15話 ウィッシュスター
和訳『願い星』
道端の小石を蹴りながら、僕はトボトボと家へ向かって歩いている時も頭に過ったのは、バイク男のあの言葉だった……
『もし少しでもハルに気があるなら今すぐ諦めろ。お前にハルと付き合う資格は無い』
確かに晴希の事を思えば、あの男の言った事は的を射ていたのかも知れない。こんな三十路フリーターの僕と付き合っても、きっと幸せにする事は出来ないからだ。
少なくとも同年代である、あのイケメンと結ばれた方が幸せなのだと、僕は勝手に決めつけると酷く落ち込んだ気分になったのだが……晴希への想いが捨てきれず、僕の苦悩は続いていた。
― 自宅 ―
スマホを片手にベッドで横になっていた僕は、画面に写る晴希の顔見ては酷く沈んだ気持ちになり、悲しみが胸へと押し寄せる度に、目からはポロポロと涙が溢れ、押し潰される様な思いだった……
――今までも、こんなの何度も味わって来たじゃないか。
晴希との出会いは、きっと神様の手違いで僕を期待させる為の罠だったのだと考えると妙に納得してしまい、悲観的になっていると……
チャラチャラン……
突如、スマホが鳴り響いた。
どうやら晴希からLINKが送られて来たようだ。
晴希【今日はごめんなさい】
晴希【送ってくれたのに】
晴希【先に帰ってしまって】
直樹【気にしないでよ】
直樹【知り合いなんだろ?】
直樹【良かったじゃん】
僕は嘘をついていた……本当は晴希と一緒に帰りたかったし、あのナツと言う男の存在が気掛かりで仕方が無かった。
晴希【夏稀は、私の幼馴染みなんだ】
晴希【中学の時に遠くへ引っ越しちゃって】
あの男は『夏稀』と名前らしく、何でも晴希の幼馴染みだったらしい。あの様子だと晴希に気があった事は明白だろう。
ルックスに、男らしさと……
頼もしさまで備わったイケメン……
僕が持っていない物を、夏稀は全て持っていた。勝てる見込みなど、最初から1%も無かったのだ。
深い絶望と空虚感に苛まれた僕は、自身の気持ちと裏腹に何故か心にも無い事を言ってしまう。
直樹【再会出来て良かったな】
直樹【格好良いし、モテそうだよな】
晴希【モテモテだったんだよ】
晴希【クールだけど、根は優しくて】
晴希【私はいつも助けられてばかりだった】
この時、僕は確信した……
晴希は、夏稀の事が好きだったのだと……
そんな憧れだった人が帰って来たのだ。晴希が夢中になるのも無理は無いのかも知れない。
ここは潔く引くべきだ……
頭では分かっていても、僕の心は激しく反発して中々割りきれないでいた。そして、僕の心の蟠りを取り除く為にも、一縷の望みを賭けて晴希に質問をしてみる事にしたのだが……
直樹【あんな格好良いなら】
直樹【恋人とかもいるんだろ?】
話の流れからして、この質問にはかなり違和感があったが、安心を得る事に必死だった僕は、藁をも掴む思いで聞いてしまったのだ。
もし、この質問の答えが『No』だったなら僕の望みは潰えて、忽ち絶望へと変わるだろう。
僕は祈っていた……
夏稀に恋人がいる事を……
そして、運命の回答は……
晴希【恋人はいないらしいよ】
晴希【絶賛募集中だって】
晴希【直樹さんも気になってるんですか?】
――想像しうる、最悪な展開だった……
彼女がいないだけなら未だしも、恋人募集中。ただでさえ晴希が好意を持っている相手な訳だし、陥落するのは時間の問題だった。
ただならぬ不安を感じながらも、僕は未だに自分の気持ちへ正直になれないでいた。
直樹【格好良いからモテそうだと思って】
本当は気になって仕方なかったはずなのに僕は、これ以上質問をする事が出来なかった。
晴希【うん、ありがとう】
晴希【明日からもバイト宜しくお願いします】
直樹【うん、宜しく】
