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第65話 南光院死す

 南光院典明は、自分の心臓を貫いた短剣を、信じられないものを見るような目で見ていた。


(この儂が…死ぬ?)


 目を前に向けると、父親が感傷の無い目をこちらに向けている。

 出来損ないの粘土細工をこね直している時の様に、軽い失望を過去に押し流して次は何を作ろうかと考えている様な目。


(この儂を、過去の失敗作の一つとでも言う気か!?)


 幼少の頃から、目の前の父に南朝600年の屈辱の歴史を教え込まれ、復讐の権化と化して生きて来た。

 600年間の間に日の当たらない生活を強いらてきた数十人の皇子たち、その全ての()()()()()()となって歴史を変える覚悟で生きて来た。

 そして、今、ようやくその怨念を成就する瞬間が近づいているこの時に、ほんの一瞬みせた見せた()()が、全てを終わらせようとしている。


()()があるのか』と父は聞いた。


(足りなかった。)


 肉親ですら躊躇(ちゅうちょ)なく殺す覚悟、自分にはそれが足りなかったのだ。


 典明の青い光を放つ目に一瞬赤い炎が灯る。

 今、死を目の前にして、ようやく全てを犠牲する覚悟が定まった。

 それなのに、自分の命は今潰えようとしている…。


 その事を自覚した瞬間、典明を激しい衝動が襲う。


 ()()()()()()()()()()()


「おおおぉぉぉーーーっ!!」


 断末魔の猛烈な怨嗟(えんさ)の咆哮が部屋の空気を震わせ、老人の瞳に怯えの色を浮かび上がらせる。

 光太郎は老人の前に半身を出して構えているが、尋常ではない典明の様子に目を離せない。

 小次郎は雄たけびを上げる典明の耳に口を寄せ何やら囁いてるようだ。


「小次郎っ、()()()()()()!」


 光太郎が叫んだ瞬間、小次郎は短剣を主の胸から抜き取った。

 栓を無くした心臓は鮮血が吐き出し、典明の咆哮が止むと、がっくりと頭を垂れて絶命した。


 老人はしばらく呆気にとられた様に典明を見ていたが、落ち着いた表情に戻ると、豊かな顎髭を撫でつけながら、冷たい声で吐き出した。


「まるで獣じゃ、獣でありながら民を治めようとは、身の程知らずの哀れな奴。」


 老人は、一瞥もくれずに典明の横を通りすぎる。

 その背後に付き従い部屋を出ようとした光太郎は、すれ違いざまに、俯いた小次郎が笑みを受かベているのを見て、小首を傾げた。


「光太郎、何をしておる、早う来んか!」

「は、ただいま。」

 老人に急かされて、後ろ手にドアを閉めて部屋を出た。


 **********

「みかど様。」

 会議室の中では、小次郎が返事も返せぬ典明の死体に話しかけている。


「さぞ、お悔しい事でありましょうな。」

 その口調には、どこか達成感の様なものが含まれている。


「ですが、それで良いのです、今、貴方様は()()()()()()()()を得られた。」

 部屋の四隅の結界陣からは白い靄の様な煙が立ち昇っている。


「今こそが、()()宿()()()()。」


 小次郎は印を結び始めた。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」

 **********


 老人が本堂の入り口で草履に履き替えるのを、光太郎は傍らで待っていたが、先ほどの小次郎の笑みが気に掛かっていた。


「閣下。」

「なんじゃ、何か気になる事でもあるのか?」

「小次郎の様子が気になります、我が弟ながら何を考えておるのか分からんヤツ。」

「そうか…、なら様子を見て来い。」

「はっ!」


 光太郎は会議室へ駆け戻ると、勢いよくドアを開けて部屋に飛び込む。

「小次郎!」

「これは兄上、お待ちしていましたよ。」


「待っていただと?」

 光太郎は用心深く周囲を見回しながら、ベレッタM9を取り出す。

 振り返ると、明け放したドアは閉じられ、部屋の中には靄の様な煙が充満し始めていた。


「何をしている?」


「風魔・()()()()()()…兄上は若くして里を出られたからご存じないでしょう。」

「秘術だと?」


「秘術…と言っても、術自体は至極簡単だが、()()()()()を揃えるのが難しい。」

 小次郎は高揚した気分のままに術の説明を始める。


「二つ?」

「まず()()、しかもただの死人ではない、尋常でない程の()()()()()()()()()()()を持ちながら死んだ人間に限る。」


 光太郎は典明の死体に目を奪われたまま、異様な雰囲気に呑まれた様に動けないでいた。

 小次郎はそんな兄の様子を気に掛ける風もなく説明を続ける。


「不思議な事で、普通の人間というのは、どんなに怒りや後悔を抱えていても、いざ死を前にするとその気持ちが薄れる、いや、他の事を考えると言っても良い。

 幸せだった頃の思い出や、後に残す人への感謝や心配…。

 それがまぁ普通の人間というものだ。死の瞬間に負の感情を持ってあの世に行くのは、まぁ、10万人に一人といった所だろう。」


「典明様がその10万人に一人だとでも言うのか?」

 光太郎がやっとの事で疑問をぶつける。


「10万人?バカを言うな、さっきの怨嗟の雄たけびが聞こえなかったのか、あれほどの怨念を持ちながらお亡くなりになるのは恐らく数百年に一人!」

 高揚感を吐き出すように一気に吐き出すと、薄い笑いを浮かべた。


「だからこそ、この術は完成する。」


 理解の範疇を超えているのか、それとも術に呑まれているのか、尚も典明の死体に目を奪われたまま、光太郎が尋ねる。


「で、()()()()()?」

()()()()。」


 言い終わるより先に、光太郎の心臓を短剣が刺し貫いた。

 驚愕の目を見開いて弟を見つめる光太郎に尚も説明を続ける。


「二つ目は、その死人の()()()()()()()()()()()()。」


 小次郎は短剣を抜き取ると、血の滴るその刃を、典明の命を奪った時と全く同じように、傷口に突き刺した。


黄泉戻(よみもど)し・禍神(まががみ)。」


 地獄の底から聞こえてくるような低い声が部屋に響いた。

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