16話 アイラブレラ
和訳『愛合い傘』
夏稀が『俺の女宣言』をしたあの日から不良グループが晴希のレジに集中する事は無くなったが、僕は不安を募らせ続けていた。
その元凶は、勿論……夏稀の存在である。
あの日から晴希のアルバイトの日には必ず現れ、バイクで迎えに来ていた。そんな夏稀に対して、僕は酷く憤りを感じていた。
「晴希、君の心には、もう僕は……」
孤独な夜に、一人潰されてしまいそうだった僕は、疑心暗鬼に駆られると晴希に対する疑念ばかりが頭を過った。
今頃、二人は愛を育んでいるのでは無いのか?
僕に対する恋心は、単なる遊びだったのか?
晴希の事を想えば想う程に、浮かび上がる疑念と後悔。夏稀と結ばれた方が幸せなのは分かっていても、僕はどうしても晴希の事が諦めきれなかった。
張り裂けそうな想いと向かい合いながら、今日もズタズタに壊れてしまいそうな僕の心。ギスギスとした鈍い痛みに必死に堪え続ける日々だけが続いてゆく……
「直樹さん、あの……」
「もう僕の事は、もう気にしないで良いからさ」
アルバイトが終わると申し訳なさそうな顔をしながら声を掛けてくる晴希に、僕もまた素っ気ない態度で返してしまう。
晴希の本当の気持ちも分からないまま……
― 6月初旬 ―
気が付けば晴希がアルバイトに加わってから1ヶ月以上が経過していた。この日は生憎の空模様……梅雨時期にしては珍しく、ひんやりと冷たい雨がシトシトと降り注いでいた。
僕が晴希と同じシフトに入ると、この日も当然、閉店後には夏稀が迎えに来るものだと思っていたのだが……
「今日は雨だから、ナツは来ないよ」
「えっ?」
晴希の言葉に目を見開きながら驚く僕だったが、心の中ではずっと、この瞬間を待ち詫びていた。
やっと晴希と二人で会話が出来るのだから……
ビューー
「きゃっ!!私の傘が……」
突風に煽られ晴希の傘が壊れてしまうと、僕は晴希に優しく傘を差し出し……
「良かったら、一緒に入ってくか?」
「うん」
晴希は笑顔で傘の中へと入ると、僕の方へと体を寄せた。一つの傘の中で寄り添いながら歩く僕達……その心は、少しずつ温かさを取り戻してゆく様だった。
そして、暗い路地へ差し掛かると……
「あのぅ」
「あのさぁ」
気付くと僕達は、同時に声を掛け合っていた……
きっと晴希も何か伝えたい事があったのだろう。互いに話を譲り合う形となったが結局、僕の方から先に話をする事となった。
「僕は晴希の迷惑になってないかな? 一度好きだって言ってしまったが為に、他の恋愛に踏み込めないとか。もし、そうなら僕の事なんてホッといて……」
本音を言えば、夏稀の事をどう思っているのか聞きたかったけど晴希の心情を考えると、僕は強く出る事が出来なかった。
すると、晴希の方も何かを決心した様な強い眼差しで僕を見つめると、目に涙を浮かべながら自身の胸の内を話し始めた。
「そんな事無いよ。私はずっと直樹さんの事が好きだもん。私から好きになったのに……ずっと寂しい思いをさせちゃって、ごめんね」
「晴希……」
「でも仕方が無かったの……グスッ。私が直樹さんに恋してるって事がバレれたら、きっと直樹さんはナツに壊されちゃうから……グスッ……だから……ううぅぅ……」
晴希は、夏稀に夢中になっていた訳でも僕を嫌いになった訳でも無かった。晴希もまた僕の事を想いながら悩んでいたのだ、自身の気持ちを隠しながら……
晴希の想いを受け取った僕は傘を握っていない方の手をそっと肩に乗せると優しく抱き寄せた。
寄り添う二人……
その想いは強かな雨音により隠され……
秘密に愛を育くんでゆく……
晴希が笑うと僕も不思議と笑顔になり、ずっと冷たかった心にも暖かな風が流れ込んでくる様であった。
――このまま、雨が止まなければ良いのに……
降り続ける雨に祈りを捧げながらも、この幸せ時を僕は感じずにはいられなかった。
そして、駅へと到着すると……
「私、まだ直樹さんと一緒にいたいよ。明日は学校もお休みだし、お泊りしても良いですよね?」
「ダーーメ。まだ、付き合ってもいない男女が一つの屋根の下で過ごすなんて……」
別れを惜しんだ晴希が僕の家に泊りたいと言い出したのだ。当然、僕は断ったのだったが……
「直樹さんのイジワル。もう両想いなんだし、良いじゃないですか?」
「えっ? いや、それは……でもダメだよ」
猛アピールする晴希は、頬を膨らませながらそれでも詰め寄って来たのだが、僕が必至の説得の甲斐あって、渋々帰る事にしたうくれた。
「あぁ……直樹さんの家へ遊びに行きたかったなぁ。なんてね……この傘、借りちゃって良いんですか? 直樹さん、濡れちゃいますよ」
「僕は家まで近いし、大丈夫。晴希の方こそ気を付けて帰るんだぞ」
「うん、ありがとう。私、やっぱり直樹さんの事が大好き」
別れ際に両手を体へと回しながら抱きついてくる晴希だったがここは駅前……制服姿の晴希と抱き合うには周りの人の目が痛かった。
知り合いが見ていなければと、願いつつも晴希と触れ合える限られた幸せを、僕は全身で感じとっていた。
晴希を見送った僕は、家まで走った……
いつもよりも軽快な足取りで……
駆けるスピードも不思議と速く感じていた。
降り注ぐ雨を物ともせず、力強く駆けてゆく僕の心は空を覆い尽くすこの雲とは対照的に、青く澄み渡っていた。
――本当に、僕なんかで良いのか?
心の蟠りが取れた僕に最早、迷いは無かった。だが僕達にはまだ越えなきゃならない壁がある。
そう、夏稀と言う名の大きな壁が……




