第70話 地獄の門
2019年(平成31年)4月30日
~福岡・不忍探偵社~
「さて、次の一手だけど。」
翔は焼きたてのトーストを口にしながら、簡易ベッドに横たわる半次郎とレオナルドに視線を送る。
喪睡丸による仮死状態から蘇生してまだ半日、さすがに昨日の今日では体力が戻らないのだろう。
翔自身も、霊水による蘇生の後、精神的なショックがあったとはいえ、数日寝込んでいる。
「都府楼跡の捜索は、しばらく無理だな。」
「そらそうやろ、あんな事なってもうたからな。」
谷本は、半熟の目玉焼きをフォークで器用に切り取り、トロトロの黄身だけを美味しそうに口に入れた。
谷本が言う<あんな事>とは、昨日の戦闘の事だ。
都府楼跡のすぐ近くの観世音寺と戒壇院で行われた戦闘は苛烈を極め、歴史のある寺社の建物は辛うじて焼失を免れたものの、鎮守の森は全焼している。
その犯行を一人で行ったとみられるテロリストの遺体が現場で発見され、ただでさえ令和ブームで大賑わいの都府楼跡は、警察の厳戒な警備下におかれて、混乱を極めていた。
「都府楼跡は、ゴールデンウィーク明けるまで厳しいかもしれないわね。」
奈々が半次郎におかゆを食べさせながら、残念そうに漏らす。
「そういう訳だから、レオとおじさんはゆっくり寝てなよ。」
翔が二人に笑顔を向けると、二人とも弱弱しい笑顔を返した。
「スマナイナ。」
申し訳なさそうにするレオナルドを、紗織が柔らかい笑顔で励ます。
「何言ってるんですか、レオナルドさんが頑張ってくれたから、皆んな生きてるんですよ! だから、ちゃんとおかゆ食べて早く元気になってください!」
レオナルドは紗織が差し出したスプーンを、気恥ずかしそうに口に含む。
「俺とタカは、石穴神社に行ってみようと思う。」
翔は目玉焼きを二つ折りにしたトーストに挟んで、溢れ出る黄身を一思いに口に入れた。
「最後の一箇所ですね。」
崇継は食事を終え、慣れた手つきでカプセル式のコーヒーメーカーを操作している。
「そうだ、令和ブームもあそこまでは行き届いてない。」
「ほんで、いつ行くん?」
谷本はミルクで目玉焼きを流し込むと、美味しそうに上唇を舌で舐めた。
「これからでも行きたい所だけど、明るいうちはもしかしたら人がいるかもしれないから、明日の明け方に様子を見に行こうと思う…、ん、ありがとう。」
翔は、崇継は苦いエスプレッソを受け取ると、一息に飲み干す。
「明け方か、ほな、ウチはパスやな。」
谷本も崇継からアメリカンを受け取ると、にやっとした笑みを浮かべる。
「ウチは夜行性や。」
「そうだな、谷本はここで皆を守っててくれ。」
「了解や。」
そう言うと、天拝山からいつの間にか連れ帰っていた例の猫にカリカリを与える。
「ぎょーさん食うんやで。」
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<石穴神社>は福岡県太宰府市に鎮座する神社で、正式には<石穴稲荷神社>と云う。
霊峰・宝満山に連なる高尾山の中腹に位置するその神社は、資料の消失で由緒が不明の謎多き神社であるが、佐賀県の<祐徳稲荷神社>、熊本県の<高橋稲荷神社>などと共に、九州三大稲荷神社に数えられる事も多い。
九州有数の観光スポットである太宰府天満宮や九州国立博物館から、徒歩でも10分少しという好立地であるが、休日であっても訪れる人は少ない。
翌朝。
早朝5時、翔と崇継は、スヤスヤと眠っている谷本たちを起こさないように、こっそりと事務所を後にした。
青のビートル・カブリオレを走らせ、都市高速環状線から太宰府ルートに出て、水城から福岡南バイパスに入る。
朝もやの御笠川沿いを少し進むと、西鉄五条駅方面にハンドルを切る。
五条駅入口の交差点を右折して学園通りを直進すると、まだ眠る住宅街の中をエンジン音を控えめにして忍ぶように走る。
筑紫女学園方面にハンドルを切って直進すると、目指す石穴神社の石碑が見えた。
神社の入口のすぐ左は、筑紫女学園が学び舎を構えているが、ゴールデンウィーク中の早朝とあって、人影はない。
翔はそのまま境内に車を乗り入れ、石造りの大きな鳥居をくぐった先にある駐車スペースに車を停めた。
ようやく目覚め始めた朝のゆるい日差しが、うっそうと生い茂る鎮守の森をぼんやりと照らし始めている。
稲荷神社だけあって、出迎えるのは狛犬ではなくて狛狐だ。
そして狐の門番が守る先は、無数の朱色の鳥居が奥へと連なり、参拝客を異世界へと誘っている。
まだ薄暗い朝もやの中、夢幻の世界へ続く千本鳥居は、まるで地獄の門のようにその口を開いていた。




