12話 ストロベリーロマンス
和訳『初恋の瞬間』
再び訪れる沈黙の時間……先程までとは違い、何だか凄く気まずい。やはり僕が嘘をついた事を晴希は怒っているのだろうか?
沈黙に耐えきれず、僕が声を掛けてみたのだが……
「さっきは嘘をついて、ごめん。でも職場で噂になっちゃうと困るからさ」
「…………」
僕の謝罪にも、晴希は静かに笑むだけで何も話してくれない……
――やっぱり、怒っているのか?
僕が困っていると何故か晴希は見つめて来た。
その大きて澄んだ……
無垢な瞳で……
分かっていても僕は視線を反らす事の出来ず、再び高揚感に包まれると、フワフワとした熱気の様な物が顔一面へと広がった。
そして、僕達は再び見つめ合う……
最早、仕事どころでは無い。
このままでは晴希に飲み込まれてしまい兼ねないと思った瞬間だった……晴希は1枚の付箋を手渡してきた。
そこに、書かれていたのは……
【私は怒って無いですよ。直樹さんの事が好きだから見ていただけ、もしかして直樹さんも好きになってくれましたか?】
「なっ!?」
これは、完全に図星であった。膨らみ続ける晴希への想いは最早、爆発寸前……理性を抑えるので精一杯だった。
「そっ、そんな事、思ってなんか……」
「あっ、お客さんですよ」
「えっ? あっ、お待たせしてました……って、あれっ?」
お客さんがいると思って慌てて振り返ると目の前には誰もおらず、横では口に手を当てながらクスクスと笑っている晴希がいた。
「何で、こんな嘘をついたりするんだよ」
「ふふふっ……お相子ですよ。もう嘘ついちゃダメですからね」
完全にしてやられた僕だったが、晴希には何も言い返す事が出来ず、モヤモヤとした時間だけが流れていた。
きっと自分の気持ちへ正直になれたのなら、こんな辛い思いをせずに済んだはずなのに……
おばさんが休憩から帰ってくると、何事も無かった様に振る舞う晴希だったが、僕の心の中はフラフラと揺れ動いていた。
― 就業時間 ―
仕事を終えてスーパーの扉を施錠すると、おばさんは早々にスクーターに乗り、走り去ってしまった。
そして三度訪れる、二人だけの時間……
「直樹さん。今日は色んな事を優しく教えてくれてありがとう。私、アルバイトするの初めてだったから緊張してたんだけど、指導してくれたのが直樹さんで助かったよ」
「まあ、困った事があったら何でも言ってよ。バイトメンバーの中でも僕は古株だしさ」
そう言うと……また、無言で見つめてくる晴希。
これ以上は危険だと判断した僕は、目線を合わせずに歩き出そうとしたのだったが……なんと晴希が服の袖を掴んで引き止めて来たのだ。
僕が驚いて振り返ると、晴希は悩ましげな顔をしながら更に近付いて来て……
「直樹さん……良かったら、さっきの続きをしませんか?」
晴希は再び僕の前で目を閉じると……
キスを待っている様だった……
「だっ、ダメだよ晴希。ウチラはまだ、付き合ってる訳じゃないんだ。人通りが少ないとは言え、こんな所を誰かに見られたら……」
「……直樹さん」
僕は結局、キスを拒んでしまった。
晴希の想いも知らずに……
本当は僕だってキスをしたかったけど……これ以上、晴希と親密な関係になるのが恐かった。
視線を落とし、そのまま塞ぎ込んでしまった晴希を見ていると僕の胸も何だか苦しくなった。
俯いていてよく分からなかったけど、晴希の表情はどこか悲しくて……寂しそうに見えたからだ。
再び僕達の間には、沈黙の時間が続く……
――僕は、晴希を傷付けてしまったのか?
そして、駅前の交差点に辿り着いた時、僕は意を決すると自身の想いを正直に打ち明けたのだった。
「ごめんな、晴希。僕に勇気が無くて……」
「良いんです。私が一方的に好きになってるだけだから……グスッ」
僕が謝ると、晴希も目からはポロポロと涙が流れ……溢れ落ちた。そんな晴希を見ていると僕まで酷く沈んだ気持ちになった。
「直樹さんの優しさに付け込んで、無理なお願いばかりして最低ですよね……グスッ」
「…………」
――そんな事ない。悪いのは全部、僕の方だから……
「直樹さんも嫌だったらちゃんと、言っ……えっ?」
自身の想いを圧し殺し、目を真っ赤に染めながら涙を流す晴希を見て、感情を抑えきれなくなった僕はただ無言で……晴希の事を抱き締めていた。
今の僕達に……言葉はいらなかった。
晴希の温もり……
刻む鼓動が速くなるのを感じると……
僕の服には温かい涙が滲んでいた。
僕は晴希を幸せにする事が出来るのだろうか?
足枷になってしまうのでは無いか?
色んな想いが交錯して、なかなか踏み出せなかった僕は……苦悩の末、正直な想いを伝える事にした。
「僕も晴希の事が好きだよ。でも、今まで女性と付き合った事なんて無いし、どうしたら良いのか分からなくて……」
「……うん」
「晴希と真剣に向き合いたいから、もう少しだけ……僕に時間をくれないか?」
これが僕の言える精一杯の答えだった。
僕の真剣な眼差しを見て、晴希にも想いが伝わったのか指で涙を拭うと、その顔にはいつもの笑顔へ戻っていた。
「嬉しい……直樹さんが私の事を好きだって言ってくれた。私、待ってるからね……直樹さんからの言葉」
晴希は満面の笑みで笑うと赤くなった顔を隠すように駅の中へと消えて行った。
――どっ……どうしよう。
話の流れとは言え、勢いで晴希に好きだと告白してしまった僕の顔面は赤く火照り、熱くなった心を誤魔化す様に勢い良く走り出した。
この胸のドキドキは……
走っているからなのか?
晴希への想いなのか?
高鳴る鼓動と共に……
僕の呼吸は次第に荒くなってゆく……
― 自宅 ―
帰宅してからも僕の心の熱りは、冷める所かさらに加熱されてしまい、気付けば晴希の事ばかり考えていた。
「やっぱり、僕は晴希の事が好きだ。でも晴希の事を思うと、やっぱり止めておいた方が良いのかな。こんなに好きなのに……」
初めて味わう炎にも似た感情に焼かれ……
僕の心は、脆くも崩れ去ってしまう。
悩んで…… 悩んで……
それでも悩んで……
晴希への想いは大きく膨らみ続けている。
深夜を過ぎても中々眠る事が出来ず、僕が夢へと落ちる頃には、空が薄っすらと青紫色へ染まっていた。
これが僕の初恋……
初めて女性を好きになった瞬間だった。




