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終章  忍ぶ者、夜に嗤う

令和元年11月10日

 ~福岡~


 落ち着いた店内の隅に置かれたテレビが、パレードの様子を伝えている。


『今見えてきました。あの車でしょうか?』

 沿道には沢山の人が集まり、手にした日の丸の旗を振っている。


『あ、陛下です!黒のモーニングをお召しになった陛下が、オープンカーの上から、沿道の参列者にお手を振っておられます!』

 テレビが両陛下をアップで映す。

『皇后陛下も、白いドレスにティアラをなさって、にこやかにお手を振っておられます!』


 秋晴れの気持ちの良いこの日は、お祝いムード一色となっていた。


 今上天皇陛下の即位を内外に広く知らしめる儀式である<()()()()殿()()()>は10月22日に執り行われたが、それに続いて行われる予定だった<()()()()()()>は、台風の影響で今日11月10日延期され、そのパレードの様子をテレビが中継している。


「お前、こんな日にこんな所に居ていいのかよ?」

 翔の膝には一匹の黒猫が丸まって気持ちよさそうに喉を鳴らしている。


「こんな日だからですよ。」

 崇継の背中には茶虎がよじ登って、細い肩に器用に落ち着いた。

「僕があそこに居るわけにはいかないでしょう?」

 崇継は苦笑いを浮かべながら茶虎を掴んで膝の上に乗せる。


「そりゃ、そうだな。」


 猫カフェの店内には、秋の日差しと陽だまりで居眠りする猫のお蔭で、穏やかな時間が流れている。

 そんな穏やかな時間をぶち壊すような声が聞こえて来た。


「よう来たな、嬢ちゃんたち!」

「谷本さん!!」

 猫を撫でていた紗織が、立ち上がって再会の喜びを笑顔で表す。


「その節はお礼もロクに言えずに…。」

「ええねん、ええねん!」

 畏まって挨拶しようとする知佐を制して、谷本がチュールを取り出した。


「特別サービスや、おやつタイムやで。」

 そう言うと、紗織と知佐に一本ずつ渡す。


 目ざとく見つけた猫たちがワラワラと二人に群がり、翔と崇継の所に居た猫も引き留める手を無視して二人の元へ急ぐ。


「どや、ええ店やろ?」

 谷本の豊かな胸の先に付いたバッジには、誇らしげに<店長>の文字が躍っている。


「あぁ、いい店だ。」

 翔は猫好きな割に猫カフェは初体験だったが、『これなら通ってもいい』位には気に入っていた。


「お前の猫も居るのか?」

「アレは()()や。」

 見ると、天拝山から連れて来たあの猫が、猫タワーの一番上から店内に睨みを利かしている。


「平和だな…。」

 翔は誰に言うともなくポツリと呟いた。

「平和ですね。」

 崇継も同調する。


「なんや、自分らオジン臭いのぉ。」

「うるせぇな、ほら、客が来たぞ!」

「そんなん、バイトちゃんに任せとったらええねん。」


 谷本と軽妙なやりとりを交わしていると、半年前の事が夢の様に思える。


 あの血なまぐさい戦いの連続…。


「平和だな…。」

 翔は改めてポツリと呟いた。

「平和ですね。」

 崇継も同調する。


「アカン、自分らとおると、ウチまでオバハンなってまうわ。」

 そう言い残して紗織と知佐の方へ去っていく。


「そういえば、ダニーが『福岡来るなら、ラーメン食べて行け』って言ってたぞ、お前ら結局まだ一度も食べてないんだろ?」

「そうですね、紗織もダニエルさんに会うの楽しみにしてましたし。」

「今日は大丈夫なんだろ?」


 話を聞いていた知佐が、笑顔で近づいて来た。

「知佐さん?」

「もちろん、大丈夫よ。」

 知佐は親指を立て、崇継は笑顔を浮かべる。


「先にホテルにチェックインして来るから、一旦分かれて集合しましょう。」

「なんやもう帰るんか。」

 残念そうな素振りを見せる谷本に紗織が微笑みかける。


「また来てもいいですか?」

「もちろんや、待ってるで。」


 すっかりボスになった天拝山の猫がタワーから降りて来て、紗織に頭を擦り付けて再会の約束をした。



 ~福岡・中州~


 那珂川沿いに軒を並べる屋台の中、清流公園に程近い場所にダニエルの屋台

「ダっちゃん」は店を構えている。


「ここだよ。」

 翔はいつものように暖簾をくぐった。


「ヘイ、らっしゃー…って、おぉ、三人ともよぉ来たね!」

 知佐と崇継、紗織の姿を認めて、ダニエルは目じりを下げる。


「ほら、そこ座りんしゃい!」

 赤のビニールのクッションが安っぽさを強調するパイプ椅子を勧める。


「ダニエルさん、お久しぶりですっ!」

 紗織は、にこにことダニエルに挨拶をする。


 何故だか分からないが、紗織はダニエルを気に入っている。

 日本の規格に合わないその巨体を、いつも窮屈そうにしているのが可愛いらしい。

 翔も女性心理には多少自信があったが、十歳の女の子の考える事はさすがに分からない。


「レオナルドさんもお久しぶりです。」

 崇継とレオナルドは気質が合うのだろう、ここに半次郎まで加わると話がマニアックになり過ぎて付いていけない。


 翔はさりげなく知佐の隣を確保した。


