11話 レッドストリングス
和訳『紡ぐ二人の絆』
後悔しながらも、これは自らが蒔いた種だと観念した僕が、固唾を飲んで事を見守っていると……晴希は、意外な事をお願いして来た。
その気になる内容とは……
「私のお願い事は……残り5分の休憩時間、私の顔を見つめながら、無言で手を繋いで下さい」
「へっ?」
どんな事を言い出すのかと、恐怖さえ抱いていた僕に取って……このお願い事は、あまりにも拍子抜けだった。
僕の事を気遣っての事なのか?
何か意図があるのか?
晴希の真意は分からなかったけど、僕は安堵から息を大きく吐くと……
「そんな事ならお安い御用だよ……はい」
「ふふふっ……じゅあ、握りますよ」
差し出した僕の右手に、晴希が左手を重ねる……その細く、柔らかな手は温かくて不思議と心地が良かった。
そして、椅子に座りながら向かい合い、晴希を見つめる事にしたのだが……ここへ来て漸く、僕の考えが浅はかであった事に気付いた。
手を繋ぎ、見つめ合う二人 ……
二人だけの空間……
二人だけの世界……
初めは見つめ合う事に抵抗があった僕も、次第に晴希から視線を反らす事の出来なくなってゆき……
気付けば、僕の瞳は奪われ……
心は満たされ……想いが膨らんでゆく……
時計の針と鼓動の音だけが響く……
この世界で、僕達の心は一つとなっていた。
見つめ合う僕達の間には……
この時、確かに……愛が芽生えていた。
この幸せが永遠に続くようにと……
僕は、そう願わずにはいられなかった。
「晴希……」
ついに限界を迎え、僕が握っていない方の手を晴希の肩へと掛けようとした瞬間だった……
ピピピ……ピピピ……
無情にも鳴り響くアラーム音と共に、晴希のお願いは終了してしまった。
「あんっ、もう時間切れです。もう少しで直樹さんが私の事を好きになってくれると思ったのに……」
首を横に振りながら悔しがる晴希だったが、僕は嘗て感じた事の無い程の高陽感に浸っており、完全に放心状態であった。
目を見開いたまま瞬きも忘れ、すっかり固まっていた僕は最早、晴希の事しか考えられず……完全に恋に落ちていたのである。
「ねぇ直樹さん? 直樹さんってば」
「えっ? あっああ……何かあったか?」
心配そうな面持ちで覗き込んで来た晴希だったが、僕の慌てふためく様子を見て安心したのか、いつもの笑顔になると……
「休憩終わりだから、そろそろ戻らないと……きゃっ」
「うわっ……」
ドサッ……ドサッ
休憩中だった事を思い出し、僕が慌てて立ち上がると、手を繋いでいた事を忘れていた事もあって、晴希を巻き込みながら転倒してしまう。
「ごっ……ごめん晴希。大丈夫だったか?」
「はい、私なら大丈……ひゃっ!!」
覆い被さる様に倒れていた晴希の体を支えようと、僕が手をあてがった瞬間だった。突然、背中に氷を入れらた様な変な声を出した晴希は、顔を赤くするとそのまま俯いてしまった。
改めて、手をあてがっていた場所確認すると衝撃の事実が発覚する。それは、晴希の胸の膨らみ……しかも、トドメとばかりに触れてはならない禁断のボタンを押し込んでいた。
人間いざとなると、やはり目の前にあるボタンを押す事ぐらいしか出来ない様だが……このボタンだけは、まずかった。
「こっ……こんな場所だし、恥ずかしいけど……直樹さんが求めるなら、私は受け入れるよ」
「あわわっ……ごっ、ごめん。えっとその……そういう事じゃ……えっと……」
想定外の事態に激しく動揺していた僕は、ワタワタとしながらも、一向に体勢を変える事が出来ないでいた。
そんな僕の前にゆっくりと晴希が顔を近付けて来ると、残り十数センチといった所で静かに目を閉じた……どうやら晴希は、キスを待っている様だ。
「晴希……僕は君の事を……」
加速してゆく鼓動は部屋全体へと響き渡る程の高鳴り、僕は沸き立つ感情を抑える事が出来ず、晴希の頬へと手を伸ばす……
プルルルル……プルルルル……
「あわっ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
突如、事務所の固定電話機が鳴ると、途端に我へと返った僕は取り乱してしまい、反射的に謝っていた。慌てて受話器を取ると、電話の相手はパートのおばさんだった。
「あっすみません。控え室で僕がジュース溢しちゃって……はい。すぐに戻りますので……」
電話を切った僕は内心、かなり気まずかった……私欲の為に、この純粋な少女へ二度も手を出そうとしてしまったからだ。
そんな僕の様子を見て、晴希が心配そうな顔で寄付いて来ると、服の裾を握りながら……
「ごめんなさい。もしかして私達が遅いから怒られちゃいましたか?」
「あっ……いや怒られて無いけど、遅いから心配して電話をくれてたんだ。取り敢えず、戻ろうか?」
晴希への思いを圧し殺し、急いで店内へと戻った僕達はおばさんへ何度も謝罪したのだが……
「すみません。僕がやらかしてしまして、その……」
「今日はレジも空いてるし、別に良いのよ。真面目な草原君だから疚しい事なんてする訳が無いって思ってたけど、晴希ちゃんは可愛いから少し心配になってね」
勿論、僕には言葉が無かった……
おばさんの言う疚しい事を今、まさに決行しようとしていた訳だから……だが名探偵の推理は、これだけに留まらなかった。
「晴希ちゃんの事を呼び捨てにしたり、随分と親しそうだけど、知り合いだったりするのかしら?」
「えっ!? あっ……いや、その……」
鋭すぎるおばさんの推理に最早、何も言い返せ無くなった僕が、目を泳がせながら激しく動揺していると、見兼ねた晴希が突然……
「私と直樹さんは同じ屋根の下で、一晩を共にした間柄でして……」
「??」
晴希の突拍子の無い話に理解の追い付かないおばさんが頭にハテナマークを浮かべているところに、僕は間髪を入れず飛び込んでゆく……
「ダァアアアーー……何を誤解を招く様な事を言ってんの? 晴希は昔、ウチの近所にいた子で小さい頃に泊まりに来た事があるんですよ。あれは小学校の頃だったかな……あはは」
「ふふふ……そうよね。真面目な草原君がまさかとは思ったけど、じゃあ今度は私が2番に行ってくるわね」
苦し紛れの言い訳だったが、なんとかおばさんを誤魔化す事が出来た僕は、この修羅場を乗り気って安心しきっていたのだが……横にいる晴希の視線が妙に痛かった。
晴希との関係を隠す為についてしまった嘘……
お陰で事なきを得た訳だが、どうやら晴希の機嫌は損ねてしまったようだ。そんな気まずい空気を察してか、おばちゃんは去り際に晴希を呼び寄せると小声で……
「直樹君は年上だけど、凄く優しい子だから晴希ちゃんも仲良くしてあげてね」
「はい、仲良くさせて貰います」
横目で僕の方を見つめる晴希だが、その視線はキラリと光り、ただならぬ気配を感じさせていた。
そして、再び二人きりの時間……
晴希の逆襲が始まる。