いつもと比べると、あまりにも素っ気無い晴希のメッセージに不安だけが少しずつ積み重なってゆく……
「これで僕の初恋は終わりなのか? いやまだ晴希に振られた訳じゃ……でも、きっと……」
晴希の目にはもう僕の姿は写っていないのだろうか……耐え難い不安により、僕は胸が締め付けられる思いだった。苛立ちから中々寝付けず、目が覚めても見えない不安からモヤモヤとしてしまう。
大好きなゲームで気を紛らわせようとしても……
「あぁ、ダメだ。こんなんじゃ全然、気なんて紛れないよ」
僕の心を蝕んでゆく……
先行きの見えない不安……
つい先日までは『想いを口にすれば手が届く』そんな距離にいた晴希が、急に遠ざかってしまった様に感じていた。
「はぁ……」
気付くと僕は、スマホの中の晴希を見ては、溜め息ばかりを吐いていた。
― ミカゲマート ―
アルバイトへ向かう僕だったが、その心境は複雑だった。それは今日のシフトが晴希と一緒だったからだ。
話したい事は山程あったが、勤務中に私語は厳禁、帰り道で想いの内を聞いてみようと、決意を固めた僕の手には不思議と力が漲っていた。
「こんにちは、直樹さん。今日も一緒に遅番だね。宜しくお願いします」
「あっ……ああ」
眩しい過ぎる晴希の笑顔も……
今の僕には目に痛かった……
この笑顔も何れ夏稀の物なってしまうのかと思うと、まるでトゲでも刺さったかの様にチクチクとした痛みが心を蝕んでゆく……
そんな僕の素っ気無いを見て……
晴希もまた、無言のまま俯いてしまった。
引き継ぎを終えレジに入ると、昨日の悪夢が再び甦る。晴希のレジには長蛇の列、そして例によって晴希を口説こうとする不良達が溢れていた。
見かねた僕が、止めに入ろうとした瞬間だった……
「テメェら何、俺の女に手ぇ出してんだよ。シバかれてぇのか?」
声の主は……なんと、あの夏稀であった。
その鋭すぎる眼光に……
荒々しい口調に……
辺りには戦慄が走った。
その場からワタワタと逃げてゆく、不良達はまさに圧巻の光景だった。その様子を静かに見つめていた夏稀は、口角を引き上げると何だか勝ち誇っている様に見えた。
そんな様子を間近で見ていた晴希は、別に嫌がる訳でも無く、否定する訳でも無く……僕の心は激しく揺れ動いていた。
夏稀は『俺の女宣言』だけすると、その場から立ち去ってしまったのだが……僕達の間には微妙な空気が流れていた。
「直樹さん……アレはナツの冗談だから真に受けないでね……ははは」
「じょ、冗談だったのか……ははは」
苦笑いで僕に話し掛けて来る晴希だったが、受け流すのには正直、かなり無理があった。こんな公衆の面前で堂々と恋人宣言してしまったのだから……
そして、この日から僕の中で熱く煮えたぎっていた想いは、脆くも崩れてゆく事になった。
不穏な空気のままアルバイトを終えるとスーパーの駐車場に一台のバイクが止まっているのが見えた……バイクに乗っていたのは勿論、夏稀である。
「乗れよハル。また、小バエに集られても気分悪いし、家まで乗せて行ってやるよ」
「えっ? あっ……うん……」
少し戸惑った様子の晴希は、横目で僕の顔色を伺っていた。そんな晴希の気持ちを察して僕は、また心にも無い事を言ってしまう。
「送って貰いなよ。また、不良に絡まれても危険だしさ」
晴希の為にと僕は想いを押し殺しながら、見送る事に決めた。晴希は、少し寂しそうな顔で頷くとバイクの後部座席へと座り、夜の闇へと消えてしまった。
晴希達の後ろ姿をただ呆然と眺める事しか出来なかった僕は手を握り締めながら、己の不甲斐なさを呪う事しか出来なかった。
虚しさとバイクの排気音の入り混じった音だけが、僕の心の中をいつまでもリピートしていた。




