運命によって激しく揺さぶられる事となる。
― 台風12号接近 ―
くしくもこの日は台風の影響で激しい暴風雨が巻き起こっていた。スーパーの営業も早々に取り止め、帰宅を余儀なくされてしまった。
激しい雨の中を歩き、やっとの思いで駅へと辿り着いた僕達だったが、改札口には運転見合わせの看板が立っていた。
どうやら電車の復旧までには、暫く時間がかかるらしい……
「良かったら、お茶でもして行かないか? 僕が奢るからさ」
「はい、良いんですか?」
僕がお茶へ誘うと晴希は笑顔を取り戻し、嬉しそうに抱き付いて来た。
― 駅前のファミレス ―
ビショビショになったレインコートを脱ぎ、席へ腰掛けると、勇気が出ず告白出来ない自分への当て付けを台風にぶつけた。
「ったく、酷い雨だよな。傘もさせないしさ」
「ふふふっ……直樹さんが言う通りレインコート着て来て正解でしたね」
一方、晴希はというと、僕からの誘いが余程嬉しかったのかテーブルへと肘をつき、両手に顔乗せながらニコニコとしていた。
「晴希は雨……好きか?」
――何故、僕はこんな質問をしたんだろう?
今日は晴希へ告白するって決めたはずなのに……もっと他にも言う事があったんじゃ無いかと自身を責めながらも、僕は中々踏み出せずにいた。
そんな僕の顔を見て、晴希は優しく微笑むとジーっと見つめながら……
「私は……雨、好きだよ。雨が降るとね……思い出すんだ。直樹さんとの出会いの事を……」
「ははは……それってあんまり良い思い出じゃないでしょ? 僕は泥酔してたし」
すっかり悲観的になっていた僕は、消極的な態度を見せていたが、晴希は頬を赤らめると少し照れくさそうに……
「ふふふっ……そうでもないよ。私はね……あの日、私の手を引いてくれた直樹さんに恋をしたの。だから……」
晴希の真剣な眼差しに……
漸く僕も決心する事が出来た。
幸せに出来るかは分からないけど……
もう自分の気持ちに嘘をつきたくなかった……
「僕、やっぱり晴希の事が好きだ。色々と悩んだけど、この気持ちは変わらない。こんな僕で良ければ、付き合っ……ん?」
まさに晴希へ告白しようとした瞬間だった。黒Tシャツ、ジーンズ姿の男に胸ぐらを掴まれると、僕はそのまま席を立たされてしまう。
目の前にいたのは……なんと、夏稀であった。
「テメェ……よくもハルに手を出しやがったな。この落とし前、どうつけてくれるんだよ」
「…………」
鬼の形相で睨みつける夏稀に対して、僕は立ち尽くす事しか出来なかった。
「ナツ止めて。直樹さんは、私の……」
「ハルは黙ってろ。俺は今、コイツに聞いてんだよ。何とか言ったらどうなんだ、この木偶の坊が……」
怒りを露にした夏稀は僕に食って掛かって来たが、ココで逃げる訳には行かなかった。
晴希と真っ直ぐと向き合う為にも……
「晴希が誰と付き合おうと勝手だろ? どうして邪魔をするんだよ」
「俺は、テメェみたいな害虫が目障りで仕方無ぇんだよ。ハルの事を何にも知らねぇ癖に……俺の言う事が聞けないなら消すまでだ」
そう言うと夏稀は、僕の右頬を目掛けて思いっきり殴り掛って来た。
殴られた瞬間、頭や顎に凄まじい衝撃が走ると、一瞬だけ視界が歪み、気付いたら僕は床へと倒れ込んでいた。頬は火傷した様に熱くなり、鼻からは血が垂れている。
「行くぞハル、こんな奴の言う事を間に受けてんじゃねぇよ。これ以上、ハルに付き纏うんなら二度と歩けない体にしてやるからな」
騒然となった店内……
最早、誰も夏稀の暴挙を止められず……
晴希の手を引いて店から出ようとした時……
「待ってくれ……」
夏稀の言葉に成す術の無い晴希は、僕を救いたい一心で出て行こうとしていたのだが、再び立ち上がった僕は夏稀の肩を掴んで離さなかった。
「僕には……晴希が必要なんだ……」
先ほど殴られた影響なのか、頭が重く……体にも震えて力が入らない。頬は赤紫色に腫れ上がり、鼻から垂れた血で着ていたシャツを真っ赤に染っていた。
そんな僕を見て、気分を害したのか夏稀は……
「気安く触るんじゃねぇよ。この雑魚が……」
再び殴られてしまった僕だったが、それでもフラフラとしながら何度も立ち上がった。ここで引いたら二度と晴希に、告白する事は出来ないと思ったから……
殴られる度に体が軋み、意識が朦朧となる。口の中を切ってしまったのか、口内には血の嫌な味だけが広がっていた。
幾度となく立ち上がる僕に苛立ちを隠せない夏稀の拳は徐々に激しさを増し、体へめり込む度に骨の軋む様な鈍い音を響かせ、辺りには血が飛び散っていた。
「てっ……テメェいい加減にしろよ。本当に病院送りにされてぇのか?」
「ナツやめて、これ以上殴ったら直樹さんが死んじゃうよ……ねぇってば」
「ぼっ、僕はそれでも、晴希の事が……」
薄れゆく意識の中、僕が見たのは目に涙を浮かべながら、今にも泣き出しそうな晴希と口角を引き上げながら勝ち誇った夏稀の背中だった。
「直樹さーーん!!」
「サッサと行くぞ、ハル」
ピーポー……ピーポー……ピーポー……
― 病院 ―
僕が目を覚ますと病院のベットの上だった。
――いったい、どれくらい寝ていたんだろう。
起き上がると全身に鈍い痛みが走った。どうやら夏稀の暴行により、僕は失神してしまった様だ。
見た目こそ派手にやられてはいたが、骨折や内臓破裂など大きな怪我は無く、簡単な検査が終わるとすぐに退院する事が出来た。
病院から出ると直ぐ様、晴希へとLINKでメッセージを送ってみたが、一向に既読にはならなかった。
― 自宅 ―
スマホがダメならと、僕はパソコンを立ち上げ、ゲーム内でのコンタクトを試みたのだが……
【只今緊急メンテナンス中】
――何で、こんな時に……
最早、万事休すであった。完全に晴希との連絡手段を失ってしまった僕は、途方に暮れるしか無かった。
数日が経過し、晴希とシフトが重なった日の事……
バイト中は晴希とは会う事が出来たのだが、ここでも夏稀の舎弟が目を光らせており迂闊に近付く事すら出来無いでいた。
一度は近付いた僕達の距離は、夏稀と言う暴風雨によって、その行く手を阻まれてしまった。
愛し合いながらも遠ざかる僕達は、まるでおとぎ話に出てくる織姫と彦星の様で、切なさと虚しさだけを残しながら……ただ無言で見つめ合うのだった。