「みんなまずはラーメンでよかね!」

「はい!」


 慣れた手つきでスープの準備をし、軽やかに湯切りした麺をスープの海に浮かべていくダニエルを、紗織は満面の笑みで見ている。


「ヘイ、お待ち!」

 あっという間に人数分のラーメンが完成した。


 湯気を立てる器には、チャーシュー二切れとキクラゲ・二つに割った味玉にノリとネギの具材の他に、軽く湯通しした菜の花が添えられている。

 菜の花は、東京での道場破りの成果だ。

 知佐が紗織の丼を取ってあげると同時に、紗織は知佐の割りばしを割ってあげる。


「いただきまーす!」

 翔たちは思い思いにラーメンを堪能する。


「わぁ、美味しい!」

 笑顔を受かべる紗織の丼に、ダニエルが()()()()()を浮かべる。


「うん、これは美味しいです!」

 崇継には()()()()()()が追加される。


「私、屋台は初めてなのよ。」

 知佐は麺のコシを堪能しながら、興味深そうに屋台の中を見回している。


「自分で修理したけん、あんま見らんでよ。」

「修理?やっぱり東京に来てる間に敵に壊されてたの?」


 谷本が、勝手に屋台を改造してお好み焼き屋にしていたのは、知佐が東京で入院している時の話だ。


「そっか、知佐は入院してたから知らないんだっけ?」

「なになに?」

「いやさ、()()()()が…。」


 言いかけた時、谷本が入って来た。

「ウチが何やて?」

「谷本!?あ、おじさんまで!」


 谷本の後ろでは、半次郎と菜々が手を振っている。

「何ね、半次郎さんたちまで、よう来たね!」

 半次郎はレオナルドの横に座り、谷本と菜々は翔の横に並んで座った。


「この前来た時はお好み焼き屋だったから、ダニエルくんのラーメン食べられるの楽しみにしてたんだよ!」

 半次郎の言葉にダニエルが渋い顔をする。


「まぁ、早耶香ちゃんのお好み焼きも美味しかったわよね?」

「お好み焼き??」


 怪訝な顔の知佐を誤魔化すように谷本が注文した。

「ま、昔の話や、ダニー!ラーメン三つな!」

「はいよ!」


「ま、なんとなく分かったけど…。」

 知佐はなんとなく察してくれたようだ。


「でも、こんな所まで欠けてる…。」

「あぁ、それは違うっちゃん、それは去年、翔が()()()()()に…。」


(あっバカ!)


()()()()??」

 知佐が眼光鋭く睨みつけた、元が美形なだけに、凄んだ時の顔には鬼気迫るものがある。


()()()()()()ヲ助けようシタラ、いきなり暴レ出したんダヨナ?」

 レオナルドが強引にフォローする。


 ほっとしたのもつかの間、紗織が何気なく口走った。

「翔さんは()()()()()なんですよね?」


「はあぁっ??」

 知佐の視線が痛いほど刺さる。


「さ、さ、紗織ちゃん、どこでそんな事を?」

 冷たい空気を感じて紗織がマズい事を言った事に気づたのか、そっとダニエルを見る。


(またお前か!)


 その場は翔とダニエルにゲンコツ1発ずつで収まった。


「もうっ、さぁちゃんに変な言葉教えないでよね!」

 教えたのは翔ではないが、素直に謝る。


「うん、ごめん。」

「ところでお手洗いはあるかしら?」

「あ、案内するよ!」


 翔は点数稼ぎに迅速に動いた。

 この辺りの屋台の客は清流公園のトイレを使うのが習わしだ。

 近くまで行くと、トイレの場所を教えて自分は、ツリーサークルのベンチに腰を降ろして、ぼんやりと那珂川の穏やかな流れを眺める。


「ダっちゃん」の方からは賑やかな笑い声が聞こえている。


 しばらくぼんやりしていると、いつの間にか知佐が隣に来ていた。

「どうしたの?ボーッとして。」

「いや、あの一カ月は現実だったのかなって。」

「そうよね、色んな事があったもの…。」

「あぁ…。」


 感傷に浸りかけた所で、知佐が妙な事を言いだした。

「そういえば、翔くんあなた、敵の大男と()()()()したんでしょ!」


(敵の大男?)


 そう言われて思い当たるのは相撲取りとグレゴリウスだが、相撲取りの時は文字通り蚊帳の外だったし、グレゴリウスとは…。


(そうだ!()()()()()()!)


「ダニーのバカッ、あいつなんて?」

「崇継くんよ。」

「崇継が?」


 知佐は薄目で軽蔑の視線を向けている。


(崇継のバカっ)


 あたふたしている翔を見て、知佐はクスッと笑みを漏らすと、キスをしてきた。


「やってごらんなさい!」

 知佐は悪戯に微笑むと、「ダっちゃん」の方に歩いて行く。


 翔はしばらく放心状態でいたが、大声で笑いだすと、立ち上がって後を追う。

「やってやるとも!」



 ~東京・雑司ヶ谷~


 <法明寺>の道を挟んだ向かいに蓮光院墓地がある。

 その墓地の端の方に、ひっそりとまだ新しい小さな墓石が立っていた。

 墓石の上には一匹の猫が、墓の番をするように香箱座りで寛いでいる。

 秋の穏やかな太陽を浴びたその猫は、ひとつ大きな欠伸をすると、また幸せそうに目を閉じた。

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