第66話 禍神誕生
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
会議室には、印を結ぶ風魔小次郎の呪怨の声が絶え間なく響いている。
仰向けに倒された小次郎の兄・光太郎の体は、蝋のように滑らかな物体に覆われ、中の死体と混じり合うようにドロドロに溶けて床面に広がり出す。
広がり出したその物体は、まるで意志があるかのように南光院典明の足に纏わりつくと、とぐろを巻くような動きで這い上がり、口の中に消えて行った。
「お戻り下さい! みかど様!!」
小次郎が柏手を打った。
良く響くその音にかき消される様に、会議室を覆っていたもやが張れていく。
「小次郎か?」
南光院典明が薄目を開けて呻いた。
「はい、お帰りなさいませ、みかど様。」
小次郎は、典明の横で片膝をついて畏まる。
典明は、2、3度首を鳴らすと、小次郎に尋ねた。
「なぜ、この術を儂に使った?」
「風魔は、先祖代々<魔>を呼ぶ風を吹かす一族。」
典明は黙ったまま興味深そうに小次郎を見ている。
「その宿命に準じただけの事です。」
「神の子たる儂を<魔>と申すか、小次郎よ。」
「はっ!禍神もまた神でありますゆえ。」
典明の目に灯る青い光は死ぬ前よりも赤みを帯び、今や紫紺という表現が相応しい色となっていた。
その視線が傍らに脱ぎ捨てられた服に移る。
「風魔光太郎か?」
「はっ!兄もあの世で喜んでおりましょう。」
「父上は?」
「まだ玄関に居られるかと。」
「では、まいろう。」
典明は、大儀そうに立ち上がると、小次郎が開けた扉をくぐり、玄関へ向かう。
その足音に気づいて振り向いた老人の見開いた目に、典明の邪悪な微笑みが映った。
「典明、お前は…。」
くぐもった銃声と共に、鉄の筒から吐き出された鉛の玉が、老人の言葉が終わる前にその眉間に小さな穴を開けた。
「ありがとう父上、お蔭で覚悟ができました。」
その感謝の言葉は、既に老人にはもう届かない。
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~江東臨海病院~
(知佐…、知佐…。)
自分を呼ぶ声が聞こえる…この声は…
「お父さん?」
(知佐…、知佐…。)
「お父さん、どうしてここに?」
(知佐、お前こそどうしてこんな所に居るんだ?)
「私、さぁちゃんを助けようとして、敵の忍者に…。」
(それで、どうしてこんな所に居るんだ?)
「敵の忍者の毒で、私の命はもう…。」
(知佐、言ったろう、我々の命は、大事の前の小事。)
「お父さん?」
(お前は何のため、誰のためにその命を使うんだ?)
「お父さん…私。」
知佐が目を覚ますと、そこには見慣れた天井があった。
「お父さん、私、行きます。」
知佐は、人工呼吸器を外すと、立ち上がってジャケットを羽織り、おぼつかない足取りで病室を後にした。
「なんばしよっとね!」
自分の病室から廊下を見ていたダニエルは、廊下を知佐が歩いているのを見て慌てて声を掛けた。
「自分の死に場所は自分で決めるわ。」
知佐の強い決意に、ダニエルが二の句も告げずに居ると、知佐はふら付きながら先へ進む。
(しょんなかね。)
ダニエルは後ろから知佐の肩を掴むと、振り返って睨みつける知佐に笑顔を返した。
「太宰府まで連れてちゃる! ばってん、死に場所じゃなかぞ!」
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2019年(平成31年)4月29日
~福岡・都府楼跡~
「これは凄いな。」
「あぁ、ここまでとは。」
ゴールデンウィーク三日目の都府楼跡は、降って湧いたような<令和特需>でお祭りの様な狂乱が続いていた。
令和の発表がある前の<坂本八幡宮>は、社務所もなく車座で管理されるような、よく見かける町の一角にひっそり佇む神社だった。
それが今では、御朱印を貰うための行列は6時間待ちだという。
都府楼跡も、普段は閑散としていて、近所の子ども連れが子どもを走り回らせるのに丁度良い場所だったが、少なくともゴールデンウィーク中はそれは望めまい。
翔たちは観光客を装い、問題の柱列の前に来ていた。
「坊ちゃん、どや? 何か感じるか?」
「うーん。」
目を閉じて集中しようとする崇継に、ゴムボールが飛んできて慌てて避ける。
「ちょっと、これでは…。」
「まぁ、確かにな…。」
翔も周りを見回して、やれやれと言った表情を浮かべる。
「そもそも、ここって何なの?」
菜々が素朴な疑問を口にした。
「昔、大宰府政庁っていう朝廷の出先機関がここにあって、九州全域を管轄してたんだよ、持ってる権限が大きかったから<遠の朝廷>なんて呼ばれてたらしい。」
翔は、ここぞとばかりに説明を始める。
「へぇ~。」
菜々が感心したように感嘆を漏らした。
「令和の元になった大伴旅人っているでしょ? あの人は大宰府政庁の長官だったんだよ、で、その大伴旅人の邸宅があったのが、例の<坂本八幡宮>の辺りと言われてる。」
「なんや、たったそんだけの理由であんな賑わっとんのかいな?」
「まぁ、商売上手だよな。」
「濡れ手に粟っちゅうやつやな。」
「それで、どうして政庁の事を都府楼って言うの?」
菜々が尤もな疑問を口にした。
「それは、菅原道真が詠んだ漢詩に由来があるんだよ。
『都府の楼はわずかに瓦の色を看る』
<都府>ってのが大宰府政庁の事で、<桜>ってのが楼閣、つまり建物の事だね、そこから、大宰府政庁の事を都府楼って呼ぶようになったんだ!」
「自分、なんでそんなに詳しいんや?」
「俺、太宰府検定上級なんだよ!」
待ってましたとばかりに翔が胸を張る。
「ふ~ん、さよか。」
谷本達は興味なさげに小川の方に歩いて行った。
「トモカク、この人出ジャ探せナイナ。」
「そうだな、今15:00だから、夕方になればだいぶ空いてくると思うから、2~3時間暇を潰そうか。」
「でも、あんまりゴミゴミした所はイヤよ。」
「任せて、あっちに戒壇院と観世音寺っていう、いいお寺があるんだ!」
「え~、またそんなトコかいな?」
明らかに気乗りしてない女性陣を宥めすかしながら、約300離れた観世音寺に連れて行くと、道路を挟んだ反対側にカフェがあるのを紗織が発見した。
「あ、喫茶店ありますよ!」
「ほんまや、なんか良さそうやん!」
「まぁ、雰囲気良さそうじゃない!」
女性陣の心は決まったようだ。
「じゃあ、ウチらはあっちや。」
そう言うと、崇継を連れて横断歩道を渡っていく。
崇継は、売られる子牛のような目でこちらを見ていたが、下手に異議を唱えるのは避けた。
「じゃあ、僕たちはこっちだな。」
翔とレオナルド、半次郎は、まずは戒壇院へと向かった。
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ガランとしたその空間にはひんやりとした空気が漂っている。
外周には、巨大な仏像が壁を背にしてグルリと囲うように展示してあり、その一番奥には、小太りの小柄な男が一人モニターの前に座って、大盛りのフライドポテトに手を伸ばしていた。
傍らには人間大の仏像のようなものが見えるが、表面の無機質な質感は仏像にはとても見えない。
「二手に分かれたか。」
男はそう言うと、ポテトを摘まんで口の中に放り込む。
油の付いた指を舐めながら、不気味に呟いた。
「まずは三人の方だな。」




