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第76話 降天菊花

「それが(降天菊花)か。」


 横たわる三人など居ないものかの様に、南光院典明は祭壇に向かって歩を進めると、崇継を蹴り飛ばして(降天菊花)の包みを奪い、大儀そうに手に取った。

 うやうやしく螺鈿(らでん)の施された包みは、内側から薄く光を放っている。


「死んだ…はずだ!」

 呻く様に言葉を発した翔を横目に見て、興味無さそうに答える。


「風魔流・()()()()…と言うらしい。」

「生き返ったのか?」


「そもそも<()>とはなんだ? 伊賀者よ。」

 典明は、質問には答えず、逆に翔に質問をした。


「<()>とは…だと?」

「<()>とは、肉体と精神が生きるのを止める事だ。」


「お前と哲学を交わす気はない!」

「哲学ではない、真実だ。」


 典明は、翔を一瞥すると、構わずに続ける。

「儂はここで二度死ぬ前に一度死んでおる。その時、蘇った儂の体はただの容れ物となったのだ。」

「容れ物?」

「容れ物、故に壊れたら直せば良い。甲賀の猫娘に出来る事が儂に出来ぬ道理はなかろう?」


 典明の話は翔の理解を超えていたが、現実に翔が見ただけでも南光院は二度生き返っている。


「つまり、儂の精神が生きるのを止めぬ限り永遠に生きるのだ。」

「させるかっ!」

 翔は梅花を出そうと手のひらを上に向けたが、弱々しく浮かんだ一枚の花弁はすぐに崩れ去る。


「お前の体は()()()()だ、()()()なのだろう?」

 典明は薄い笑いを浮かべた。

「いくら特殊な術を持っていようと、()()に戦い続けられる者などおらぬ、この儂を除いてはな。」


「この()()()っ!」

 知佐が怨嗟の叫びをあげる。


「化け物?」

 典明は愉し気とさえ思える様な声で答えた。

「人は自分の理解の及ばぬものに出会うと、それを<()()()>だの<()>だの<()>だのと呼んできた。

 人の言う<()()>は、全てが人間を超越した存在、すなわち<()>だ。

 つまり、今、お前は儂を<()>と認めたのだ。」


「詭弁よっ!」

「見ておれ、今から儂は本物の<()>となる、この(降天菊花)を使ってな。」


 典明が(降天菊花)を覆っている包みを荒々しく剥ぎ取ると、中から夜目にも鮮やかな深緑(しんりょく)の半円形の翡翠(ひすい)が現れた。

 大事そうに両手で抱えると、薄く光を放つその翡翠の中に一輪の菊の花が浮かび上がる。


「おぉ、これが!」

 典明の瞳が怪しく紫紺の光を帯び始める。


(降天菊花)は輝きを増し、眩いばかりの黄金色の光を放ち始めた。


「今こそ、南朝宿願の時だ!!」

 しかし、典明の呪怨の様な絶叫を合図にしたように、(降天菊花)は輝きを失い、菊の花も揺れる様に姿を消した。

 典明は、口を開けたまま呆然と輝きを失った(降天菊花)を見つめていたが、その眼には次第に怒りの色が広がってくる。


「何故だ、これも偽物というか!」

 典明は憎悪の感情を爆発させて(降天菊花)を投げ捨てた。


 祭壇に当たって跳ね返った(降天菊花)が、血だらけの崇継の元に転がり、崇継が無意識にそれを掴むと、(降天菊花)はまたも輝きを増し、眩いばかりの黄金色の光を放ち始める。


「ふんっ、皇族の血を使ったこけおどし、子供だましのおもちゃだ。」

 忌々しげに吐き捨てる典明の前で、今度はその輝きはみるみる増していく。


「なんだと!?」 

 驚愕の表情に激しい憎しみの炎を浮かべる典明を余所に、(降天菊花)は閃光のような輝きを放つと、その光は崇継の両眼に吸い込まれる様に消えて行った。


「今のはなんだっ!」

 憤怒の形相で崇継を睨んだ典明の目に映ったのは、眩いばかりの黄金色の光を放つ崇継の目であった。


「南光院典明。」

 静かに語り掛ける崇継の声には、先ほどまで無かった威厳が感じられる。


「あなたは化け物に成り下がって、()()()()()()()()まで忘れてしまったのですか?」

「大原則だと?」


 典明は憎悪に燃える目で崇継を睨んだが、ハッとした様子で呻く様に漏らした。

「まさか、()()()()とでも言うか?」

「そうです、男系継承は血の掟。(降天菊花)は()()()()()()()にのみ反応するのです。」


「はっはっは、あーっはっは。」

 典明が常軌を逸したように笑い始めた。


「そうか、(降天菊花)まで儂を否定するか、この覇王の資格を持つ儂を。」

 典明の紫紺の瞳が憎悪に縁どられ、どす黒い炎が灯った様に怒りに揺れる。


「もうよいっ!儂が討つべきは北朝ではなく、下らぬこの国そのもの!」

 ジグ・ザウエルの銃口を()()に向けた。


「北朝の前にまずはお前だ、()()()()()()()()っ!!」

「待て!」

 翔がフラフラと立ち上がろうとするが、足がもつれて立ち上がれない。


「お前はもう()()()()()()()と言ったろう、伊賀もの。」

 典明は、翔と知佐の方に向き直って銃を構えた。


(くそっ、ここまでか)


 諦めかけた翔の目の前で、知佐は顔面蒼白にして浅い呼吸をしながら翔に微笑みかけている。


「翔くん、私の命はここまでみたい。」

 知佐は、長くカールした睫毛を伏せて、唇を強く噛みしめる。


「くそっ、諦めるな!」


「だから…()()()!」

 そう言うと、知佐は翔に唇を重ねて来た。


「はっ、気でも違ったか、下賤の者! もうよい!お前たちはここで儂が作る帝国の礎と成り果てるがいい!」


 低く乾いた音と共に放たれた銃弾は、知佐の手前で甲高い破裂音と共に地上に堕ちる。

 翔の周りには薄紅色の梅の花弁が数十枚、軽やかに揺れていた。


 翔と唇を重ねていた知佐の頭が力なく前に倒れた時、愕然とする典明の目に映ったのは、鮮血に口を濡らした翔の姿であった。


「血で()()しただと!?」


「梅花の舞・血化粧(ちげしょう)。」


 翔の声は悲しみに濡れていた。

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